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【17日目】モトが教えるカラダの「新しい役割」(ニンゲンのトリセツ)

◆『素粒子』の知識と僕たちの生活

 では、そういった「素粒子」が、僕たちの「実際の生活」とどう関係してくるのでしょうか? 一見無関係なこの二つですが、モトについての知識が深まれば深まるほど、その関係性がとても密接であると気付けるようになるはずです。

 何回か前に書いたとおり、僕たちに感情・気分がわいてくるのは、アタマの中に「信念」というものがあるからでしたね。ABC理論の話を思い出してください。
 もし、生活がネガティブな「気分」に支配されているなら、この「信念」に注目しないといけません。そして、できればこの「信念」を変えていかなければいけません。そうしないといつまでも「不安」「悩み」を抱えたまま、ツラい人生を歩まなければならないことになります。

 では、どうやってその「信念」を変えるのか? そのために必要なのが、より深い「モトの知識」だと僕は考えているのです。

 そして、そのために「カラダ」の話をする、と書きましたよね? では、この「モトの知識」とやらがあれば、この「カラダ」という概念がどう変わるのでしょうか?

◆「自分」か「自分以外」かの世界

 それでは、改めて「カラダ」の役割を考えていきましょう。

 もちろん、動作をする、行動をするときに必要なのがカラダです。そして、音や光やにおいを測る「感覚」を使って、周囲の状況を知るために必要なのもまた、カラダの役割です。

 そして実は、これだけではないんです。ここからが「モト」の考え方から導き出される、新しい「カラダの役割」なんです。

 まず……僕たちが見ている世界は

「自分」か「自分以外」

ですよね? この世界にあるあらゆるものは、究極では「自分」か「それ以外」に分類できるはずです。もちろん、そんなことは普段はそんなに意識していないでしょう。ですが、アタマの中にはちゃんと「自分」と「自分以外のなにか」という『信念』があって、それにそって僕たちはいろいろなことを考えて、そしていろいろな気分・感情を感じています。

◆「自分」の中にある『大いなる勘違い』に気づくために

 何回か前に書いた「大いなる勘違い」の話もまた、こういう話の延長上にあります。

 あのときは「『アタマこそが私だ』という勘違い」について書きました。アタマこそが私なのだから、カラダもココロもその言うことをおとなしく聞くべきだ、という「勘違い」が自分自身を苦しめてしまうのだ、という話でしたね。

 実際問題として、ココロには「モトの集まり」という実態がありますし(カラダのまわりを覆っている『モトのケムリ』だと書きましたよね)、そしてカラダももちろん実在するものですが、アタマというのはこの「カラダの機能」にあたるもので、実態がないんです。それこそ「形而上学的な存在」なんですよ。

 ですから、モトでできている「ココロ」と「カラダ」があって、はじめて「アタマ」というのが存在できるわけで、この「アタマ」は別に「ココロとカラダの主人」でもなんでもないんです。

 つまりです。僕たちはこの「大いなる勘違い」をしがちですが、「僕たち自身」というのはあくまで「アタマ」「ココロ」「カラダ」という「三つのパーツの集合体」なのです。僕たちが「健康」で「幸せ」に生きていくためには、この三つをバランス良くケアしなければならないのでしたよね。

 モトについて学ぶと、まずこのことに気づけるようになります。

 そして、そこからさらに「自分以外のなにか」について思いを巡らせることもできるようになります。

◆自分の「内側」を知ると、自分の「外側」が理解できる

 あなたの全てはモトでできています(アタマは抽象的なものですが、モトでできた「カラダ」の機能なので、実質モトで動いているようなものです)。そしてもちろん「あなた以外の存在」も、同じようにモトでできているんです。だからあなたの中で起こっていることと同じことが、相手の中でも起こっているはずなんです。

 当然あなたはそれを知ることができないのですが、あなたの中で「モトが増えたり減ったりしている」という知識があれば、相手の中でも同じことが起こっているはずだ、と『理解』できるはずです。

 ようするに、です。

相手も結局「モトあつめ」をしている

んです。あなたがそうしているように。

 例えば、あなたにイヤなことをやってくる相手がどうしてそうするのかといえば、結局は「モトあつめ」したくて、そうしているわけです。つまり、あなたが嫌がっている様子を見たり知ったりすると、その相手のモトが増えるわけです(あなたから奪うからです)。
 逆に、あなたがついつい誰かにイヤなことを言ったりやったりしてしまうのも、あなたが相手から「モトを吸い取ってやろう」と「無意識に」考えているからです。

 家の外ではおとなしい人だと言われるけど、家族にはついつい暴言を吐いたり、きつくあたってしまう……という人もいると聞きますが、こういうのも「モトあつめ」です。奪いやすそうな家族という身近な人から「奪って」モトを集めているんですね。モトを奪われた家族は当然、本人が外で他の人にされたときと同じように、イヤな気持ちになっているはずです。

 こういったことにも「モトあつめ」という視点があれば気づくことができます。モトの知識の一つなんですね。

 そして……ここに「カラダのもう一つの機能」が関わってきます。この世界は「自分」と「自分以外の何か」に分かれている、と先ほど書きましたが、この「自分と自分以外」の

『境い目』

にあたるものが、カラダというものなんです。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)