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マイホームについて考えていたら地球のことまで考えだして眠れなくなった話

豊かさとは?

ぼうまいです。今回のむらじおnoteのテーマは「マイホーム」についてなのに、マイホームについて考えてたら、豊かさとは?の問いに戻ってきた。こないだ本当に仲のいい友達とも話していたけど、豊かさについてみんながもっと考えたら、世の中少しは変わるんじゃない?って話。
わたしは自分の豊かさを追求するために、今の仕事を捨てて、田舎で起業しようとしている。わたしにとっての豊かさとは自然と共存すること。わたしが田舎で起業する理由って実はここにある。

で、なぜマイホームの話なのに豊かさの話なのかというと、この世の中とにかく大量生産大量消費で、ものに関してもサービスに関しても過剰すぎる。過剰になってしまう要因はひとつで、みんな自分にとっての豊かさを理解していないからだと思う。「足りている」という状態がわからないから、どんどん欲しくなってしまうし、作る側もどんどん作らないといけなくなる。結果たくさん余って捨ててしまっているものが多い。なにがサスティナブルだ。

それってほんとに必要?

世の中にいろんなものが溢れてて、みんながいろんなもの欲しがるけど、それって本当に必要なものなのだろうか。全員の漠然とした要求をみたすための大量生産大量消費。ちょっと話がいきなり飛躍しすぎな気もするけど、そのひとりひとりの過剰な要求が地球を壊している原因だと思う。地球が人類の大量生産大量消費にもうついていけなくなっている。
サスティナブルだとか、エシカル消費だとか言って、それっぽい言葉を並べているだけで満足してしまっているような気がするから、それらが単なることばあそびじゃなく、本当に意味のあるものになったらいいな。


なぜ大量生産大量消費がよくないのか

大量にものが作られれば、安く手に入れることができるし、たくさん作るために工場が増えれば雇用だって増える。それに単純に消費が増えれば会社は儲かるし、会社が儲かれば賃金も増えて、またたくさんの消費(購入)につながる。一見すごくハッピーにみえる。
でも実際はどうだろう。大量生産のために安く雇われている労働者がいるのでは?安く作るために犠牲になっているものはないかな。
例えば、安い肉をつくるために狭い牛小屋で、安い餌で育てられる牛がいて、それを安い賃金で加工している人がいたとしたら、それは果たしてハッピー?

話を戻して、マイホームの話だけど、マイホームだって本当に欲しいなら買えばいいと思うよ。でもこれだけ空き家が増えていたりとか、狭い土地にたくさんの人が暮らすために建ちまくっているマンションもあるわけ。それなのに新しい家まだは必要なのかな?ただでさえ狭い日本にこれ以上家を建ててしまったら日本列島は住宅で埋め尽くされてしまうんじゃないかって、ちょっと不安になる。

新興住宅地をつくるために削られていく山々を見て、倒されていく木々をみて、なんだかやるせない気持ちになる。本当にこれでいいのかなって。
それにもし、自然や環境だけでなく、家を買うために人生を消費してしまっている人がいるのなら、わたしは本末転倒だと思う。なんのために家を建てるのか。なぜ欲しいのか。

なんかマイホームってたしかに夢だと思うけど、その夢ってほんとうに自分が叶えたい夢じゃなくて、だれかに強要された夢な気がしてしまう。わたしは自分の軸で考えられる人でありたい。自分の価値基準で物事を判断できる人でありたい。

お金に関しても仕事に関しても結婚に関しても。自分の人生におけるすべてにおいてわたしは自分の価値基準、世界線で生きていきたい。

マイホームの話から地球規模の話になってしまったけど、マイホームの話から宇宙にまでいってしまった人もいます。こちらもぜひ。

こんなふたりでゆるくラジオやってます。むらづくりのむらじお。
配信は月に2回で8日と22日。よかったらきいてみてください。


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