夢を否定されたら、「よし!」と思えばいい 忌野清志郎 「ロックで独立する方法」 を読んで
自分にとって、忘れられない日は何かと聞かれたら?
自分の夢を初めて父に口にした時だった。
思い切って「俺は将来漫画家になりたいと考えている」と宣言した日。
すると父は、
「漫画家は食ってはいけないからやめとけ」
(パリン・ガシャーン)
当時の心境として、自分がずっと大切にしてきた宝石をハンマーで叩き割られた気持ちになった。
おそらく父の性格上、絶対この日は覚えていないと思う。
今では笑い話にできるけど、7年くらいはずっと父親を逆恨みしていた。
皆さんは将来の夢を否定された瞬間って覚えてませんか?
それは父でも、友達でも。
ただ今思えば、当時はSNSはなかったし、ここまで漫画家が市民権を得るとは僕も思っていなかった。父は、俺が通っていたボロボロの美術予備校の先生に話を聞きに行って、父なりに情報を仕入れた上での助言だった。
なので、今では美術予備校に通わせてくれてありがとうと言いたい。
でも、僕が今こういう前向き?な気持ちになれたのは、父ではない。
いろんな出会いのおかげだ。それは数えきれない本だったり、自分の生身で体験した経験だ。その中から一つ紹介すると、忌野清志郎の「ロックで独立する方法」がいいかなと思った。好きな言葉はたくさんあるんだけど、その中から一つ抜粋する。
今はロックミュージシャンという仕事も、しっかり市民権を得てしまった。「ロック・ミュージシャンになりたい」と言えば、親も教師も友達も誰も反対しないどころか、「がんばれと」と応援してくれさえする。オーディションに父母同伴なんてことだって珍しくないかもしれない。
でも、周囲が最初からそんなに「理解」してくれちゃってたら、本気でロック・ミュージシャンになる決心なんて、できるんだろうか?周囲からの反対やら妨害やら軋轢(あつれき)があるからこそ、自分は本当は何をやりたいのか輪郭がはっきりしてきて、「よし、オレの気持ちはホンモノだ」っていう確信が固まっていく・・・そういうものなんじゃないのかな?
否定されたり、できるのか?という反対の声で自分の気持ちが見えてくる。
確かに!と思った。
たとえ否定されても、結果的に俺は絵を描いている。もはや食っていけるかとか、食っていけないとか、そういうレベルで考えていない。絵は描いていく、きっと。
宮崎駿さんのように地球何周分描くとかそういうレベル感ではないけど、歯を磨くように、布団で必ず寝たいのと同じ。
なんとなく「これは一生関わっていく」という確信に近い何か。
とは言え、父に応援されても今は絵を描いていたのかな? こればっかりはわからない。描いていた気もする。
ただ、自分への問答(自分は本当は何になりたい?)さえやっていればいいのかな。
応援されようが、否定されようが、関係ないものが残っていくのかな。
「夢を否定されても、いいじゃないか」と高校生の俺に言ってあげたい。
「自分の輪郭を確かめることができるぞ」って忌野先生が言ってたって。
忌野清志郎の「ロックで独立する方法
表紙がめちゃくちゃかわいい。
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