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ひきこもり歴13年から今にいたるまで⑩


「これは、自転車から降りるべきなのだろうか!?」

いきなりだが、みなさん、上の道路標識が何を意味するのかおわかりになるだろうか?

よく見かけるけれど気にしたことなかったという人も結構いるのではないだろうか。
わからなかったところで、とくに困らないという人もいるかもしれない。

しかし、13年ぶりに外の世界に出て、13年以上ぶりに自転車で外出していた当時の私にとってはそれはスフィンクスの謎かけばりに、命がけの問題であった。

自転車って左側通行だったっけ、いや右だったっけ?
すれ違う自転車を観察するも左右どっちにもいる。
一応左を走っておくか。
あっている確率は50%。
はずれている確率も50%。
心なしかはずれの50%の存在感のほうが異彩を放っている。
くじ運はそんなに良くないからな、あえてはずれと思っている方へいったほうがワンチャンあっているかもしれない。
そんなことを考えながら横断歩道の赤信号で停車したときの出来事である。

ふと見上げると写真の道路標識がある。
帽子をかぶった紳士風の人が優雅に自転車をおしているように見える。
もしかして自転車って横断歩道では押して渡るのか?
そんなルールあったっけ?
必死に子どものころの記憶をあさる。
記憶には自転車を降りて手で押しているものはない。
記憶の中の自分は世紀末かのごとく手放しをしたり、立ちこぎをしていたり、サドルではなく自転車のフレームに座りながらペダルを漕いだりと、無法の限りをつくしている。
世の大人が自転車で横断歩道を渡る際のデータが足りない。

「乗ったままでも大丈夫でしょ」
「いやいや、念のため降りておこう」
「降りた方が逆に変じゃない?」

自分のなかの天使と悪魔というより、カルチャーショックを受けている海外渡航者のような私Aと私Bがささやきかける。

あたりに人の姿は見当たらない。
車も遠くを走っている。
どちらを選択しても問題はないように思われる。
どうしたものか。

間もなく、歩行者用の信号機が赤から青に切り替わる。
タイムリミットが近づいてくる。

追いつめられた私は自転車を降り、道を探しているふりをしながらきょろきょろと首を左右に振りながら渡った。
どっちの道だったかなぁというモノローグを脳内で再生させながら、観客もいないのに演技をした。

結局答えがわからなかった私は、道を探すため、自転車を降りている人になりきったのだった。

なにをそこまで必死なのかと思われるかもしれない。
ただ、13年ぶりに社会に出て、例外は少しあったけれど、13年ぶりに家族以外の人の視界に自分が映る(映る場所にいる)というのはかなり緊張するものだった。自分だけ台本を知らない舞台の上にあげられているような気分だった。

人の視界のなかにいるということになかなか慣れなかった。
どことなく、いつも心地悪さがあった。
人の視界に入っている自分というものは、靴の中の小石以上に気になるものだった。

また、外に出た私は浦島太郎か宇宙人のようなものだった。
知っている人は誰もいないし、街には知らないモノやルールがあふれていた。

年を取った浦島太郎ならまだ世間の目は温かいかもしれないが、宇宙人に対して人類が友好的かは判断がつかない。
もしも宇宙人であるということがばれてしまったら人間に捕獲されて何をされるかわからない。
とりあえず地球人の真似をしなければ。
目立たない。
そこにあるルールを把握してなじむ。
それが当時の自分にかせられたミッションであった。

私が入った施設は、施設とアパートが合体したようなものでもともとはホテルだったらしく、宮崎市内の大淀川という大きな川に面している景観も南国リゾートという感じのところだった。
入居者は精神的な問題を抱えている人や、高齢者、また数名ではあったが家庭から一時的に距離をとることが必要とされた10代の少年もいた。
その施設を運営している法人は精神科病棟や高齢者を対象としたデイケア、10代の子どもたちを対象にしたフリースクール的な事業を行っていた。

私の場合は、ケースワーカーさんと話して、まずは少しずつ社会での生活になれるために、精神科のデイケアを利用しながら福祉関係の資格をとることを仮の目標に設定した。

それまで精神科の病院に行ったこともなく、薬なども処方されたことはなかった。
ただデイケアを利用するために一応の病名として適応障害という診断がおりた。
かといって診断を受けたあともカウンセリングされたり薬を処方されたりするということはなかった。

デイケアを利用するときは、自分の部屋から建物の1階のエントランスに降りて、スタッフにその旨をつたえて、受診票のようなものを受け取り、医師の診察を受けることになっていた。
そして、午前と午後のどちらか、両方のプログラムに出るというものだった。

最初に出たデイケアのプログラムは七夕も近いということもあって七夕飾りを作ったり、短冊に願を書いたりするというものだった。
全員で8名くらいの参加者がいたが、誰がスタッフで誰が利用者なのかもわからない状態で、私は短冊に何を書くか思案しながらまわりの情報を探っていた。

「願い事か…」
特に面白いことも思いつかないし、目立つのも避けたいと思って世界平和的なことを書いた。
そうこうしているうちに利用者さんと思われる2人の会話が聞こえてきた。
「短冊になんて書くの?」少しふくよかな眼鏡をかけている30代後半の男性が話しかける。
「宝くじが当たりますように」こちらは大分体格の良い男性で40代前半だろうか。
「でも、宝くじが当たるとその後の人生が狂うってよくきくよね」と眼鏡の男性。
「もう、狂っているようなもんだから大丈夫でしょ」と体格の良い男性。

「HAHAHA」と笑いたくなるようなアメリカンジョークのような会話が私の目の前で淡々と繰り広げられる。

あっけにとられつつも、自分がどうふるまえば良いのか判断がつかず、借りてきた猫のようにおとなしく過ごして、探り探りのうちにプログラムは終了した。

体力的にも精神的にもハードなところはあったが、とにかく今までしてこなかった経験を取り返すために、デイケアには毎日出た。

プログラムとしてはスーパーにみんなで行き、各々で生活に必要なものを買ったり、ウィンドウショッピングをしたりするものや、施設内で卓球やバレーボールと言ったスポーツをしたり、ドライブに出かけたりなどなど。
とにかく経験をつまなければということで、手当たり次第に参加した。

そして、1日の終わりに自室にもどると1人反省会がはじまるのだった。
あそこであんな風に反応したのは良くなかったかな。
あの人に失礼ではなかっただろうか。
自分のあのふるまいはおかしくなかっただろうか。
あそこでのあの人の行動は何を意味していたのだろう。

人と接する際の正解がわからない。

地球人になりきるのは難しい。
かといって母星に帰るためのUFOはない。
とりあえず、いけるところまでいくしかないか。
実家で家を出るに至ったある種の底つき体験が背中を押していた。

ベットに横になって天井を仰いでいるとき、ふと、顔に違和感を感じた。
その違和感を探るため表情筋を動かしてみると鈍くけだるいような痛みが走った。

まさかの筋肉痛であった。

顔って筋肉痛になるんだ…

人が人と関わる際に顔の表情が果たしている役割を文字通り痛感した。

そして、1人でいたときいかに顔の表情をつかっていなかったかに思い至り驚いた。

表情筋よ、私が気付かないだけでずっとそこにいてくれたのか。
そんなよくわからないことを思いつつ、ほっぺを両手で円を描くようにマッサージしながら見慣れない天井を見上げた。
鹿児島にある自分の部屋以外で寝て、自分の部屋以外で目が覚めるだなんて、そんなことがありえるのか。

自分の体がここにあることの不思議と、ほっぺの痛みを感じつつ、明日は週末でデイケアもないから自転車でどこかに行ってみようかと考えながら、意識は眠りと言う靄にかすんでいくのだった。

ひきこもり歴13年から今にいたるまで⑩終わり

ちなみに上に載せた道路標識は、横断歩道・自転車横断帯といって標識の位置に、横断歩道と自転車横断帯があることを示しているらしく、道路を横断する場合には、歩行者は横断歩道を、普通自転車は自転車横断帯を通行しなければないというものみたいです。
標識の絵から瞬時にそれだけの情報を読み取るのは難しかったな…


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