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感情論をバカにするのは時代遅れ


感情論をバカにする風潮

「感情論で話す奴はバカだ」「もっと論理的に話せタコ」なんてフレーズを耳にすることは少なくない。こういった発言からは、自分は理性的に考えられる優れた人間で、感情に惑わされる人間は知能の低い人間だから、会話に値しない、というマウント取りの態度が感じられる。

でも、感情論を軽視することは本当に賢い態度なのか。むしろ感情を無視するほうが、非現実的な姿勢なのではないか

この記事では、感情論をバカにする風潮に対して、合理性・論理性を感情に対立するものと便宜的に考え、反論を試みてみようと思う。

ちなみにこれは、「やっぱり気持ちは大切だよね、うんうん」という脳天気な感情論擁護ではない。

行動は感情に支配される

人間も含めた動物は、感情によって行動が大きく影響される生物だ。感情は数億年は下らない進化の産物なので、この世界に現れてたかだか数十万年のヒトがそれを制御できると思い上がるのは無理がある。

株価の変動、リーマンショック、社会の分断、暴動、戦争など、大きな出来事の背後には常に感情に突き動かされた人間の行動がある。

もちろん、すべての行動が感情だけで説明できるわけではないし、合理性もまた人間の行動において重要な役割を果たす。しかし、感情に動かされた人々の行動が、経済や社会を大きく揺るがしている事実は無視できない。

ビジネスも戦争も、感情を利用している

実際、世の中を深く理解し、社会を動かす立場にいる人々こそ、人間の行動原理に感情が大きな影響を持つことをよく知っている。だからこそ、ビジネスや戦争の戦略で、感情は重要なテーマになっている。

マーケティング戦略では消費者の感情を揺さぶることが成功の鍵であり、エンターテイメント業界に至っては、人々の感情を操作することそのもので莫大な価値を生み出している。戦争におけるプロパガンダや政治的なキャンペーンもまた感情に訴えかけるものだ。人の一生を左右する裁判のような重要な決断にしたって、裁判官の心象が物を言う。恐怖、不安、希望、欲望、共感といった感情が、人々の行動を導く。

このような場で「感情論なんてくだらない、論理だけ考えていればいい」などと言っていたら、即座に戦略会議から追い出されるだろう。

行動経済学と感情の研究

2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、行動経済学に心理学を導入し、合理的な意思決定という幻想を打ち砕いた。インターネットと計算技術の進化により、人間の行動や感情に関する大規模な研究が可能になってきた。神経科学の記録技術の発達により、人間の行動に影響をあたえる感情や、その神経科学的な基盤も明らかになってきた。

このような研究の発展により、感情と行動のつながりは次第に解明されてきた。感情は単純で稚拙なものではなく、最先端の現代科学ですら完全には解明しきれていない、非常に複雑な現象なのだ。

感情論を否定することの非現実性

こうした事実を前に、感情論をバカにする態度は、むしろ現実から目を背ける行為と言えるだろう。感情を考慮しない理論は不完全で、現実世界では通用しないのだ。もちろん、冷静な判断力や論理的な思考は重要だが、理性のゴリ押しだけでは全てを解決できるわけではない。

むしろ現代のテクノロジーやビジネス、そして政治は、これまでにないほど感情を考慮して利用するようになっている。感情を「非論理的だ」と切り捨てる態度こそ、人間社会の複雑さを見誤る、時代遅れな考え方と言えるだろう。

おわりに

タコは体の色を変えることで感情を表現するという。もし人間もそんなふうに感情が丸見えだったら、「感情論はバカ」なんていう発想すら生まれなかったかもしれない。私たちは感情が伝わりにくいからこそ、扱いに苦労しているのだ。

感情を持つこと自体は人間の本質であり、それを無視して論理をふりかざすことにほとんど意味はない。むしろ人は最後には感情で動くことを認め、感情について真剣に考え、それをどう利用していくか考えることこそが、現実的で理知的な態度だろう。


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