「他人のせい」思考は自分が苦しむだけ

このnoteでもおなじみの「他人のせいにする」行為を続けていると何も変わらないという話。そうはいってもどうしても他人が悪い、環境が悪い、社会が悪い…自分以外の外の世界が悪いように見えてしまうのがこの世の中。かといって全部自分が悪いのだと罪悪感を感じる必要もなく、そもそも「被害者」「加害者」意識って何なんだ?どういう思考パターンなのだ?という根本を見ていく必要があると感じています。

まず、他人(外の世界)のせいにするという行為を紐解いてみると、自分以外の外の世界が悪くて(加害者)、自分は被害者である、という被害者意識や悲劇のヒロインの気持ちがベースにあります。なぜこれがいまいちかというと、この思考には、「外の状況に対して自分は何もできない無力な存在である」という意識が根底にあるからです。他人のせいにすることは、自分が無力であることの表明。自分で人生を創造するのではなく、自分の人生は外部の状況によって決定されるという意識、つまりは他人軸ですよね。この意識のままだと自分の人生の舵取りを他人にさせ、巻き起こる出来事に不満や怒りを感じる状況をますます現象化させてしまうでしょう。

「この状況は他人のせいではなく、自分の意識が現象化しただけなんだ」ということを達観して腑に落とすのは、感情論が先に立つと困難を感じることもあるかもしれません。「そんなわけない!相手が悪い!」というエゴの声が聞こえてきそうです。エゴが強い意識の人ほど、相手が悪いという思考パターンに陥ります。相手に心を開けないときに起きていることの記事に書いたことの繰り返しになるのですが、これは自分と他人は全く違うものであるという「分離感」が根底にはあり、分離感が強いほどハートのエネルギーは弱まり、エゴの声が強まるということ。「他人のせい」思考は一見その状況から逃げることができて楽そうなんですけど、実際はそのエゴの思考パターンにより誰より自分自身を苦しめ、自分の無力感を強め、自分には何もできないから今の嫌な状況を甘んじて受け入れるしかない…という現実を現象化していきます。物事の捉え方を全部逆にすればいい、解決策はただそれだけなんですけどね。

誰もが外部のせい、他人のせいにして他人を責め、批判的な意識を持つ社会と、一人一人が自分の意識に注意を払い、自分の人生は自分で創造するという意識で生きる社会と、どちらが望ましいでしょうか?みんなが他人のせいにする社会ってすごく嫌だし生きづらいと感じます。少なくとも、私の周辺で実際にお付き合いのある方々は後者の意識の方であってほしいと思いますね。すべてはルイトモなので、同じ意識の方とは必ずつながれると感じますし、自分の意識が変われば自然とそうなっていきます。実際に私の周りは同じような意識の方が本当に増えてきました。

感情にとらわれすぎていると、どうしても相手が悪いような気持ちになってしまい、この世は自作自演のドラマであるということの記事に書いたような内容に反発心を抱いてしまうこともあると思います。「こんな嫌な相手を自分の自作自演で用意したなんてありえない!」という声が聞こえてきそうです(笑)。そう思いたい人はそれでも良いと思います。他人のせいにする思考のループで苦しむのは他でもない自分だけですのでね…。他人のせい思考はすごく根深いので、ここを腑に落として意識を変えられれば、だいぶ人生が変わっていくと感じますよ。自分で自分の人生を創造するという意識を持ち、自分の本来のパワーを活性化させ、ベストな資質を世に輝かせて生きたいと感じる人とだけつながれれば幸せです。同じ意識の方のパワーをどんどん活性化させるようなサポートをお届けできるよう、少しずつ準備を進めているところです。

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