耳と聲プロジェクトチーム

トマティスメソッド(聴覚・発声トレーニング)を後世に伝えるための冊子『耳と聲』全6号が…

耳と聲プロジェクトチーム

トマティスメソッド(聴覚・発声トレーニング)を後世に伝えるための冊子『耳と聲』全6号が完結したのは、2014年7月です。 現在、同じテーマと構成で、日原先生に語り下ろしていただき、書籍版『耳と聲』の制作をスタートさせようとしています。

マガジン

  • 小冊子『耳と聲』

    トマティスメソッド(聴覚・発声トレーニング)を後世に伝えるための冊子『耳と聲』全6号を2014年に発行しました。 http://ear-voice.info 毎週火曜日に『耳と聲』のテキストを順次公開していきます。   ※実際にトレーニングを受けたい方は、各センターまでお問い合わせください。 ・トマティスリスニングセンター東京  http://www.ear-voice.com/ev.html ・トマティスリスニングセンター神戸  https://tli-tomatiskobe.com

  • 耳と聲体験談

    トマティスメソッドを後世に伝えるための耳と聲プロジェクトチームのメンバーの体験談を載せていきます。 http://ear-voice.info/about.html

記事一覧

01号 自然体で生きるためのメソッド(6)

私が耳と聲の本をまとめようと思ったわけ宗形 憲樹(※1) トマティスメソッドとの出会い  トマティスとの出会いは、札幌に暮らしていた二○○二年に、合唱団を立ち上げ…

01号 自然体で生きるためのメソッド(5)

イタリアと日本でのトマティスとの出会い木村 満壽美(※1) イタリアで出会う  私がトマティスメソッドに出会ったのは、イタリアに留学して九年目、当時通っていた声楽…

01号 自然体で生きるためのメソッド(4)

誰もが歌えるようになる村上 亜紀子(※1) 思いがけない再会  人生には時々素敵な出会いが到来しますが、私にとってのそれは、卒業以来お会いすることのなかった、同じ…

01号 自然体で生きるためのメソッド(3)

人間は探し求める耳である森田 理恵(※1)  このメソッドが日本に上陸したのが1993年、今では20年以上の月日が経ちました。  私は縁あってこのメソッドに出会い、プロ…

01号 自然体で生きるためのメソッド(2)

自然体で生きるためのメソッド日原美智子(※1) 博士が最初にしたのは私をリセットすること  博士が私をどう導いていったかというプロセスは、今考えるとトマティスメ…

01号 自然体で生きるためのメソッド(1)

はじめに 「人間とは、自分に絶えず呼びかける天地万物の受信アンテナである」と述べたフランスの耳鼻咽喉科医がいます。その名はアルフレッド・トマティス博士(1920〜200…

自然体で生きるためのメソッド

日原先生と初めてお会いしたのは、2002年の12月。 当時暮らしていた札幌で新たに立ち上がった合唱団に東京から指導に来てくださっていたのが日原先生だった。 日原先生の指…

01号 自然体で生きるためのメソッド(6)

私が耳と聲の本をまとめようと思ったわけ宗形 憲樹(※1) トマティスメソッドとの出会い  トマティスとの出会いは、札幌に暮らしていた二○○二年に、合唱団を立ち上げるという話を友人から聞いたことでした。単なる合唱団だったら、参加しなかったのですが、その合唱団は、耳を訓練して声が良くなる方法を使うと聴いて興味を持ち参加することにしました。  それが、トマティスメソッドでした。  トマティスメソッドに出会う以前から、私は、「体と心」というテーマにとても関心があり、竹内敏晴さんの

01号 自然体で生きるためのメソッド(5)

イタリアと日本でのトマティスとの出会い木村 満壽美(※1) イタリアで出会う  私がトマティスメソッドに出会ったのは、イタリアに留学して九年目、当時通っていた声楽のレッスンの先生の勧めによるものでした。先生は常々、「歌は大声を出して歌うものでなく、耳で聴いて歌うものだ」とおっしゃっていました。  ある日のこと、「私がいつも言っていることが書いてある本を見つけました」とおっしゃって見せて下さったのが、アルフレッド・トマティス著『耳と声』でした。先生は「ほらっ」と言って本を開

01号 自然体で生きるためのメソッド(4)

誰もが歌えるようになる村上 亜紀子(※1) 思いがけない再会  人生には時々素敵な出会いが到来しますが、私にとってのそれは、卒業以来お会いすることのなかった、同じ音楽の学び舎で同級生として声楽の勉強していた日原さんとバッタリ、トマティスセンターでお会いしたことでした。  メソッドをご指導いただくうちに、内容の素晴らしさにぐいぐいとひかれていくだけでなく、その間、日原さんのお口から何度となく発せられた「私はこのメソッドを人に伝える役目を果たさなくては」というお言葉に、自分に

01号 自然体で生きるためのメソッド(3)

人間は探し求める耳である森田 理恵(※1)  このメソッドが日本に上陸したのが1993年、今では20年以上の月日が経ちました。  私は縁あってこのメソッドに出会い、プログラムをご提供する立場となりましたが、折に触れて立ち戻るべくは、この「耳と声」のメソッドを通してトマティス博士が伝えたかったことは何だったろうか…ということでした。といっても眉間にしわを寄せていつも考えているわけでなく、その答えらしきものは、博士の言葉に触れた時、受講者の方とのやりとりの最中、あるいはこの冊子

01号 自然体で生きるためのメソッド(2)

自然体で生きるためのメソッド日原美智子(※1) 博士が最初にしたのは私をリセットすること  博士が私をどう導いていったかというプロセスは、今考えるとトマティスメソッドそのものだったのです。  博士にCAVで最初に会ったときに、この人すごい!人間じゃない!宇宙人だ!と思ったくらい、私は博士に魅了されました。立ち居振る舞いのすべてが立派で品がよく、たたずまいがすばらしかったのです。  そして、何よりも声が圧倒的でどんなオペラ歌手よりもすばらしかった。バタフライのアリアから、ト

01号 自然体で生きるためのメソッド(1)

はじめに 「人間とは、自分に絶えず呼びかける天地万物の受信アンテナである」と述べたフランスの耳鼻咽喉科医がいます。その名はアルフレッド・トマティス博士(1920〜2001)。早産の仮死状態で生まれ、いったんはかごに捨てられてしまったのを、その後拾い上げられて蘇生したという誕生秘話を持ちます。「この死に瀕した誕生体験が自分の仕事の方向性を決定づけた」と自伝で述べているように、彼は単に耳鼻科医にとどまらず、耳と声と心の探求に一生を捧げました。 耳は胎生期に早くに完成し、そして死に

自然体で生きるためのメソッド

日原先生と初めてお会いしたのは、2002年の12月。 当時暮らしていた札幌で新たに立ち上がった合唱団に東京から指導に来てくださっていたのが日原先生だった。 日原先生の指導はとても新鮮で、合唱団で記録係をしていたわたしは、レッスンの復習のためのダイジェスト映像を編集しながら何度も見返し、感動を新たにしていた。 何がそこまでわたしをひきつけたのだろう? 日原先生のこの指導方法を後世に残さないのはもったいないという使命感に勝手に駆られて始めたのがこの耳と聲プロジェクトだ。 200