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ライフセーバーのイノベーション

先日、江ノ島に行った。少しだけ海を見て、すぐに帰るマイクロツーリズム。ここ数ヶ月まともに出かけなかったため、肌の色もだいぶ白くなっていた。外を照らす太陽の日差しがもったいなく感じられた梅雨明けのある日、少しだけ罪悪感を感じながら小旅行に出かけてみた。不要不急の外出を避けるようにと言われていたが、そこには大勢の観光客が海水浴を楽しんでいて、コロナの感染拡大が治まった別の世界線に迷い込んようだった。

海水に足を浸しながらコーヒーを飲んでいると、少し離れた場所にカラフルなポロシャツを着た筋肉隆々の男性がいて、海の向こうをずぅーっと眺めていた。ライフセーバーだ。

一昨年の夏は確か海に来たけれど、見た記憶はなかった。多分視界には入っても、意識には上がってこなかったのだろう。コロナの感染拡大の影響で、医療従事者や物流関係者など、私たちの命や生活を守る人たちへの注目が高まっている。そのせいなのか、名の通り海難事故から人々の命を守る「ライフセーバー」から、しばらくのあいだ目が離せなかった。

「ライフセーバー」。とても印象的な名前。生命を守る・助ける人。救命行為をする人。ライフガードとも言う。溺れて命の危機に瀕している人に、浮き輪を与え陸に引き上げる。これはとてもわかりやすい救命行為だ。その職務の名前が「ライフセーバー」と呼ばれるのもうなづける。しかし、医者や看護師などの医療従事者だって、生命を助けている。医薬品や食料を滞りなく届ける物流の担い手だって、間接的に生命をつなげる行為だ。そう考えれば、ほとんど全ての社会的行為は、生命を育むライフセービングな行為であると言える。

そんなことを夏の日差しに照らされながら、モヤモヤと考えていた。そして、社会の荒波に溺れそうな人に浮き輪を差し伸べられたら、この世の中も、もうすこし生きやすくなるのかな、とふらふらとした頭で考えた。

水に溺れれば、空気を求めて手足をバタつかせ、水しぶきを上げて水面に出ようとする。心の闇に溺れてしまった人がサインを出してくれたなら、助けられるかも知れない。

ここ5年間の夏季水難事故死亡者数は毎年約250人。

一方、鉄道事故死亡者数はここ数年1100人前後。

別にこの数字をもとに、死亡者の数を天秤にかけたりするつもりはないが、この社会で生きることに疲れてしまった人々へ差し伸べられる浮き輪の数は、圧倒的に不足しているように感じる。

半分冗談だが、半分本気で、ライフセーバーの新しい役割を考えてみた。通勤通学でしんどくなってしまった人を助ける、駅のライフセーバーだ。

1駅のライフセーバー

通勤通学中、急にしんどくなってしまう時があるかもしれない。でも、近くでこんなマッチョが見守ってくれれば、なんだか笑えてこないだろうか。しんどくなってしまった人々の出すサインを見逃さないよう訓練されたライフセーバーは、あなたのため息一つ見逃さない。

2大阪の走る監視員

酔っ払って帰る終電間際、気持ち悪くなって柱に体を支えながらフラフラしているところに、ライフセーバーがこんな勢いで駆けつけて水を渡してくれたら、明日も頑張れそうな気がしないだろうか。精神の疲れはもちろん、体の疲れも気遣ってくれる、優秀なセーバーだ。

3川崎セーバー

遠くでライフセーバーがダッシュしているところを眺めていたら、「あのセーバーは今、誰かを助けてあげているんだな」「自分がしんどくなった時も、きっと彼は私を助けてくれそうだな」と安心できないだろうか。

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もちろん背広に身を包んだ駅員の方々も頼り甲斐はあるけれど、ほぼ全裸でマッチョな男がホームにいたら、元気が湧いてこないだろうか。

5深田セーバー

こういうプールの監視員も、ありですよね。

私からは、以上です。