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自己肯定感の低さと、自らにかけた呪い、関わる人たちへ一言。

 つかれがとれない。

 今月は、ずっと身体が思うように動かず、積み重なる業務を行う気力体力が取り戻せずに、非常にきつい状態が続いている。

 このつかれは、いわゆる『疲れ』ではなく、『憑かれ』に近いものだと思う。なんらかの顕在化していない、目に見えない問題が今、僕の全身にのしかかっていて、その呪いを解いていかなければ、これ以上は前に進めない状態にまで、心身ともに追い込まれているのである。

 必要最低限の稼働以外、明らかにパフォーマンスが低下しているので、久しぶりに自己治癒的な意味合いで、まずは全てを後回しにしてnoteを開いている。

 結論、今の僕は、蓄積した由無し事のために、控えめに言って傷ついていて、モチベーションに関わる心の奥底のやわらかい部分が損傷しており、回復が必要な状態にあるといえる。

 しかし、果たして、こんな状態まで自分を追い込んだものは、一体何なのか、その正体をうっすらとでも掴んでおきたくて、今回、恥を忍んで、赤裸々に、文章にして整理してみようと思った。

自己肯定感の低さについて

 僕は、かなり自己肯定感が低い。

 大学時代に、三年間も留年を繰り返し、インターン先で会社ぐるみのいじめを受けて鬱になるなど、派手に失敗した経験から、自分自身を、社会的価値のない、マイナスの存在だと思い込むようになったのだ。

 そのため、社会人になってからは、どうにかして自分を認めてもらうために、過剰に人や組織に奉仕する悪癖が身についてしまった。そして、そのたびに疲弊して、ぶっ倒れることを繰り返してきた。

 31歳まで、サラリーマンとして働き、社長や上司に認めてもらうために、過重労働を繰り返して、その代償として、ヘルニアを患ったり、髄膜炎に罹患したり、散々な思いをしてきた。

 とにかく、他人のために、自分の持てる全てを差し出さなければ、自分が生きる居場所を与えてもらえないのではないかと、思い込んで生きてきたのだ。

サラリーマンからフリーランスになり、自己肯定感の呪いからは解放されたかに思えた

 31歳まで、自分を不幸にし続けた、自己肯定感の低さからくる過剰奉仕の呪い。その呪いから解放されるべく、僕は東京都港区在住のサラリーマン生活を引退して、一転、地元に帰って、32歳で地方在住のフリーランスになった。

 フリーランスという新しい働き方は、疲れ果てた僕にとって、非常にありがたいものだった。凝り固まった人間関係に媚びを売る必要もなく、遠隔のリモートワークで働くことができる。成果物の内容さえ良ければ、継続で依頼をもらえる。働けば働くだけ、収入もアップさせることができる。

 フリーランスになって、自由な仕事のスタイルを確立することによって、僕は、使い古されたサラリーマンだった過去よりも、明らかに生きやすいポジショニングを、なんとか社会の中に作り出すことができた。

 もともと、過剰奉仕型の人間であるため、仕事はどんどん増え、収入もサラリーマンの頃から比べれば、ほぼ倍近くまでアップすることができるようになった。

 僕は、フリーランスになることで、自らが持つ本来の能力を多少なりとも発揮し、小さな穴に細い糸を通すことに成功した。過去の自分のコンプレックスをかなぐり捨て、新しい自分の生き方を手に入れ、一段階、自由になることができたのだ。

 自己肯定感の低さから生まれた呪いを解き放ち、僕は幸せになるはずだった。——しかし、今は、何かが明らかにおかしい。一体、何が一番の問題になっているのだろうか。

広がる人間関係と格差。再び蘇る、自己肯定感の呪い

 僕は、フリーランスの仕事がスケールするのに従い、地方在住フリーランスを辞めて、東京に再び主戦場を戻す選択肢を選んだ。ちょうど、今から一年ほど前のことだ。

 東京都目黒区に新しく小さな部屋を借り、そこを拠点とすることにした。色々とご縁があり、今までフリーランスとして受けていた仕事に合わせて、インフルエンサーやYouTuberなど、世の中に名を馳せるクリエイターを集めて事業を起こすプロジェクトの初期メンバーにアサインされることになった。

 そのプロジェクトに参画したことにより、出会う人たちが、自分よりも明らかにスペックの高い人たちばかりになっていった。多額の収益を上げる会社の代表、人気を集める著名人やインフルエンサー、トレンドのSNSを操る能力に長けた若手など、地方在住フリーランスを続けていたら、一生会うことはなかったであろう人たちと、身近な交流を行うようになった。

 そのような仕事柄となったため、既存のフリーランスとしての在宅ワーク以外に、プロジェクトに関わる人たちと交流をするための社交も、仕事の一環になった。それに伴い、地方在住フリーランスの頃には足を運ぶことがなかった、新宿歌舞伎町のような歓楽街にも、頻繁に出入りするようになった。

 一時期は、それこそ毎晩のように街に繰り出し、多額のお会計が必要なお店で、記憶を飛ばすほど酒を飲み続けた。地方在住フリーランスの頃は一晩でせいぜい数千円払えば十分だったはずの飲み代が、東京の街で飲み歩くうちに、いつのまにか数万円以上に膨れ上がっていった。ひと席で十数万円以上の会計がかかるようなお店にも、仲間たちについていき、平気なふりをして出入りしていた。

 明らかに、身の丈を超えたような場所に、無理をして足を運んでいた。

 そのような生活をしていれば当然、収入はほとんど、社交のための交際費に消える。サラリーマンの頃と比べて収入がアップしたからといって、月に何百万、何千万も利益を出す事業者たちと一緒に肩を並べて金を出せるほど、一匹狼のフリーランスは儲かるものではない。スケールが違うのだ。

 ——そのような暮らしを繰り返すうちに、いったん克服したかに思えた、自己肯定感の低さから生まれた呪いが、再び蘇り始めた。

 とにかく、周りに自分を認めてもらわなければ、居場所がなくなると思った。だから、出会う人たちとの社交の場では、できる限り平等にお金を払い、お祝いなどの義理ごとにも積極的に参加し、後輩であれば、ほとんど無条件で奢るのが当たり前のような飲み方になった。

 過去のうだつの上がらない自分を乗り越えて、せっかく新しく築いてきた、フリーランスとして生き残ってきたタフな自分のイメージを、なんとか周りに認めてもらうために、僕はそんなやくざ暮らしを維持せざるを得なかった。

 明らかに、自己肯定感の低さから生まれた呪いが、自らの首をぎりぎりと締め付けていた。

社交の場で楽しいふりをして、部屋で塞ぎ込む日々

 上記のような暮らしを続けるうちに、自分の好きなことに使うべき時間やお金は、ほとんど他人のために使うようになっていた。それ以外の時間は、ひたすら過酷な量の仕事に追われる。

 フリーランスで受けている仕事のメインは、精密なアウトプットが要求されるSEOライターとしての執筆業務や調査・ディレクション業務であり、酒が残っていたら、まったく手がつけられないようなものばかり。当然、深夜から早朝まで社交の場に顔を出していては、翌日のパフォーマンスは落ちるばかりである。

 しかし、暮らしぶりが無茶苦茶だから、とにかく稼がなければいけない。だから、仕事の数を減らすわけにはいかない。稼ぎの良い仕事を断れば、翌月の交際費のサイクルが滞るかもしれない。そうなってしまったら、周りにいる仲間と同じようには店に行けなくなるかもしれない。あるいは、後輩に飯や酒が奢れなくなるかもしれない。そうなれば、しまいには自分に価値を感じてもらえなくなる。そんな強迫観念にも取り憑かれていた。完全に、自己肯定感の低さから生まれた呪いに蝕まれていたのである。

 ——よくよく考えてみれば、正直、この一年は、ほとんど他人のために生きているようなものだった。

 昨年までは毎日更新していたnoteが、今年まったく書けなくなったのも、実際のところ、こんな暮らしを続けていたからだった。文章を書けば、自分の暮らしの不満や矛盾、心の内のひどい有様が、周りに伝わってしまうように感じていた。だから、そのような文章は、恥ずかしくて書けなかったのである(今日はそのような恥をかなぐり捨てて書いている)。

 地方在住フリーランスの頃は、仕事で疲れると、気分転換によく国内を自由に旅したものだ。出張の仕事も多かったので、新しい景色を見ながらリフレッシュをして、翌日には気持ちを切り替え、新しい仕事に集中することができた。

 しかし、今年は、リフレッシュのための旅行に行く金も時間も、ことごとく社交のために消えていった。現在の唯一の趣味だと言えるYohji Yamamotoのお服のコレクションだって、もちろん何点か新調はしているけれど、もっと良いものを揃えることだってできたはずだ。地元で暮らす家族にも、色々と還元できたに違いない。それなのに、社交に囚われ、街のシステムに囚われ、その場かぎりで、金も時間も泡のように消えていく。歓楽街で次々に行われる義理ごとに顔を出し、その度に多額のご祝儀を置いていく。他人の義理ごとの出費に齷齪(あくせく)するなんて、まるで昔のヤクザ者の暮らしぶりそのもののようで、本当に情けない限りである。

 ——結局、それだけ他人の義理ごとに身体を使っても、手元には何も残らず、たいしたお礼の連絡や、謝礼をもらうわけでもなく、翌朝、身体には気だるい酒気だけが残り、社交の場では散々楽しいふりを演じて、部屋ではうなだれて塞ぎ込む日々。

 周りの人間は、同じように酒を飲んでいても、歓楽街で儲かるシステムを持っている人間たちや、あるいは、その場で飯や酒を奢られて得をする人間たちが多い。

 ——しかし、僕は違う。僕は、自分の血肉を削り取って書いて得た金と貴重な時間を、ただただ消費されている都合の良い人間なのだ。そして、人知れず抱えた心の負債を、誰にも共有することなく、また、翌月の社交のための経費を稼ごうと、ひたすらに血みどろになりながら働く。

 僕は再び、自己肯定感の低さから生まれた呪いに取り憑かれ、殺されかかっていた。そして、今月、はっきりと悟ったのだ。これ以上はもう、この暮らしを続けたくない、と。歓楽街のシステムや、礼節のないその場限りの人間たちを喜ばす金を稼ぐために、僕は身体を使っているのではない。

 僕は、僕自身の未来のために、この街に出てきた。

 2020年は、本来の目的のために、人間性を取り戻す。

 そのためなら、どれだけ犠牲を払っても構わない。

 僕は、物書きである。物書きとしての使命を必ず果たす。

関わる人たちへ一言。毒を含むので、閲覧注意

 ここまで、いろいろと書きながら、自分の感情の動きを整理してきたのだけど、何が問題であるかは、かなり明確になってきた。

 結論、僕は今後、歓楽街のシステムや義理ごとの関係を保つために、一切無駄なお金は使わないし、それは他の場所でも同様である。本当に意味のある場所でしか、自分の金と時間を使わないと決めた。だから、今年と同じような付き合い方は、以後しない。

 少なくとも、ここまでこの文章を読んだ人は、どうか僕に対して、惰性では声をかけないでほしいし、付き合いの長短にかからわず、2020年は心機一転、新しい人間関係を構築していきたいと思っている。

 離れていく人たちがいるなら、それは仕方がないし、それでも僕と交流を個人的に持ちたいと思ってくれる、誠実な人たち以外とは、もう関わりたくない。

 あと、ここでひとつ、毒を吐いておく。

 以下で書く内容は、特定の誰か一人に向けた文章ではないし、水商売をしている人自体を貶したいわけでは決してないことは前提として理解してほしい(水商売の業界には、尊敬すべき人たちもたくさんいる)。しかし、以下の文章を読んで、もしも何か気に障ったり、何か思い当たることがあったりする人がいるなら、今後は間違いなく決別していくことになるだろうし、生き方も考え方も働き方もまったく違う人種なのだろうと思うので、そこのところは理解いただいて、適度な距離を保っていただきたい。

 僕が、物書きという性格柄、他人への理解が早く、かつ過剰奉仕する性分であることにつけこんで、僕に対して、まるで水商売の同業のように接してきたり、水商売の常識を押し付けてきたり、好意に甘えて適当に仕事したり、馴れ合いを求めてきたりするケースがたまにあるのだけど、お前らは馬鹿なのかな? 俺がお前らに、フリーランスとしての哲学や、物書きとしての生き様や、社会人としての仕事の流儀や常識を押し付けたことが、一度でもあるか? なぜ、お前らは、俺の苦悩や内面をひとつも理解しようとしないくせに、俺に対して、お前らと同じ価値観を要求することができると勘違いしているの? この手の勘違いをしている想像力のない人間たちを、申し訳ないけれど、僕は心底、軽蔑している。俺は、お前らとはまったく違う仕事を生業にしていて、まったく違う思考回路を持ち、まったく違う未来を描いている、まったく違う人間なので、そういう当たり前のことすら想像できない馬鹿とは、絶対に付き合うつもりはない。どうか、そんな人たちは、水槽みたいに小さな歓楽街の水の中で、感性をどんどん濁らせて年老いて、僕の目に入らない場所でせいぜい威張って生きて、死んでいってください。

自己責任で首を括るくらいなら、器なんて小さくてかまわない

 僕のことを、外面(そとづら)でしか見ていなかった人たちが、今回、僕が書いた文章を読んだら、すごく驚いたり、がっかりしたり、呆れたり、馬鹿にしたりするかもしれない。

 でも、それでも、ぜんぜんかまわない。

 強いて言えば、外面で判断されるようにふるまっていた僕の責任である。

 だから、そんな方々は、どうか大いに僕を軽蔑していただいて、もっと外面をきらびやかにメッキしていて、金も時間も潤沢そうで、自分が得をしそうな人と交流することを選んでいただき、さっさと捨て置いていただいたほうが断然良い。

 今の僕は、もう、これ以上、これまでと同じような、バランスの壊れた無茶苦茶な暮らしをしたくないのである。

 まずは、目の前の仕事に最大限に集中し、失いかけている人間性を取り戻し、これまで体験した文脈をじっくり時間をかけて整理して、自らの作家性に還元していきたい。自分自身のために、そして自分がこれから愛する人たちのために、お金も、時間も、大切に取っておきたいのだ。

 僕がもし今、血を吐いて野垂れ死にそうになったとして、これまで金と時間をかけてきた人たちのうち、いったい何人が、僕のことを本気で助けてくれる?

 きっと、その人数は、僕が想像している人数よりも、ずっと少ないに違いない。もしかしたら、想像している人たちの中からは、誰一人、助けに来てくれないかもしれない。東京で生き残っていきたいなら、何に対しても期待してはいけない。血みどろになったとしても、自分自身でどうにかするしかない。

 だから、自己責任で首を括る羽目になるくらいなら、器なんて、小さくてもぜんぜんかまわないのだ。僕は、絶対に、生き残らなければならない。今、こんなところで、志半ばで、野垂れ死ぬわけにはいかないのである。

呪いを解くために必要なのは、大事な人たちの言霊

 このように、様々なストレスがかなり臨界点だったので、今回は、恥を忍んで、各SNSにはっきりとその旨を発信してみた。

 すると、ありがたいことに、温かい言葉をかけてくれる人たちが少なからず存在した。これは、ほんとうに僕にとっては救いであり、これからも、決して一人ではないのだと思わせてもらうことができ、今日こうして、心のうちを整理してみようという勇気を持つことにも繋がった。

 やはり、言霊はある。

 僕はこれからも、いただいた言葉を胸に、より良い未来をつくるために、自分自身の生き方を省みて、頑張っていかなければいけないと思っている。

 年末年始、仕事が滞り、非常につらい時期である。

 どうか、僕のことを少しでも大事に思ってくれる人たちがいるならば、これからも、助けてもらえれば嬉しい。もう、強がって無理をするのはやめようと思う。

p.s.

 今回、僕自身の持つ、良いところも、悪いところも含めて必要だと言ってくれた人が、一人いた。その言葉の温かさに、僕はほんとうに心が震えた。人間は、どれだけ生きても、どれだけ頑張っても完璧ではないし、生きることは苦しいことの連続。だからこそ、良いところも、悪いところも、共有し合って、そしてもっと良くなるように修正していけば良いのだ。すごく勇気をもらった。自己肯定感の低さから生まれた重たい呪いを、この人の言霊のおかげで解くことができるかもしれないとさえ思えた。この場を借りて、心からお礼をお伝えさせていただきたい。本当にありがとうございました。ぽろぽろと、心を取り戻すように涙が出たし、ものすごく嬉しかったです。

僕にとって、noteはやはり、心のキャンバス

 まとまりのない文章になってしまったけれど、気持ちが少し落ち着いたので、この辺りで今日は筆を置く。これから、業務に専念しなければならない。塞ぎ込んでいるばかりではいけない。今は前を向いて、仕事をする。

 それに、noteに書きたいネタも、ものすごくたくさん溜まっているのだ。特に、大好きな作家さんである「内田すずめ」さんのことを書きたい。あまりにも今の僕が疲弊しているので、まだ着手できておらず、ものすごく心苦しいのだけれど、これは年明け頃には必ず完成させたい。

 僕にとって、noteはやはり、心のキャンバスだ。

 今日は、殴り書きの、汚い色も混ざったマーブル模様の文章だったけれど、これが、今の僕の心模様そのものである。これからも、つらいとき、苦しいとき、嬉しいとき、お知らせしたいことがあるときは、必ずnoteを開くことになるだろう。どうか、これからも、よろしくお願い申し上げます。

狭井悠


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