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今成浩司半生を語るインタビュー2021/11/16(1)

浩司 最近仏像作ってんだよ。

ー  なんで作り出したの?

浩司 作りたいから。べつになんとなくよ。

ー  仏門に入るの?

浩司 入るわけではないけど。(笑)

   石粉粘土でつくってんのよ。

―  心境の変化があったんですか?

   前は煩悩の塊だったのに。

浩司 今も煩悩の塊ですよ。

   今日さ。みんなに無視される夢見てさ。

   この前は所さんと記念写真撮る夢みて。

―  走馬灯かもよ。

浩司 そうかもね。

ー  さ、ということでね。

   半生を語っていただきますが。

浩司 いいですよ。

ー  お生まれは?

浩司 大塚病院です。

ー  四谷大塚の?

浩司 そう。 ばあちゃん巣鴨だったから。

   最初は親が笹塚住んでて。

   そんで俺が二歳くらいの時に秦野の団地行ったの。

   そのあとこの人(正和)が生まれて。

ー  おやじはホテルマン?

浩司 おやじはずっとホテルマン。

ー  なんで秦野に行ったの?

浩司 安かったんじゃない?公団で。

   昭和40年代くらいでみんなはいれたんじゃないかな。

ー  どんなお子さんでしたか?

正和 こいつはおれより勉強ができたな。

浩司 神童ですよ神童。

ー  ほんとですか???

浩司 いやこいつはほんと勉強できなくて学習障害だったから。

ー  あなたはできたの?

浩司 おれは勉強結構できたよ。

ー  なにが得意科目でした?

正和 頭痛だな。(笑)

浩司 そうだよ三歳くらいからずっと頭痛くて。

   物心ついた頃から目の奥が痛くてね。

ー  ナイトヘッドみたいですね。

浩司 そういう感じよ。(笑)

ー  そんで得意科目ですよ聞きたいのは。

浩司 えーと体育は苦手だったね。

ー  スポーティーな感じじゃなかったのね。

浩司 球技が苦手でね。足は速かったよ。

   リレーで県大会二回優勝したもん。

   中学の時に陸上部入ったんだよ。

   そんで足折れてやめたんだもん。

ー  ローキックで?

浩司 いてえとか言ってね。(笑)

―  カーフキックでね。

浩司 だいぶ昔よ。(笑)

ー  何中だったんすか?

浩司 大根中です。ダイコンとかいておおねちゅう。

   朝練して放課後練習して。100メートル10本とか走ってたもん。

ー  なんで折れたの?栄養不足?

浩司 そうかもね。

   若い夫婦だったから栄養価とか考えてない食事だったからね。

   こいつ(正和)はタンパク質足らねえとか言って怒ってたよ。

ー  そんで足折れてぐれたの?

浩司 おれはぐれてないよ。 悪い人いっぱい知ってるだけで。

   ぐれたのはこの人(正和)だよ。

   モヒカンにしてたもん。

ー  北斗の拳好きだからじゃない?

   浩司は悪いから正和さんも悪くなったんだと思ってましたよ。

浩司 俺はヤンキーじゃないよね。

正和 そうヘビメタ少年て感じだった。

浩司 足折れて大会も出れないから怖い顧問の先生にやめるって言って

   それで友達に誘われて科学部入ったのよ。やる事ないし。

   それで石鹸作ったりしてたんだけど面白くないからそれもやめて。

   中一の時の先生がテニス部の顧問だったから

   ちょっとテニス部に入るんだけどその頃から腐りだして

   朝からテニスなんかやりたくねえって言ってそれもやめて。

ー  陸上やめたのはいつなの?

浩司 一年の夏ごろよ。

   その頃にヘビーメタルブームが来るわけですよ。

ー  ビートルズが武道館来てね。

浩司 メタリカですよ我々の世代は。

   それでメタル少年になって楽器弾く様になって。

   周りもみんなメタル聞いて楽器やりだして。

   この人(正和)もベース弾いてたよ。

   俺の二個上にルナシーのメンバーが二人いて

   イノランさんていうギターの人がいてその人の弟がこの人(正和)と

   仲良くてよく家に遊び行ってたのよ。

   それで高校になってカラミがあるんですけど

   その頃メタリカがグラミー賞で演奏するビデオがあって

   17歳の俺は学校から帰ったら毎日見てたのよ。

   それである日帰ったらテープのツメのところにテープが貼られてて

   再生したら牧瀬里穂のCM集が上書きされてたんだよ。

   この人(正和)が牧瀬里穂好きで。

   そんでどうなってんだよってけっこう殴って

   もう出てけよお前って言ったのよ。

   そんでこの人が行くとこないからイノランさんの家に

   行って泊めてもらったのよ。

   そんで学校でイノランさんに声かけられて

   「お前弟が家出しに来たよ。

    可哀想だから珈琲出してあげたよ。」

    って言われてだから

    ありがとうございます!

    とか言ってて、そういう青春時代でした。

ー   そんで高校は?

浩司 近くのとこよ。

   先輩にルナシーいたからそこ行きたくて。

   勉強しなくても入れたから。

   高校はずっと軽音楽部入ってたよ。

ー  バンドはやってたんですか?

浩司 組んでたよ。同級生と。結構うまかったよ。

ー  ライブとかは?

浩司 先輩とかはやってたけど

   おれたちはいかんせんボーイスカウトやってたからね。

   それで思い出したけどその頃のボーイスカウトで

   大島に行ったんですよ。

   それで台風がきちゃって帰れなくなって

   もう一泊テントに泊まったんですよ。

   それで帰ってきたら友達が来て

   「ルナシーがライブの前座がいないから出てくれって

   言われたけど今成がキャンプでいないから断ったんだよ。」

   って言われて

   おれなんでボーイスカウトやってんだろうって思って。。。

ー  楽器に夢中でボーイスカウトなんかやらねえって

   ならなかったんですか?

浩司 父親には行く様に結構言われて

   ボーイスカウトにはいかつい人がいて楽しかったりしたけど

   まあそれでなんだこれってなっちゃってね。

   それが高1か高2の時で。

   それで正和もやめて。

正和 俺は腰が悪いからやめたんだよ。

浩司 そう入院めちゃめちゃ付き合ってね。

   クリスマスで入院した時あったね。

正和 ワイヤー入れたりそれが切れちゃったりして結構病院いたよね。

浩司 ○○の看護士がいたよね。

正和 ああそうだね。

浩司 箱根だっけ。

   うちの家族では有名だったよ。あの人○○だよねとか言って。

   その人が積極的に下のお世話をしてくれて

   この人がすごいやだっていっちゃってねえ。

ー  その頃はじゃあギター少年って感じですか?

浩司 まあとにかく堕落してたね。

   ボーイスカウトやめて部活って言っても文化祭とかで

   ちょっとやるだけで。

   学校行ってもかったりいなあって言って

   学校の隣に翁って定食屋兼タバコ屋があって

   そこに10人位で入り浸って先生来たら逃げる感じで。

ー  昭和の話ですか?

   平成初期ですね。

浩司 まあビーバップみたいなヤンキーじゃないけど

   みんなそんな感じだったよ。

   あとになると堕落してたなって思いますよ。

(続く)


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今成浩二

もうすぐ50歳のヒロブラジリアン柔術アカデミー黒帯

今成正和の実兄


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