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どこまで完成度を求めるか 

音楽の演奏は、常にただ一度きりのものであり、同じものは二度と再現出来ない。そして演奏能力も、形あるもののように保存することは不可能である。録音録画は可能だが、演奏能力自体がいつまでも維持できる訳ではない。つまり、完成形というものが存在しないのである。レパートリーにしている曲であっても、毎日変動し、明日は今日より納得がいくのか、今日が頂点なのか、本人にも予想はつかない。

一度はほとんどパーフェクトに弾けた曲なのに、しばらく遠ざかっていたら、全然弾けなくなってしまったという経験は多いはず。しかし、完成形が存在しないからこそ面白い。常に細心の注意を払って、繊細なガラス細工を扱うように、鍵盤に指を乗せ、曲を味わう。この緊張感がずっと持続するからこそ、楽器演奏は生涯をかけて打ち込めるのである。馴れ合いになることがないからこそ、毎日が新鮮であり、大切に弾こうという気になるのである。

とは言っても、どのくらいの完成度で満足させるかは、最終目標によって違う。例えばレッスンで勉強するだけの練習曲と、人前で弾くための曲では、目指す完成度はかなり変わってくるはずだ。後者の場合、ミスは極力少なくしたいし、人に聴かせれるという観点で、客観的な魅せ方を研究したりするかもしれない。

更に、人それぞれ性格も異なるので、普段から納得するまで、徹底的に同じ曲を弾くことを好む人もいれば、完成度より、より多くの曲に触れることを優先したい人もいる。どこで打ち切るのか、またその曲とその後どう付き合うのか、一度弾いて終わりか、長期的なレパートリーにするのかで、どこまで完成度を求めるかが変わる。

一般的に、精密な練習量が多いほど完成度は高くなる。丁寧な繰り返しやポイントを絞った練習法によって完成度は上がり、より劣化しにくくなる。漫然と最初から最後まで繰り返していても、時間の割に上達しない。

意外かもしれないが、熱心なアマチュアの方が、職業的ピアノ演奏者よりも、一曲にかける練習時間は長いと思われる。趣味でピアノを弾く場合、1、2曲、多くても数曲を、披露することがほとんどだと思う。(アマチュアだけれど、90分のリサイタルを毎回新曲でやるという人がいたら、それはもうプロの領域である) だから、仮に毎日1時間程度ピアノを弾くとしても、一曲に対し、かなり集中した練習時間を取れる。また、数ヶ月前から時間をかけて取り組むことがほとんどだと思われるので、相当練習量が多くなるように思う。

一方、職業的にピアノを弾く場合、特にアンサンブル・伴奏が多いと、常に新しい楽譜を抱え、いつでも同時進行で数十曲弾いている状態となる。これは、譜読みなどのかなりに部分を、頭の中でやってしまうため、効率的に時間を使えるから可能ということもある。そうは言っても、レパートリーも弾くし、ピアノに向かう時間が長いとはいえ、一曲にかけられる時間はかなり限られる。更に、ぎりぎりになって楽譜を渡される場合もあり、少ない時間の中で形にしなくてはならない時もある。何度も一緒にやっている人同士だと、本番で初見ということもあり得る。つまり、完成しているように聴かせているのだが、どこかを妥協して弾いていることもあるのだ。

完成形とは曖昧なものであり、どこまで完成度を求めるかは、目標や状況に応じて、それぞれなのだ。しかし、できれば自分で納得のいく完成形を、長期間維持したいもの。ここでは、一般的に言えることをいくつか書いてみる。

1、雑に弾くのは全てのぶち壊し
そこまで完成度を求めないなら、テンポや強弱などを犠牲にし、指使いと音だけは丁寧に読み込んでおいた方が良い。もしその後その曲をもっと洗練させたくなったり、何かの機会に披露することになったりしても、丁寧にゆっくり弾けるようにしておけば、いくらでも上手くすることが可能だからである。逆に、テンポや曲想の勢いに任せて、アーティキュレーションや細かい音型の指使いなど無視して、適当にやってしまうと、その後取り返しがつかない。一度雑にやってしまうと、その曲を上達させるのは非常に難しくなる。

これは、一度完成させたと思った曲を、長期に渡り弾き続ける場合も同様である。完成したと確信した瞬間から、下降曲線である。楽器の演奏に完成はなく、日々変化する。時間がない、気分が乗らない、機嫌が悪いなどなど、雑に弾いてしまうくらいなら、弾かない方がマシである。音楽は非常に繊細であり、一旦崩れ始めると、あっという間に崩壊してしまう。維持するのは新曲を上達させるより、遥かに神経を使うのである。

2、完成度を上げるには、練習法が肝心
最初から最後までひたすら両手で弾き通すというのは、最も効率の悪い練習法だ。曲の中には弾きにくい部分というものがあり、そこに時間を投入しない限り、その箇所が置いてきぼりになる。片方の手が極端に弾きにくい音型であれば、そちらを重点的に練習する。リズムが取れなければ分解して組み立て直す。速いパッセージが綺麗に収まらなければ、弾けるテンポから始める。基本的に、どんな音型もテンポを落として最小単位まで分解すれば必ず弾けるのだが、この作業は結構面倒なので、特に年齢が小さいとあまりやりたがらない。

ピアノで速いパッセージを流暢に弾くために、リズム練習というものがある。個人的には、これは巷で言われている程効果がないのではないかと考えている。理由のひとつは、やっつけ仕事になってしまいがちで、音を聞かずに、ただ指をひたすら動かすようなやり方になってしまうからである。またその結果、フレーズを意識しないような弾き方に誘導されてしまいがちだからでもある。

3、頭の中のイメージに合わせる
料理を作るとき、何を作るか決めてから始めるのが普通だ。それに合わせ材料を準備し、切ったり炒めたり煮たりしながら、時には味見をしつつ完成させる。一曲マスターするのもそのステップと似ている。完成イメージが漠然とし過ぎていると、そもそもどう弾いて良いかわからなくなる。具体的には、例えば、フレーズの作り方が決まらないと、それに合わせた運指が定まらず、何度もやり直しをする羽目になる、といったことだ。

最終形を描いてから、そのイメージに合わせて練習すると、無駄も少ない。材料を買ったけれど結局使わなかった、ということにならずに済む。何か違うと思ったら、味見して少しずつ修正すれば良いのだ。行き当たりばったりに譜読みするより、全体像を描いてから取り掛かる。これは手っ取り早く音源を聴いても良いのだが、出来れば自分で楽譜を読みたいところ。もし譜読みが苦手で一人で楽譜は読めないという場合、いくつもの違う演奏を聴いてみることだ。同じ材料と同じプロセスで作った料理でもひとつひとつ違うように、同じ楽譜から生み出された生きた音楽も、味わいが異なる。

楽器の一番の面白さは、上達のプロセスそのもの。すぐには思い通りにいかないことが多いが、だからこそ飽きず、生涯を共に出来る。

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