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通俗作家としての五島勉…その成功と誤算/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。
前回に続き、故五島勉氏の仕事を回想する。通俗作家として時代を切り裂いていった筆は、予言というテーマを掘り当てるーー。

文=初見健一 #昭和こどもオカルト

前回は<こちら>

「女性週刊誌記者」というキャリア

 現在では、というか70年代初頭以降は、五島勉といえばとにもかくにも「ノストラダムス」であり、この文脈以外で語られることはほとんどない。狂信者、陰謀論者、詐欺師……といったネガティブなパブリックイメージも、すべてこの文脈を踏まえたものだ。そこで、まずは一度この手垢のついた文脈から離れて、「五島勉とはなんだったのか?」ということについて考えてみたい。

 彼が一応はプロの「文筆家」として活動するきっかけとなったのは、学生時代、小遣い稼ぎに雑誌に投稿したポルノ小説だったという。大学卒業以降は、主に女性週刊誌を中心にルポルタージュ記事の分野で活躍した。
 昭和の時代の女性週刊誌の記事のエグさについては、同世代であれば説明不要だろう。目玉となる記事は、エロとグロに彩られたセンセーショナルなものばかり。「通俗」をはるかに超えた「露悪」である。当時、「エロ、グロ、ナンセンス」というフレーズをよく耳にしたが、女性誌の場合はここに「オカルト」も入ってくる。
 この部分を細かく説明している紙幅はないが、80年代までの女性誌にはオカルト関連のトピックは柱の一つであり、猟奇的事件の詳細な(というか、ホラー風味に盛りまくった)ルポの延長として、超常現象や心霊事件などが扱われていた。メインメディアはあまり取りあげなった「コックリさん」や「口裂け女」のブームをあそこまで巨大なものにしたことにも貢献している。この傾向は平成に入ってからも残っていて、岐阜県富加町の「ポルターガイスト事件」の際、大々的に報じて事態のエスカレーションを招いたのも女性週刊誌だ。

 ちょっと話が逸れるが、80年代初頭の日本でインディーズ系のパンクが台頭してきたころ、血まみれのパフォーマンスを展開していたスターリンやじゃがたらなどのバンドを最初に取り上げたのも、音楽誌ではなく女性週刊誌だった。性器を露出したり、生きた蛇を裂いたり、剃刀で自分の肉体を切り裂いたり、動物の臓物を客席にブチまけたりするライブの光景を、「頭のおかしい変態猟奇バンドの凶行とカルトな観客たちの異常な熱狂」といったノリで、ほとんどオカルト記事のようにオドロオドロしくルポしていた。これが80年代までの女性週刊誌の典型的ノリで、エロでグロでアンモラルなネタならなんでもよく、それらをさらに100倍くらいエグくして伝える……というのが昭和の女性週刊誌というメディアの「基本機能」のひとつだったのだ。

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