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イサム・ノグチをじーっと見つめてみた

イサム・ノグチの彫刻を、じーっと観てきた。

じーっと、30分、ひとつの彫刻だけを観た。
ゆっくりとぐるぐる彫刻の周りを回りながら、
立ち止まって、近づいたり、ちょっと離れたり。
じーっと観た。

そういう鑑賞の仕方をしてみよう、という仲間といっしょに、
東京都美術館で開催中のイサム・ノグチ展にいった。
30分、ひとつの作品をじーっと観てみることをしてみよう、と。

30分。やる前は、そんな荒行できるわけない、と思っていた。
結果的に、できた。
できたし、やってみるとそれほど苦ではない。

この試みをサジェストしてくれた東京都美術館の稲庭彩和子さんによると、
ひとつの絵画の前で、5分、じーっと観る人はほとんどいないらしい。
(だから30分やってみよう、ということになったのはわたしの師であるホンマさんの思考の飛躍のおかげ)

5分じーっと観る人がいないからか、
ずーっとじーっと観ているわたしを怪訝な眼差しで見る係の人、
やがて警備の人も近寄ってきた。
不審者と思われたのか、ほかのも観ろというのか、
なんて声をかけられるかたのしみにしていたら、

「マスクを……お願いします」

アゴマスクになっていた。
そうだった、30分の荒行に入る前に、
トイレいって後顧に憂いをなくし、
水分補給して準備を整えたところだった。
マイボトルから白湯を飲みながら、
とにかく選ばずに、選ぶと邪念が入るから、
入口に一番近い石の彫刻を30分観る! と心に決めていて、
決めたらいざ! ということで、口の中の白湯を飲み干し、
ボトルの蓋を締め、ボトルをバッグの中に入れ、
すたすたと歩いて、イサム・ノグチの彫刻の前に躍り出た。

心の焦りが、マスクをアゴにかけたままになっていたのだった。

マスクを正常の位置にセットし、気を取り直して30分鑑賞を続けた。

そうするうちに、石の声が聞こえると思っていた。
そうするうちに、イサム・ノグチと対話できると思っていた。

でも、そうならなかった。
石の声もイサム・ノグチの声も聞こえなかった。
でも、そうならなかったけど、
なんか、あれ? 石の表面に薄く光の筋が見えるポジションがある、とか、
丸みがナイスな部分があるとか、
そもそもなんで石をこんななめらなかカーブで彫れるんだろうとか、
なんか、見えてきたというのもあるし、
その彫刻が身近に感じてきた。

いっしょに30分鑑賞したハルナさんは、
「もうどこで出会っても、このときのイサム・ノグチの作品ね、ってわかると思う」
といっていた。
わたしも、そんな気がする。

じーっと観続けた彫刻は、
ついにその声は聞こえてこなかったけど、
つぎ、いつどこで出会っても、わかりあえるはず。