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失恋ですか、と美容師さんは聞いた


「20cm、切ってください」

鏡に映る自分をまっすぐに見つめて、考えてきた言葉を一息に言い切りました。

「顎くらいかな、それより下?でいいですか?」

3回目になる担当の美容師さんは、初対面とも気を許してるとも言えない距離の敬語でわたしの毛先をいじりました。


顎下のボブなんて、何年ぶりでしょうか。

大学2年生くらいまで、高校生の延長のようなボブをしていたのが私の中では最後の記憶です。それからは鎖骨あたりで揺れるくらい、伸びてもそこに戻って、当たり障りのない女子を楽しんでいました。



「じゃあ、切るよ。」

一気に入れられたハサミは、咄嗟に切りすぎた、と思うのには十分な勢いでした。

そして彼は少しの間をおいて、穏やかに聞きました。

「失恋とか、ですか。」



「失恋ではない、んですけどね、気分転換?」

そう笑った私は、やっぱり傍から見たらそう思えるんだなという驚きと、聞いてほしいような話でもないなと言う面倒臭さを半分はんぶん、感じたのを覚えています。

髪を切った理由。ただ、毎日LINEをする男の子をひとり、失ったというだけでした。

「そっか、すみませんね。こないだも高校生に聞いたら、いまどきそんな理由で切る人いないよ〜って言われちゃったばっかりなんですけど笑。」

そうやって遠慮がちに笑う美容師さんには、好感が持てました。



失恋ではないというのは本当で、その証拠に私は寂しがったりしていませんでした。

恋でもなく、彼氏でもなく、明日連絡がつかなくなってもいい人でした。好きと言ってくれても、私にはそれは返せない相手でした。彼の好きはあまりに多くの女の子に配られすぎていたし、私も優しい人を利用していただけだったから。

人に甘えるのがとても苦手な私が、気を使わずに頼るにはちょうどよかったのです。だからむしろスッキリしたと言えるほど、私にとっては重荷になっている人でした。けれど、傷つけてしまったという痛みだけは、ほんの少し残っていたのです。



傷つけない。それが私が自分に課しているルールでした。

でも、誰かを傷つけてしまいました。そういうかたちでしか終われなかったのかな。そう少しだけ思ってしまうことが、未練でもなく悲しみでもなく、私に髪を切る必要性を与えていました。

自分の中で、今日までと今日からのけじめを付ける。どれだけ優しくありたくても、結局は自分のために人を傷つけてしまうことの痛みを、背負おうと思いました。

そして、もう遊ぶのはやめにする、そのけじめでもありました。



結局、本気で向き合うことのない関係性からは、何も生まれないんです。

その時に必要になって依存して、でも踏み込むのは嫌だからこころの大切な場所はお互いに明け渡さない。そんな関係性の先には、喜びも信頼も生まれないのだと学んだ10ヶ月でした。

少なくとも今までの人生でいちばん好きだった男の人は、私の中にたくさんの言葉と愛情を残しました。悲しみさえ、乗り越えた経験として私をもっと好きでいられる私に近づけてくれたと思っています。



でも、今回、彼との時間は何だったんだろう。私達はぬるま湯のように、孤独を薄く塗りひろげあいました。側に誰もいないという絶望はなかったけれど、どんなに一緒にいても独りぼっちじゃなくなることがなかった。

それが、苦しかったんだと思います。唯一の存在でもないし、相手の唯一になりたいと思わない人と、なぜか積み重なっていく時間。一緒にいればいるほど、自分の矛盾に向き合わなければいけないという混乱。

それでも離れないでと求められることの、優越感と罪悪感が私の決断を先延ばしにさせました。



「失恋ですか」

そうです、と答えるには私はあまりにも冷静でした。

ちがいます、と答えるには彼との時間はあまりに長かった。



世の中には気分転換くらいのライトさで、自分の残酷さに向き合わなきゃいけないこともあるんですね。

慣れないほどスースーする首元に、甘ったるい白のマフラーを巻いて、私はこの冬を乗り切るんだと思います。あの人も風邪をひかないといいんだけれど。


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