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年越しを家族で過ごすのもあと何回だろう

2024年最初の旅は、年越しをした山梨県でした。下部温泉という場所で、父の運転で祖母をピックアップし、東京から向かいました。ホテルは広く、暖かく、チェックインから夕食まで時間があるからと早速温泉に行く祖母について私もお風呂へ。ゆっくりと洗い、ゆっくりと浸かる祖母と一緒にだらだらと入浴したら私はすっかりゆだってしまいました。

祖母は「温泉に来たらついたときと、寝る前と、朝と三度入るのよ」と言っていて、それは私も同じだったのでそうだねえと言いながら浸かります。祖母といると、三時間に一度は結婚と出産を早くしろという話になるし、それは面倒というか厄介というか、言葉を選ばずに言えば鬱陶しいです。でも、そういうものを避けて他愛のないこともあまり喋らないまま亡くなった祖母への後悔があり、あとはフリーター時代に散々のらりくらりとしたので自分に言葉を蓄積させないことも覚えて、あまり話すことを億劫がらないでいたいと思っています。

父はお酒を飲むとうるさくて、それでも自分のことながら、私たち娘が揃うのが嬉しいんだなとありありとわかるご機嫌さです。夕食のバイキングではお刺身、国産牛のしゃぶしゃぶ、ほうとうなど、充実したラインナップでした。父は私も飲んでいると喜ぶのを知っているので、ワインを一杯もらいます。にこにことみんなに酒をつぐ父を見ていると、あと何度私はただ存在するだけで彼らを喜ばせられるのかという問いが浮かびました。

ほら食べろ、と父が私たちの分までバイキングをとってきて、これ誰が食べるのさ、と少し喧嘩になるのも(みんな少しだけ不貞腐れながら、頑張ってみんなで分ける)、気が大きくなった父が大声で話すのを妹に咎められるのも、昔から何も変わらない家族の構造です。昨年祖母が一人になってしまってからはそこに祖母も加えた旅行をすることもあるけれど、大人になった私たちともまだ旅行をしたがる両親が最近どっと老けたように見えることに行き場のない悲しさを感じるのです。

私はもしかしたら数年後には結婚していて、年越しに実家に戻らないかもしれません。旅行も行かないか、それとも家族に新しいゲストが加わった状態か。きっと父が心の底から楽しめる状態ではなくなってしまうのかもしれません。両親が元気だっていう確証もなくて、未来はあの頃のようにただ明るく信じられるものではなく、ぐらぐらと揺れています。

家族について考えざるを得ない二年間を過ごし、年始に震災もあり、どうやったら家族と後悔せずに過ごせるかを考えてしまいました。山梨旅行が終わってから、祖母から「おばあさんの世話役にさせてしまってごめんね」とラインが来たけれど、そういうふうに旅行できたことも、いつか私自身の罪悪感を減らす私のためなのだと思っています。これからもできるだけ元気で、みんなが無事に過ごしてほしい。家族旅行は、未来の自分を救っている気がした、そんな年始でした。





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