見出し画像

それ「協調性」ではなく「同調圧力」では

はじめに

おはようございます。
むぎです。

先日投稿した
「自分がされて嫌なことをするな」は
通用するのか

という記事、

コメントをお返ししている中で、
ふと「協調性」というキーワード
が浮かんできました。

そこで、今日は新たに「協調性」という
キーワードで感じた違和感について
書いてみたいと思います。

先日の記事から感じた違和感

先日の記事の内容を
かいつまんでご紹介すると、
「自分がされて嫌なことはするな」
という私が幼少期から言われてきて
当たり前に信じていた言葉。
これ、今になって深掘りすると、
「自分の感情」=「相手の感情」
になってしまっているんですよね。

自分が嫌なんだから相手も当然嫌、
自分が嬉しいから相手も必ず喜ぶ

実際の人間関係において
それは絶対とは言い切れませんよね。

しかし学校などの組織においては
みんなある程度同じでいることが求められる。
それが「協調性」という都合のいい言葉で
まとめられる。

少しでも輪を乱すものがいれば、
「あいつは協調性がない」
と後ろ指をさされる。

ここに大きな違和感。

そもそも「協調性」ってなんでしたっけ?

それは「協調性」ではなく、同調圧力では?

協調性とは自分と異なる立場、
違う意見や考え方を持つ人たちと協力しながら、
同じ目標の達成に向けて行動できる能力のこと。

「カオナビ」より

「協調性」とは、
自分とは違う考えを受け入れた上で、
同じ方向に向かって進んでいくことが
できること
とされていますね。

この前提を踏まえるとどうでしょう。
今私たちの周りで言われている
「協調性」とは
程遠いように感じました。

本来であればそれぞれの違った意見を
受け入れ、
それをうまく一つにまとめ上げること
であるのに対し、

実際、現状私たちの周りでは人と違うことは
批判の的にしかならないですよね?

そしてマジョリティに合わせようとする。

これを「協調性」と言ってしまって
いいのでしょうか?
むしろこれはただの「同調圧力」でしか
ないように感じます。

本当に「協調性」を重んじるのであれば
先日の記事でも書いたように、
白黒はっきりさせようとするのではなく
各々の違った意見を持ち寄り、
お互いにとって納得のいく別の色を
作り出す方がいい。
それがまさに「協調性」と
言えるのではないでしょうか。

おわりに

全ての意見を同質化させようとする。
これは管理する側からしたら
1番楽なんですよね。
意見のすり合わせをするという
1番大変な工程をすっ飛ばすわけですから。

だから他人の意見を頭から全否定する人たちは
頭を使うことを諦めている
ただの歩く屍なんですよね。

こういう暇人がSNS上での誰かの意見に対して
一生懸命反発したりしていると思うと
呆れてしまいますよね。

一方で違った意見を持った人が
ただ騒ぎ立てればいいのか。
それも違うかと。
無条件に違った意見を受け入れろ。
それもまた脳死した大衆たちと
やっていることは変わりません。

それでも、少数派の意見は届きにくい。
だからそれなりの声をあげる必要はある。

そしてそれを聞こうとするかどうか。
それが多数派に求められる器量です。

聞く耳を持たない方が楽です。
放っておけば大衆の意見に飲み込まれるから。

それでも少数派の意見に歩み寄ろうとする人が
1人でも増えれば
もう少しましな世界になるんじゃないかな。

という思いつきでした。

今回も最後までご覧いただき
ありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?