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家族とマスターソウルの話。

最近、夜散歩に出ることが多くなった。運動というよりほとんど気分転換の域なんだけど、住宅地を歩いてコンビニなどのある近所をぐるっと歩き、違う道で帰宅するだけなんだが、自分の近くに自分とは全然違うそれぞれの営みがあることが、なんだかとても嬉しいのだ(引きこもりの末期症状かも知れない。笑)
どうにも人付き合いは苦手だし、家族とは一緒には暮らせないのだけど、人が嫌いなのではないのだ。ただ、近づきすぎると苦しい。これはもうどうしようもないぼっち精神なのだろう。

自分が今の部屋に引っ越してよかったことのひとつは、住宅地なのだけど自分の家の周辺はとっても静かなことだ。大きな道から少し離れているので車もさほど通らない。朝は鳥の鳴き声で目が覚めるし、夜はほとんど無音に近い。住人も静かなので本当にありがたい。
なんとなく散歩しているとそれぞれの家が目に入る。別に観察している訳ではないけど、その家の人の暮らしぶりがうかがえて面白い。ごちゃごちゃと散らかっている家、戦前とした家、なんだかほっこりするかわいらしい家…。
住環境はとても大事だ。私は家を所有したい欲求が皆無なので賃貸が好きなのだけど、快適に暮らしたい欲求は存分にある。

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子供の頃、自分のプライベートやプライバシーというものが一切ないような暮らしだったので、大変苦痛だった。今こうしてほとんど誰にも会わずに暮らしても楽しく過ごせるほど、パーソナルな空間が大事なのにも関わらず、私には個人の部屋がなかった。というか、たぶん空間の使い方が下手で、ものを捨てる習慣がなかったので、ものの上にさらにものを積み上げて、さらに積み上げて…といやってるうちにごちゃごちゃのカオスな部屋が何個もあった。

ものに占領され、人間はわずかなスペースしか使わずに狭い思いをしながら暮らすという本末転倒な家だった。片付けが下手というレベルではない。汚部屋だ。



多分、内面のカオスさがそのまま家にも反映されたのだろうと思う。近距離別居をした父と母は、そのまま10年以上近距離で子供を育て、離婚したものの、財産整理で折り合いがつかず、結局離婚した今も近距離のままだ。そのどうしようもなくどちらにも進めない中途半端で未整理な内面がそのまま家にも現れていた。いや、多分、今も。


離婚して再婚するなりなんなりして、お互いさっさと幸せになる選択もあったのに、それを選ばなかったのは二人の意志であり選択なのだ。私にはどうすることもできない。「子供がかわいそうだから」ともっともらしい言い訳をして自分の人生を選択することから逃げたことを、私は知っている。そういう時だけ都合よく子供を利用し、隠れ蓑にしたことを私は知っている。子供のせいにしたことを知っている。
何度も何度も、「離婚していいよ」「好きにしたらいいよ」と言っても聞く耳を持たず「慎重な判断をしないと」と先延ばしにしてあらゆるチャンスを踏み潰したのは自分自身なのだから。仕方がない。


それなのにそんなことすっかり忘れて「私は家の犠牲になったけど、私のぶんも幸せになってほしい」的な意味不明なお涙頂戴の茶番をするのだ。そのくせ、真に誰かが幸せになることを願ってはいない。自分より幸せそうなら毒を撒いて邪魔をする。引き摺り下ろす。相手がおかしいことにして心配だと言って否定する。気に入らないと大騒ぎする。誰に対しても自分のが上だと思えないと気が済まない性分なのだ。醜悪なことだが、そういう人だ。
ただただ自分自身への不誠実しかあそこにはなかったのだな、と思う。救いようのない、奴隷の世界。



親と戦ってはいけない。戦ったところで無駄だし、絶望が増すだけだ。さっさと逃げて、幸せになってしまう方がいい。まともにやり合うだけ無駄なのだ。
どだい不利な戦いなのだ。例えば、家を出たい時「心配だ」と言ってあれこれ口を出してくることも、側からみれば「親に愛されてるんだね」と周囲には映る。そうではなく、単に自分の都合よく支配したいだけなのだが。そのように周りは見てくれない。逆に、「お母さんの気持ちをわかってあげなよ」とか意味不明な説教が始まる。地獄だ。
自分の意見を言えば「生意気だ」となり、潰しにかかってくる。「金を出さないぞ」とか「〇〇に言いつけるぞ」とかほとんど小学生レベルのゴリ押しになり、話し合いなど出来はしない。時間の無駄だ。
さっさと自力で部屋を見つけ、さっさと自分で荷物を運び、さっさと暮らし始めるしかない。出来るだけ他人行儀に接するほかない。


というか、やはり他人なのだ。血縁というのは。
血縁は家族でも何でもないのだ。こういうと混乱するだろうか。でもそうなのだ。
私の出自は、彼らの出自やルーツとは何の関係もない。ご縁なんてものはそもそもない。ただの輪廻の腐れ縁。

よく「あなたと親は前世は〇〇で一緒だったみたいよ」とか何とか前世を見る人いるけど、それって地球に生まれてからの話だし、そもそも前世なんて膨大にあるし、なんならそれって輪廻でしょ?輪廻の間に幾度か接点があったことを縁が深いと誤解しては困る。それは単なる腐れ縁だ。
たしかに、肉体が成熟するまで群れの中で育ててもらった。それはそれで感謝している。だけどだからといってそれは家族ではないし、うちの場合は群れにいるなら群れのルールに従えというボスが親だっただけで、そこには愛なんてなかったのだから。群れからは離れて一匹狼になっても特に問題はない。



家族というのは本来であれば、魂の繋がりある存在のことを指す。例えば、同じマスターソウルをルーツとする者たち。同じ種族。同じ性質や特徴を持ち、だけどそれぞれに個としての意識もある存在たち。私とルーツを同じくする存在たち。
それを本来は家族というのだ。
私が言っているのは地球に生まれるより前の話だ。輪廻を挟む前の、もともとの出身地。それがどこであろうといいのだけど、そのもともとの出身地こそが自分のルーツなのであり、地球上での何回かの生を切り取って「自分のルーツだ」と誤解してはならない。

だから、地上に自分の家族がいないことだってある。それはそれでいいのだ。地上にいようと宇宙にいようと、家族とは繋がりがあるのだから。というか、その繋がりを断たれたと思い込むバグがまさしく輪廻であり、繋がっていないのではないのだ。いつだって存在している。ただ、感じ取れなくなっているだけで。自分はひとりだと思い込んでいるだけで。


私に対して、宇宙の集合意識の存在たちが「暗い場所にいてはいけない」と言っていたのはそういうことだ。繋がりを絶たれたと思い込んで取り乱してはいけない。あなたは何も失っていないのだから。そういう意味だったのだと思う。


家族の話は何度でも繰り返し書くが、今のその血縁の家族は、本来家族でも何でもないただの群れだ。群れで愛情や信頼がなかったとしても気にしなくていい。
さっさと群れから出てしまおう。
血の繋がりを家族だと誤認したままでは、あなたは本当のあなたになれない。愛なんて見つからない。その群れの中のルールを正しいとしなくていい。群れの中にいるために自分を矮小化しなくていい。
群れの誰よりも大きくパワフルであることを、本来のあなたは自覚しているのだろうから。さっさと出て、さっさと模倣してしまった部分を破壊して、誰にも似ないあなた自身であろう。


だから今後はどんどん世襲とか家業とか、どんどんなくなっていくし、どんどん形態が変わってくるのだと思う。今ももう跡継ぎがいなくて廃業する店もあるけど、それでいいのだと思うんだよね。もちろん名店がなくなるのは惜しいとも思うが、それはそれ。家業だからと自己犠牲して家を継ぐなんてナンセンスすぎるでしょ。
だってそこはあなたのhomeじゃないし、相手は単なる他人。彼らの人生は彼らの人生。あなたの人生はあなたの人生なのだから。終わるなら終わりにしてしまうことが、先祖のカルマごと浄化することだってあるのだから。
終わることを悪いこと、続くのがすごいこと、みたいな思い込みに支配されていると自己犠牲をしてしまうから。
愛のないものは壊れる。本質的でないものは壊れる。むしろ壊れていいのだ。世界は常に変化していくものだから、どのような変化も厭わずにいれば、何にでもなれるでしょう?
本来の、無限の存在であるあなたならば。


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