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01号 自然体で生きるためのメソッド(6)

私が耳と聲の本をまとめようと思ったわけ

宗形 憲樹(※1)


トマティスメソッドとの出会い

 トマティスとの出会いは、札幌に暮らしていた二○○二年に、合唱団を立ち上げるという話を友人から聞いたことでした。単なる合唱団だったら、参加しなかったのですが、その合唱団は、耳を訓練して声が良くなる方法を使うと聴いて興味を持ち参加することにしました。
 それが、トマティスメソッドでした。
 トマティスメソッドに出会う以前から、私は、「体と心」というテーマにとても関心があり、竹内敏晴さんの演劇のレッスンや野口三千三さんの体操教室、野口整体の活元教室などに通ったこともあります。単に歌うだけではなく、それが「体と心」というテーマにつながるような予感があったため、興味をひかれたのだと思います。
 また、私は、札幌の円山裏参道地区のまちづくり活動に参加していた際、その街に新しくジャズのライブハウスを開店する方と知り合った縁でそのお店でライブの記録撮影をしていました。ライブで演奏する人たちの写真を撮り続けているうちに、音楽を自分でもやってみたいと思うようになっていました。でも私は、自分が音痴だと思っていました。トマティスメソッドを使った合唱団だったら、歌うのが苦手な自分でも、歌えるようになるのではという期待もあり、合唱団に参加しました。

トマティスメソッドと出会って変わったこと

 その合唱団の指導に東京から毎月のように来てくださったのが、日原先生でした。
 「感透音」と名付けられた合唱団に集ったのは、ほとんど合唱経験のない30名の仲間たち。楽譜も読めず、最初に歌った「大きな古時計」では、音が取れずに四苦八苦でした。
 その仲間たちが日原先生の指導を受けるうちにどんどん声が変わり、歌えるようになっていくのが驚きでした。合唱団で記録係をしていた私は、練習を撮影したビデオを編集しながら、先生の指導方法のすばらしさ、おもしろさを繰り返し味わっていました。
 合唱団で指導を受けるだけではなく、その元となったトマティスメソッドをちゃんと学んでみようと、聴覚トレーニングと発声トレーニング(CAV)も受講しました。
 トマティスメソッドを学んだことにより、音楽が耳から入ってくるというよりも、体全体に入ってくるようになりました。
 また、頭のところから出ていたような声が体の奥深くから出るようになり、人に声が届くようになりました。例えば、お店で注文するときも、そんなに大きな声を出さなくても相手にすっと届くようになったのが嬉しかったです。

日原先生の経験を本にしたい

 私にとってトマティスメソッドとの出会いは、日原先生との出会いでもありました。日原先生と接しているといつも人生を楽しんでいるようで、人生の達人だなと思います。そして、先生がそうなれたのはトマティスメソッドを学んだことが大きいことが先生から学んでいくうちにわかりました。トマティスメソッドのすごさは、生きるベースになるメソッドだというところにあると感じています。
 私は、テクニカルライターという職能をもつものとして、このすばらしいメソッドを後世に伝えていくお手伝いをするのが自分の役割ではないかと思うようになりました。
 『耳と聲』の本をつくるプロジェクトは、2009年、日原先生を中心にトマティスメソッドにひかれ後世に伝えていきたいと思っている仲間たちが集まって始まりました。月1回くらいのペースで話し合いを重ね、内容と目次がようやく固まってきました。
 いきなり書籍版『耳と聲』を実現するのは難しいので、その目次に沿ったテーマのインタビューを日原先生にして、それを小冊子にまとめる作業を積み重ねることで、書籍版につなげていこうと考えています。
 トマティスメソッドの「追い求めるものではなく、日々の積み重ねによってのみ得られる」という言葉を常に念頭に置きつつ。

(※1)宗形憲樹
メディアクラフト代表。茨城県北部の温暖な町「日立」で子育てを楽しみつつ、個人やグループが自分の考えをまとめ、IT機器を使いこなして自前の小さなメディアをつくるお手伝いをしている。

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