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シニョーラ・ドローレス

めっきり冷え込んできた今日この頃。

ようやく本格的な冬がやってきたなあと思います。

寒さで顔が痛くなるぐらいの風を肌に感じると、

ふと、シニョーラ・ドローレスのことを思い出します。

アッシジ刺繍に関する手がかりを得るために、

(と言うと、何かちゃんとした感じに聞こえますが)

私がアッシジの町で調査を開始したのは、2016年9月末のことでした。

実り多き秋から、ちょうど季節は寒くて暗い冬の季節へと変わる時期だったので、

アッシジで出会った人々には、

「あなた、来る季節を完全に間違えたわね。」と言われたものです。

(そんなあ・・・)

そんな時にシニョーラ・ドローレスに出会いました。

シニョーラ・ドローレスは、年の頃80代前後の女性で、

市庁舎からすぐそばのメインストリートに刺繍専門店を構えている名うてのオーナーでした。

いつも分厚い毛皮のコートを着込んで、自分専用の椅子に腰掛けながら、

物思いにふけっている(ように見えました)静かな女性でした。

私はその当時、とにかく情報収集に必死で、

アッシジ刺繍に関することならどんなことでも知りたかったのですが、

なんとなくシニョーラ・ドローレスにはインタビューを申し出ることができずにいました。

まとまっていない頭でインタビューするのは申し訳ないし、とか、

まだイタリア語がきちんと喋れないし、とか、

寒いし(おい!)とか、

様々な理由が頭の中を駆け巡っていたのですが、

つまるところ自分自身がシニョーラにインタビューをどうしてもできない状態にあったのだと思います。

シニョーラはいつでも、静かに迎え入れてくれて、

黙ってお店のすみに座っていました。

寒い冬の時期は観光客も滅多に来ないため、

インタビューをしようと思えば、時間は十分にありました。

お店の前を通れば必ず挨拶だけはする私に、

いつもシニョーラは、

またいつでも来るように、

よく包まって暖かくしなさい、

と暖かい言葉をかけてくれました。

それなのに、なぜだろう。

どうしてもインタビューができずに、

日にちばかりが過ぎて行きました。

ある朝、刺繍の先生のお家に行くと、

「今朝方シニョーラ・ドローレスが病院に運び込まれたのよ。」

と聞いて、

その日以来シニョーラがアッシジの町にも、

自分が大切にしていたお店にも戻ることはありませんでした。

シニョーラ・ドローレスが亡くなったと聞いたのは、

その年から2年後の、暑い夏の日にアッシジに戻った時のことでした。

シニョーラと出会った寒い寒い冬の日とは対照的に、

とても暑い暑い夏の日にその死の知らせを受け取りました。

私の頭の中では、いつでも分厚い毛皮を着込んだシニョーラがいたので、

暑い季節とシニョーラの姿が全く不似合いで、

嘘か本当かわからないような気になりました。

でもそれと同時に、

「ああ、私は間に合わなかったんだ・・・」と実感して、

バタバタせかせかしていた当時の自分と、

厳かなシニョーラとの対比が思い起こされました。

シニョーラはいつも静かな世界の中で

すっかり用意を整えて私を待っていてくれていたのに

対する私の方は、いつでも何かに追われているような状態で、

ゆっくりと流れる時間に身を置くことができずにいたのかな、と

今になって思ったりもします。

今年の冬は、時が止まったように物事が停止しているように感じて、

あの静かなシニョーラの佇まいを思い起こさせます。

それから、あの当時よりは、少し落ち着いて物事を考えられるようになったからなのか、急にふとシニョーラのことを思い出しました。


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