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感情を信じてる

 つまるところ、私の到達点は詩集本を出したいでも、入選したいでもなかった。詩をもしも書いてしまったら、海に捨てて消してしまうということ。文学極道に初めて投稿したあの時、あの人に「文章を舐めないでください」と言われ覚えていること。

permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160903_276_9074p  
より熊谷氏のコメント以下引用

三浦さん、初めまして。

作品、読ませていただきました。
基本的に、わたしは良いと思ったものしかコメントしない主義なんですけど
この作品は頑張ってコメントさせていただきますね。
たまには悪者で、嫌な奴になるのもいいかなって、ちょっと思うので。

うーん、何だろうなあ、ごめんなさい、全然良いと思えなかったです。
言いたいことはわかるような気がするんですけど。
(わかってるつもりだけだったらごめんなさい)

そもそも、人に文章を読んでもらうってどういうことか考えたことありますか?

読む人にとってはその人の人生の何秒か、何分かをその作品に時間を費やすわけですよね。
はっきり言って、わたしはこの作品を読んで、自分の時間損したなって思いました。

読み手に「読んでよかった」って思ってもらうということ、
基本的にそういう姿勢が欠けてるなって思います。
三浦さんが読んでよかったって思う文章ってどんな文章ですか?
その文章を、端から端まで真似してみてください。
たぶん、今ご自身が書かれてる文章とは全く違うと思うんです。

文章を舐めないでください。
いや、舐めてないって言うんだったら、
もっと人に伝える努力をしてください。
三浦さんしか書けない文章を、死に物狂いで探してください。
たぶん見つかるはずだと思うんです。
文末に、「悔しかったらやってみろ」って言えるぐらいの書き手なんだから
見つけられるはずなんです。

応援してます、次回作、ぜひ読ませてください。
 ('16/09/04 22:58:55)
引用以上
http://bungoku.jp/ebbs/20160903_276_9074p

 私が到達した、詩をもしも書いてしまったら海に捨ててしまう(誰にも読ませない)ことは、人様に読んでいただくのではなくて、それにNOだということ。ただ、文章を舐めるなと放たれたあの人の胸の内、「それだけ」が今はわかる。いや、あの時信じたあの人の感情を覚えているし、そのこと以外にネット詩文化はないよ。テキストの読解でも観念や概念や歴史など、そういうものではない。感情。言ってやるけれどもネット詩は文学ではないんだ。娯楽とも少し違う。誤解を恐れずに言ってやる。それこそもう、死滅した宗教の儀式、啓蒙思想、啓蒙運動に近い。感情だけが人間を、あなたの文章を変えることができる。初見の者同士の利害関係も無い友人知人でもない人間同士の感情。

 いやいや、その感情の交流に何の価値があるのかと疑われるだろう。他人を信じ切る崇高な価値に決まっているよ。だからね、他人に読まれなくて、もういい。詩を書き終えれば灰になるだけだ。

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