自分らしくないことは、案外自分の可能性を広げてくれるみたい

新生活を始めて以降、らしくないことに取り憑かれて生活しているような気がします。

ボクシンググローブをはめてサンドバッグを殴ったり、

毎日朝6時から起きて自炊をしたり、

大人数をまとめる幹事役を率先して担ったり、

不安に思っていることを人に打ち明けてみたり。

自分ってこんな人間だったっけ、今周りの目にはどんな風に映ってるのかな、大丈夫かな、と終始思いながらもその日の自分だけを見て前に進んでいる感覚です。慌ただしくもあって、今はこれをするしかないしやらなきゃと過ぎている時間でもありました。

らしくないなあ。

その感覚がこびりついて、それをしているのは一時的な自分なんだと思ってしまうんです。今までの自分とは違う、ただ新生活でふわついているから出てきた特殊な存在。長続きはしないもの。そんな風に思って疑いもしませんでした。

でもしばらく自分を見つめてみて、そして人から言われて気づいたことがあります。


実は私って、自分が思っているような「私らしい」人間ではないのかもしれない。


実際には自分が思っているより体を動かすのが好きで、ストイックなところがあるのかもしれません。

実際には食べるだけじゃなくてつくることにもこだわれるのかもしれません。

実際には社交性もあって人と人とを繋ぐために人の前に立つことができるのかもしれません。

実際にはちゃんと弱さを抱えた24歳として認識されているのかもしれません。


私らしさってなんだったんだろう。

私らしいと私が思っていた範囲は、自分の安全圏なだけだったのかもしれません。別に意識高い文章にしたいわけではないけれど、あえて言うのならコンフォートゾーンってやつでしょう。

私は、私ってこういう人間ですって壁をつくることで、自分を守る言い訳をつくっていただけでした。


思っていたよりずっと、ボクシングは楽しい。全然できないけど。

想像より料理って自由でクリエイティブ。

私が動いたことで生まれたつながりがある。

私のことをよく見ていて支えてくれる人って実はたくさんいる。


そう思ったら、途端に自分ができることが広がり始めた気がしました。

らしくはない自分でも、私はちゃんと楽しめてる。

それが新しい私をつくっていって、きっと私が見られる世界を広げてくれるんだと思えました。むしろ私らしくないと思って遠ざけていたことのほうが、すごい可能性を秘めているのかもしれません。


結局今していることが途切れたとしても、それはそれで受け止めればいいことかもしれません。

らしくなかったのかもしれないけれど私はそれを楽しめていた。そんな自信になると思うんです。

自分らしくないと決めつけて、やる前から機会を遠ざけてしまうのはやめよう。そうやって社会人生活でも多くのことを吸収していきたいところです。



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