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見たいものだけでいいのか

はじめに

むぎの部屋へようこそ。
ここでは私自身の過去、
日々の生活から得た学びを
お届けしています。
何か一つでも
持って帰ってもらえたら嬉しいです。

今日は
最近SNSを見ながら
レコメンド機能の素晴らしさに
感動すると同時に、
これはこれでいかがなものかと
考えたことを書いていきます。

最近SNSのレコメンドアルゴリズムはすごい

昔のSNSってタイムラインには
自分がフォローしている人たちの投稿が
流れてきていましたよね。

それがだんだん自分とは
つながりのない誰かの投稿が
ちらほら挟まってくるようになって。

今や基本はプラットフォーム側が
レコメンドした投稿が
メインで表示されるようになりました。

ちょっと他のSNSは一切手をつけていないので
分かりませんが、
Xに関してはおすすめとフォロー中で別タブで
別れていますよね。

このレコメンド。

プラットフォーム側の集合知によって
私たちの閲覧行動から「これ好きでしょ?」
という投稿を自動で振り分けて表示するという
恐ろしいシステムなのですが、
確かにこれによってユーザーは
とりあえずタイムラインを流し見していれば
自分の好みの投稿が次々流れてくるから
その気になれば一生見ていられる
という人もいるんじゃないでしょうか。

そうして広告ビジネスで稼いでいる彼らは
私たちが好きなものを見て
長時間滞在すればするほど
チャリンチャリン広告で儲けているわけです。

いやー恐ろしい。

現に、私のXのおすすめではある時から
うさぎの投稿しか流れてこなくなりました!

うさぎばっかり見てニヤニヤしてたの
バレてますね。

いや、これはこれでいいんですけどね。

ただ同時に、こうなってしまうと
なんか違うよなと違和感を感じています。

というのも、
以前はよく見ず知らずの人の素晴らしい投稿に
心を動かされて。
というような経験があったのですが
最近そういう経験って
あんまりないんですよね。

ただ癒されるか、
うん、だよね、わかる。
くらいのものしか流れてこない。

そこでふとレコメンドのあり方について
考えたんですよね。

発見は想定外のところから

SNSの良さって、
人の数だけの多くの考えを
知ることができることだと思っています。

しかしそれがいつしか
アルゴリズム攻略ゲームに成り下がり、
どこを見ても
同じようなテンプレート構成の投稿ばっかり。

「断言しますが」
と言って断言できている人は
ほとんど見たことない。

「続きは、、、」
だるい、黙って書け。

という日々の愚痴もさておき、
「こういう投稿が受ける」
というある種の傾向がわかると、
みんな同じような投稿になる。

分母が増えるとそれだけ
自然に人目につく機会は増える。

するとアルゴリズムはそれが「いいもの」と
判断してどんどん表示する。

というサイクルが生まれる。

うん、これやってると
そのうちみんな同じ投稿になりそうですよね。

この傾向が強くなってくると、
良くも悪くも
「浮いた意見」って
あまり人目につかなくなりますよね。

するとどうか。

本来人の数だけの意見を目にすることが
できていた場所が、
「ある程度受ける」
意見しか目につかなくなってくるんですよね。

多様性どうこう言っている時代の中、
こういったマジョリティの声が率先して
取り上げられる環境ってどうなのか。

もちろん彼らも慈善事業ではなく
ビジネスだという前提はよく理解しています。

しかしそういった商業的最適化によって
本来あるべき発信の自由が
事実上阻害されているのも
なんだか皮肉だなと思いますよね。

個人的には、一昔前みたいに
最適化されすぎない中途半端な
レコメンド仕様の方が
性に合っていたなと思います。

おわりに

私がSNSをあまりみなくなったのも、
こんなふうに同じような投稿しか目につかなく
なってしまったからなのかなと思います。

考えてみれば音楽にかんしても
似たようなところがあるなと思いました。

無難に大衆受けする人たちは
メジャーシーンで活躍し、

ある意味誰よりも独創性のある、
でも絶対大衆ウケしないような人たちは
下手すると一生日の目を見ない。

個人的にはどっちが見ていて
面白いかと言われると後者なんですよね。

この辺の心理についても
また書いてみたいですね。

最後までご覧いただき
ありがとうございました。

ここには
他にも多くの記事が置いてあります。

もしかしたらあなたにとっての
気づきになるものがあるかも。
良かったら好きなものを
持って帰ってくださいね。

いってらっしゃい。

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