カッコつけた文章も好きなんだけど。

エモい雰囲気がすき。

それはフィルムカメラで切り取られた世界だったり、見つめると吸い込まれて涙がこぼれそうな夕焼けだったり、化粧けのない高校生の笑い声だったり、彼との間の温度ある沈黙だったり。

簡単に忘れてしまいたくないその瞬間をどうにかこうにか残したくて、自分の好きな世界を詰め込んだ文章を書いてきました。

最近は書くものの傾向がそっちに振れているなあと感じていたし意識してそうしていた部分があります。

例えばこれとか。

きちんと机に向かって、書きたいものを書いた文章って感じがする。そうでなくっても、表現したい世界があって書いた文章って感じ。

でも、こういう文章だけだと人間はつかれるらしいです。少なくとも書いている私は、少し疲れてしまう。きっとこういう文章が感受性に全ふりしてるからだと思うんです。感覚を研ぎ澄ました先にあるものを表現しようと神経に一回一回力をこめて、その作業を全身に渡って行うため、途中ですらつかれます。

そして、もうひとつ、飽きるんです。その時感じていた雰囲気とか好きな雰囲気って同質のものが多いですよね。一曲の歌にドハマリすると1周間はその歌しか聞かず、それからぱったりと忘れてしまう私です。一度書きたい雰囲気にのめり込むとそればかり生産しますが、突然ふと気づきます。あ、このパターン私も読者ももう飽きるな。

だからこの間は思い切ってただ好きなものを私の喋りのままに書いてみました。

この感じの文章は、私にとってはすごく書きやすいんですよね。感受性も50%くらいしか開かなくていいし、基本的に普段思っていることを垂れ流して言語化しているだけなので。

気負いのない文章なのだと思います。きっと。

3年前とか、ブログを始めたばかりの時に書いていた文章を思い出します。とにかく書きたいことだけを綴っていた時間です。あの時の文章のほうが読みやすいなと思っている方も、一定数いる気がします。その証拠に、たまに3年前の文章を毎日投稿に紛れ込ませているんですが、純粋にスキが多いときがあります。ほうほう、これって荒削りな下手な文章かと思ってたけど、こっちのほうが案外読まれるんだなあ、なんて思っています。

私は自分自身のことは客観視するように努力しようとしてます。というか、第三者的な醒めた私が嫌でも消えてくれない厨ニなところがあるので、かなり多方面からいつも自己分析していると思います。でも、文章に対してはわからないことばかりなんです。私にとって自分の文章を客観的に見るということがすごく難しいため、読んでくれる方がどんなものを好んで私の文章を読んでくださるのか、殆どわかっていません。そもそも、文章の私らしさとかもよくわかっていません。

だから、自分が好きなものを書いているのですが、それはそれでまた難しいんですよね。読まれることを想定していない文章というのはまずなく(そりゃそうだ)自分が抱かれるであろうイメージみたいなものをイメージしたりもします。

でも、じゃあ文章それ自体の色ってどんなもの?特徴は?と言われたらわからない。みなさん自分の文章ってこうだよね!とか意識しているんでしょうか。ここらへんのことは一人で悶々と考えていても埒が明かないので考えるのはやめますが、気になっていることでもあります。


かっこつけた感受性ばしばし100%の文章も好きですが、50%くらいのゆるい文章もこれからまた少し増やしてみようかなあと思った今日このごろです。


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