リアルアバターな平野啓一郎
もうこれ以上分けられない(individual)から「個人」なんだけど、
いやいやまだ分けられるっしょ、というのが「分人」で、
個人としての「わたし」は、いくつもの「分人」がいての「わたし」である。
小説家の平野啓一郎さんは、そう主張している。
(『私とは何か ー 「個人」から「分人」へ』平野啓一郎 講談社現代新書 2012年)
昨日の大隈塾は、平野啓一郎さんがゲスト講師。
最新作『本心』は、亡くなった母親をAIとメタバースで「生き返らせる」。
生身の人間とAI、バーチャルとリアル、仮想現実と現実、
いまの序列はリアル>バーチャルだけど、
それはいつまでも正しいのか、不変なのか。
どういったきっかけで『本心』を描いたのか、
説明すると自然と『本心』のあらすじをたどることになり、
その小説を書いた作家本人にあらすじを語ってもらう幸せに恵まれてしまった。
京都大学の学生時代に芥川賞をとった平野啓一郎さんに対して、
大隈塾の学生たちからの質問は、
「どんな学生生活をしてましたか?」
「学生時代にやってとけばよかったこと、やっておいてよかったこと、何ですか?」
不安なんだよね、学生は。
コロナってこともあるし、
就職したら一生だいたい安心、じゃないし。
平野さんの答えは、
「勉強」
やっといたほうがいいことも、やっといてよかったことも。
でも、
「頑張れるところで頑張ったほうがいいよ」
いくつかある自分の分人のうち、
嫌いな分人よりも好きな分人の自分で、
好きな分人がいる場所、フィールド、コミュニティでたたかう。
そして、
「一人ではたたかわないこと」
一人でたたかっても、つぶされるし、無視される。
だけど、仲間がいれば、少なくとも相手にしてくれる。
そして、
「関係性の中で、解決していくこと」
人と人との関係性、フィールドとフィールドとの関係性、
風俗風習の関係性、権利と義務の関係性、
いろいろあって、しかも「0−100」ではない。
むかしのいい方をすれば、win-win。
オンラインで講義してくれた、スクリーンに映る平野啓一郎さんの姿と言葉が、
リアルっぽいアバターが機械学習でしゃべっているようなリアリティがあった。