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【6日目】人間は死んだらどうなるのか(ジンセイのトリセツ)

◆『天国』と『死後』

 前回の「この世は【地獄】だ」という話を受けて、次は【天国】についての話なんですけど、この話をするために避けて通れないのが

死とは何か

という話です。だって、前回書いたとおり、僕たちは今いる【地獄】世界を抜け出すためにはどうしてもこの「死」というものを経験しないといけないからです。そいういう「ルール」があるんでしたね……やっぱりこの世は【地獄】です。

 「死後」というのがあるのか? というのはよく論争になります。何にもない、ただ意識が途絶えて消えて終わる、という考え方もあるでしょう。
 ですが「ココロがモトでできている」という仮定に立って考えていくと、これでは矛盾してしまうんです。ココロがモトでできているという「構造」にも、そうでないといけない理由があるからです。だから「死後」というものはある、と「モトの話」では考えています(詳しい理由は【17日目】あたりに出てきます)。

◆死んだらどうなる

 人間には生存本能があるので「死」は誰にとってもものすごくイヤな出来事のはずです。確実にやってくる現象なのに、僕たちにはできるだけこれを避けて長生きするよう遺伝子単位でプログラムが組み込んであります(地獄ですね……)。

 とはいえ、その時というのは必ずやってきます。その後どうなるのかというと……ここで思い出してほしいのが【三つのパーツ】という話。

 僕たちは

  • カラダ

  • ココロ

  • アタマ

という【三つのパーツの集合体】でしたね(入門編参照)。これらがそろって、ダメになってしまった「肉体」からペリペリっとはがれて、自由になります。

 「!?」と思ったでしょ?……「肉体」から「カラダ」がはがれてくる、と書いたんです。ぱっと見、意味分かんないですよね……。でもほら、入門編の最後に書いた話をちょっと思い出してください。

 入門編で「カラダとは何か」を書いたときに

「カラダというものは、自分と自分以外の【境い目】である」

入門編【17日目】モトが教えるカラダの「新しい役割」

という説明しました。この境い目としての【カラダ】は「肉体」とはイコールではないんです。
 確かに、僕たちが生きている間はこの境い目が「肉体」と全く同じ場所にあるためほぼイコールなんですけど、死んでしまったら肉体はもう動かせないので、そこからペリペリっと「境い目であるカラダ」だけがはがれてくるんです。

 「カラダ」というのは、ココロを形作るモトの一番「濃い」部分でしたね(ココロはモトの薄い集まりで、カラダの外側をおおう煙のような構造をしている、とも書きましたね。入門編参照)。「肉体」からはがれてきた「カラダ」は、自分からはなんだか半透明な「肉体」のように見えるそうです。服も着てるらしいです(僕は死んだことないのでよく知りませんが)。

 もちろん、肉体の「形」をしているので、脳の機能である「アタマ」も、そしてモトの集まりである「ココロ」もセットになっているはずです。そういう

物質ではない自分の【三つのパーツ】

がワンセットで肉体から出てくるんだそうです。

 それが僕たちの体験する死という現象の最初です。

 その後、なんだか次元の壁を超える儀式のようなもの(宗派によるみたいですね、川を渡るとか、花畑を越えるとか、肉親が迎えに来るとか)があって、それでもって今いる【地獄】世界を出て、僕のいう【天国】に移動するみたいです。これが死という現象の次のステップです。

 ここでの問題は「なんでそんなシステムになってんの?」ということではないでしょうか?

◆僕たちは「なぜ生まれてくる」のか

 この死後という体験がなんであるんだろう?と不思議に思ったこと、ないですか?

 さっき「次元を超える儀式」なんて書きましたけど、ああいうのがなんであるのか? というと、僕たちが「知らない」(ことになっている)からなんです。知らないから、案内がいるんです。

 何をか? それは

「僕たちは本当は【天国】の世界の住人である」

ということを、です。

 ……いやね、僕らはこの苦しみしかない【地獄】の世界に今いるわけですけど、どうしてこんなイヤな世界にわざわざ生まれてくるのか? という疑問の答えは

「用があるから」

という至極単純なもののはずなんですよ。だって、用もないのにこんなアホみたいな苦しみの世界に生まれてくるわけないでしょ?

 【8日目】でもうちょっとくわしく書きますけど、僕たちは【地獄】に「用事で来て」て、用が終わったら「帰る」んだと考えると、自然なんですよね。そしてこの「帰る場所」というのは『もともと住んでいたところ』を指していますよね……つまりそういうことなんですよ。
 だから【天国】というのは

「帰る場所」

にあたるはずなんです。

 実は僕らはその辺の事情をすっぱり忘れ(させられ)ているんです。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)