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お葬式:2

最近は「お葬式はやっていません」という話をよく聞きますが、お葬式は必ずやってあげてください。
盛大な(=お金をかけた)お葬式をすれば、亡くなった方が成仏する訳ではないので、こじんまりとしたものでもいいから、やってあげるべきなのです。

理由は、まず、残った家族・親戚・縁者が「これから、みんなで力を合わせて生きていこう!」ということを確認する場になるからです
人間は1人で生きてはいけません。必ず誰かの力を借りないといけない時がきます。その時に「血の縁」というのは、(きちんとした付き合いをしていれば)絶対に見捨てないのです。
「自分たちには血の縁がある」ということを感じるのが、結婚式であり、お葬式であり、年忌供養なのです。

もうひとつは、亡くなった人の人生を偲んで、人生の儚さと大切さを知るきっかけになります
「自分もいつか、こういう時がくる」と、普段なかなかなれないような心境になります。残った人生をどう生きるか、ということを考えるきっかけになります。
特に子供には、悲しいかもしれないけれど、大好きだったおじいちゃんや、おばあちゃんが亡くなってしまったという意味を感じることは、消えていく命と、自分の溢れ出る生命力とのギャップの中で「生きる」という意味を知るのです。

最後に、これが重要なのですが、亡くなった人に「もう自分は死んだんだ」ということを認識させないと、その方はこの世に留まってしまうからです。この世に留まるということは、あの世に渡ることができず、生まれ変わることが出来ないからです。
死を認識していないという現象は、事故とかで一瞬で死んでしまったり、亡くなる数日前から昏睡状態で、そのまま息をひきとったという場合に多いようです。
私は、一度医学的に死を迎えて、戻ってきた人たちの話を数人から聞いたことがありますが、その人たちは自分が宙に浮いたり、瞬間移動のように、あちこちに行っても「死んでいる」とは、全く思わなかったそうです。
※「あの世」とか「生まれ変わり」については、別の機会に経験を含めてお話したいと思います。

家族にとっては「たとえ亡くなっても、そばにいて欲しい」と思うかもしれませんが、それは残った人の幸せであって、亡くなった人の幸せは、早くあの世に戻って、魂を浄化して生まれ変わることなのです。
生きている人の幸せのために、亡くなった人の幸せを奪ってはいけないのです。
時々、別のご相談で家に伺った際に、異様な気を感じることがあります。
だいたい、お葬式をしていない家です。

そして、お葬式は、その家の宗の作法で行わないといけません。なぜなら、先祖は(亡くなった本人も)「その宗派で祀られる」と思っています。
それを変えるということは「宗派変え」という、先祖にとっては許しがたいことになり、3代くらいあとに大問題としてはね返ってくるからです。
これは現象が決まっていますので、すぐに「宗派変えがあったはず」とわかります。

宗派変えには思いもよらないものもあり、本人にはその意識はなくても、結果的に宗派変えしてしまっているものが結構あって、消去法で事情聴取をしていくと、お葬式がそうだったということがわかるということです。
ですから、お葬式は正しく行わないといけません。

締めくくりに、重要なことをお伝えします。

それは、お葬式は現世に決別し、あの世に旅立つ儀式であって、「成仏」は別問題だということです。
これは、あるメジャーな宗派の本山が、ある修行僧の質問に(信者には絶対に言えませんが)答えた話です。
その時のお葬式についての回答は「仏様の弟子になる(=死を認識する)儀式であって、成仏とは別問題」と言われたので「では、どうやったら成仏できるんですか?」と訊いたら「そんな、わからないことを聞くな!」と言われたそうです。

そのこと、つまり成仏については、別の機会にお話しようと思います。

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