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《 エッセイ no.7 》生きにくさの中で

こんばんは。もしくはこんにちは。
見に来てくださってありがとう。千草です。

これを書き始めるつい数分前、
つぶやきを投稿しようとしました。

不自由ないのち

わたしには、うつ病があります。
大学2年生の夏、教室のとびらの前で息が詰まって動けなくなり、
授業やサークル活動に出られなくなりました。

約7年ほど前のことです。

ばか真面目な性格が災いして、
病気という荷物を抱えて歩くことになったのです。
なんとも可笑しくて皮肉な話ですね。


燃え尽き症候群、社会不安障害、双極性障害、
いろんなむつかしいことを言われて
いろんな話をして
いろんな薬を飲みました。

一人暮らしの暗く狭い部屋の中で、
約3年間、親に嘘をつきました。
「元気だよ」と。

嘘も限界を迎えたのち、
今は実家に戻り、療養をいちばんに生活しています。
だいぶ、だいぶ元気になりました。
それでも、7年の間にこころとからだにしみついたものは、抉られたものは、帰ってはきません。

それが、希死念慮、
死にたいと望む願いです。

誤解を招く言い方をしてしまいますが、
わたしはずっと、いつだって、死にたいのです。

死にたいくせに、食べています。寝ています。何故なんでしょう。
こんな矛盾が ときどきわたしの足を絡めとり
先のつぶやきのように生きるのを不自由にします。

くわしくてややこしい話はばっさりと割愛しますが、
うつ病というのは、困ったやつなのです。


死にたい気持ちと生きていく

先のつぶやきが140文字に収まらないと思ったから、こうしてエッセイになっているわけですが。
141文字目からの話がここにあります。

なんとも有難いことに、わたしには家族がいます。友人もいます。
みんなが口を揃えて、時に体を張って「死ぬな」と言います。
そのおかげで、わたしは"死ぬことさえできな"くなりました(""はだいすきな曲の引用です)。

わたしの前に伸びている道は、
死にたい気持ちを抱えて生きていくこと、です。

死にたいって何だろう、
何故そう思うのだろう、
それが駄目なのは何故だろう、
苦しくなるのは何故だろう、
答えのない問いを自分と繰り返しながら生きていくこと、です。

そんな現実に見出したのが、
『おなじようなこころ、からだのひとに自分のいのちを役立てる』
ことでした。

せめて、苦しみもがいた経験が誰かの役に立ってから死ねるように。
そう思うようになりました。


ご縁あって詩や絵を描くことを後押しされ、
今こうして文字やイラストを綴っています。

まだまだ駆け出しで拙いものばかりですが、
精一杯のこころを込めて作品を生み出すことに、
今は背中を支えられています。


泣き暮れた日に、涙の枯れた夜に、
どうか貴方のこころに寄り添えますように。

励ましにならなくても、元気が出なくてもいいから、
すこし、暗がりで手を取り合えるように。


わたしは書いて、描いていきます。

死にたい気持ちを、抱えながら。
死なずに生きていくのです。

そうして、生きていてよかった、と、ときどき思います。


おわり。

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