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弱くても愛されると知った日

人を頼ることが上手じゃないことは、以前から自覚していました。

人に頼られたら嬉しいことは知っているのに、どうして頼れないのでしょう。私だって助けてほしいときだってあるのに。


今まで人に「手伝ってください」って言えた経験が少なすぎるんでしょうね。

後は、人に依存してしまうことがとても怖いから。


依存したことはないと思うけれど、私は一度人を信用してしまうと、とてもその人のことを好きになってしまうんです。

これについては別の記事に残しているので、もし興味があれば。


頼ることと依存することのちがい

さて、依存について、以前私はこんなことを考えていました。

人を頼るということは、その人の知恵や力や経験を借りて自分の努力の材料にしたり、自分がまた新しく一歩踏み出す手がかりにしたりすることだと思います。一緒に手を繋いで歩いてもらう、前を歩いて道を示してもらう、後ろからアドバイスをもらって歩くとかそういうことじゃないでしょうか。

一方で人に依存するということは、その人に自分の選択とかすべきこととかを全部丸投げにしてしまうこと。相手におんぶしてもらって進むことだと思います。

そうやって考えたら2つの大きな違いは、自分は何をするかってことだと思います。頼ることは、力を借りつつも自分でなんとかしようとしているけれど、依存することは相手にすべてゆだねてしまっていて自分を無力化していることだと思いました。

人がいないと生きられない自分にはなりたくない。

だからこそ一人でできることは自分でやらないと。

そうやって必要以上に抱え込んでしまうことの多い毎日でした。


人に頼ることを覚えた留学生活

そんな私の転機となったのは、大学4年生のときのニュージーランドへの留学でした。

わたしは昔から、自分でなんでもしようとする人でした。自分1人でなんとかできないことって少ないし、わからないことも調べたら出てくることがほとんどだし、粘ればどうにかできるって色々してきました。そして、実際のところ大抵時間と労力をかければ人はなんでもできるもんです。だから人に聞いたりするのって相手に迷惑になるかもしれないとすごい考えるくらいなら自分でやったほうがいいかっていう考えで生きてきました。

でも、留学先で自分ができないことが多すぎて、周りの友達の力をたくさん借りました。友達の集まりに呼んでもらって交流の輪を広げることから、授業の内容を教えてもらうことまで。1人でいて気持ちがいっぱいになってしまった時に電話させてくれる人がいたり、宿のない5日間にお部屋に住まわせてくれる人もいました。


本当に、留学先で自分は無力でした。

今までだったら、自分が「できる」方で、できない人を助けてあげていたんです。でも、自分がなにもかも「できない」立場になって、強制的に助けてもらう環境に置かれていました。


今までだったら自力でなんとかしようとしていたなあってことを、たくさん助けてもらって気づいたことがあります。

わたしは他の人を信頼してなかったのかもしれない。

人は自分が思う以上に優しくて、何かを頼んだりすることで嫌われたりすることはないんだってことでした。
わたしは、誰かに何かを求めて相手に何か思われるんじゃないか、図々しいとか無力とか思われるんじゃないかっていうことを極度に怖がっていたんだと思います。

でも、ここでいろんな人から手を差し伸べてもらって、完璧な自分じゃなくてもみんな自分を認めてくれるんだって思いました。そんなに怖がらなくても良かったんだなあって思ったんです。わたしが思っていたより世界は優しくて、わたしが思っていたより自分の思っていることに素直になった方が人との距離は縮まりました。


自分は、完璧な自分じゃないと周りは認めてくれないと思っていたのかもしれません。完璧な人間なんていないのに、なるべく頑張っていないとだめなんだと。

でも、弱い自分も、ありのままの自分も、みんな好きでいてくれました。

むしろ、自分の弱い部分を見せたことで、周りとの距離は縮まっていったんです。


私は、世界と、周りの人と、壁を作って生きてしまっていたんだなと思いました。


依存せず、自立した人間関係を築いていく


それでも、依存することはまた全然違うことだと思っています。誰かがいないといきていけないっていうのは甘えているなって思うんです。そして、自分の生活の基盤ごと誰かに預けてしまうのは、自分の幸せに対する権利も破棄してしまうようでわたしは絶対にしたいと思いません。

以前、人に依存しかけているのかもしれないと思ったことがあります。人に対して思い入れが強くなってしまうっていう自覚はあるのに、人が喜んでくれたりその人と一緒にいられたりするってなったら、自分が普段持っている軸みたいなものを一瞬で振い捨ててしまいそうになることがあります。

そういう衝動を秘めている自分がわたしはひどく怖いです。だって、その人が一生養ってくれると思って専業主婦になった後、離婚したらどうするの?その友達とずっと一緒にいることだけを優先して、他の関係性が壊れたりその子との関係事態悪化したらどうするの?その人があなたの幸せになってしまったら、もう自分の幸せを自分自身で作り出すことができなくなってしまうのに。
だからこそ、自分1人で生きられる力をつけなくてはいけないと思うんです。自分で自分を養って、どこにでも住めて、どこでも働けて。そしてなにより自分でいつも自分が幸せだと思う選択をして、意志を持ち続けること。これができたら最強じゃないですか。

自分が新しく大切にしたいと思うものがいつどこに現れても、それに対する自分のスタンスを自分自身で選び取り続けることができる。そういう人にわたしはなりたいです。どうしても。それができずに適度に蝕まれていくくらいなら、何も持っていない状態で自給自足した方がいいと思うくらい。

本当に強い人は、周りにいる人との信頼関係を大切にして、きっとその助けも財産にできるんだと思います。わたしはもっと強くなりたい。これだけは見失わずに生きていきたいです。


自分の力で生きていきたい。そういう思いは今でも変わっていないです。

でも、もう一つ友人に言われた言葉を。

「たまには甘えたらいけないの?」

甘えることは、逃げることだよね。そう思っていけないことだと思っていました。そんな風に頑張りすぎてしまう私に、頑張りすぎなくていいんだよと言ってくれる人は、いつも近くにいたりします。


自分で生きていきたいのなら、それを実現させればいい。


でも、たまには肩の力を抜いて、休んでもいいんじゃない。

自分を甘やかしてあげてもいいんじゃない。


そういう余裕を持った女性になりたいと思う23歳でした。

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