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親の介護のため起業しました【始まり】

(以前より書き溜めていたのですが、長くなりそうなので分割することとしました)

それは数年前の4月28日のことだった

父さん会社辞めるってさ

「会社を辞めることにした」と、昼休み時間に帰ってきた夫が言った。「それで、150万円用意して欲しいのだけど」

やっとかと私は思い、パソコンで勤務していた会社からの辞任の手続きについて調べたのだった。

介護離職をするまでの状態は

そのころ私は遠距離別居の両親と叔母、夫は近距離ではあるが別居の姑の介護を担当していた。

歩行が難しくなっていた姑の自宅内移動のため、車椅子を介護保険を利用しリースしたいと夫が言い出していた。

それまで互いの両親の介護は、協力し合ってするようにしていた。

だが、前年の11月に北都で独居の叔母が心臓発作をおこし自宅玄関で倒れて、一日後に発見され救急搬送から入院そして手術という事件があったのだ。そのあと入院中の手続、退院後に介護保険を利用する手続き、ケアマネージャーとの打ち合わせと叔母の介護も加わり、姑まで気持ちを持って行けない日々だった。

いくら同族会社の役員とはいえ、一日に何度も姑からの呼び出しがあり、現場を指揮するのが夫の仕事だったので、些か疲れが出てきていた。自宅内の移動だけでもすいすいと出来るようになると、夫の介護が楽になると思ったらしい。

私は車椅子の利用について反対し続けていた、老人の筋力のおとろえは早いと聞いていたので。

3月初めのひな祭りころ数日叔母の通院介助のため自宅を離れているうちに、車椅子が姑宅に運び込まれていた。

それでも介護は楽にはなるはずもない

老人介護をしたことのある方ならわかると思うのですが、車椅子を使い出して一ヶ月もしないうちに、姑は自力で立つことが困難になった。トイレなどは腕の力を使い手摺を握って横ずりでなんとか、そのために椅子の片腕が可動なものをリースした。

介護用おむつも尿取りパットも嫌がるので使えず、ヘルパーさんを頼んではいたが介護度の認定は要支援だったためフルに使ったとしても足りず、洗濯・三食の世話・身体介護それらすべてを夫がすることとなった。

ついに夫も音を上げたのだ

そして4月28日の「父さん会社辞めるってさ」事件となった。

実はその数年前に開業届を出し、最初は白だったが青色申告業者になっていた。

個人事業主として

夫の人間性なのだろうか、会社にではなく夫個人に請け負ってほしい、それでなくては、仕事を依頼しないとまで信頼を寄せて下さる顧客が何人かいた。

そうやって役員をしていた会社に、元請業者として仕事を下ろしていたのだ、。外注業者への信頼もあり、夫から直で請け負いたいと言われてそうしていた。

そろそろ消費税課税業者として、一千万円の壁問題に直面していたころだった。

経理と財務を担当していた私としては、副業でするのには限界だと感じていたので夫が会社を辞任すると聞き寧ろほっとしたくらいだった。

そのときの会社への外注費が150万円

長男はすでに大学を卒業し教員として働いていた、まだ在学中だった次男三男の二人分の授業料は減免制度の申請中で保留だったので、その分を回すこととした。

そうやって事業主への道がはじまったのだ。


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