頑張ってじゃなくて頑張ろうって言うの。
高校一年生の時の友人の言葉が、今でも忘れられずに私の中に残っています。ときおり顔を出して自分の行動を振り返らせたり、立ち止まって言葉を選ばせたりするんです。
当時中高一貫の女子校に通っていた私達のアイドルは、紛れもなく上級生でした。
特に部活の先輩はキラキラとしていて、厳しいときも楽しいときも一緒に過ごして支えてくれて、好きにならないわけがない。そんな環境で生きていました。
私も友人も常に頭の中を先輩でいっぱいにしていた時期だったのですが、彼女はふとこんなことを言ったんです。
「頑張ってねじゃなくて、頑張ろうねっていつも〇〇先輩は言ってくれるんだ。」
その時私は、すごく納得したことを覚えています。
たしかに彼女が憧れていた先輩は人一倍運動ができるだけではなく、情熱的で後輩の指導にも熱心な人でした。みんながへろへろのときにも一緒に走ってくれるような人でした。
そして、たしかにいつも「一緒に頑張ろう」という人だったんです。
一年生は大変だと思うけど頑張れ。
これからも頑張ってね。
これらは普通に励ますためによく使う言葉のように思います。
でも私はそれから「頑張って」と言う前に一度考えるようになりました。
あのとき、厳しい練習に泣き言を言っていた友人を奮い立たせていたのは、間違いなく先輩のその言葉だったと思います。「頑張ってじゃなくて頑張ろうなの」と言った彼女の嬉しそうな、それでいて芯の通った眼差しを私は忘れられないでいるんです。
それからの2年間、部長としてバレー部を率いたへっぽこな私は、いつも自分がどこまで一生懸命な姿を見せられるかと必死でした。
私は残念ながら、憧れの先輩のようには運動ができません。バレーボールも下手で、走るのは地獄のように嫌いでした。
でも、頑張れじゃなくて頑張ろうねって言いたかった。
頑張ろうねって言って、後輩たちに勇気を与えられるような存在になりたかったんだと思います。
あれから何年も経って、運動面で私が勇気づけることができるほどだったとは到底思えません。でも、その分部活との向き合い方やチームメイトとの向き合い方は後輩に伝え続けたつもりでした、
家族より一緒にいて、いつも仲良しでいられるわけがないんです。
しんどいこともきついことも容赦なく毎日襲ってくる生活で、ストレスがたまらないわけがないんです。
ましてやいい年頃の女子が恋にもかまけず部活をしていて、自由に憧れないわけがないんです。
自分のプレーと誰かのプレーが衝突して、どうして思い通りにならないのかと不満を持つことだってあるんです。
それでしょっちゅういざこざが起こります。
でも、そこから逃げなかったという自信だけはあります。
同期がどんなにみんなして違う方向を向き始めても、私に背を向けても。
顧問とチームの板挟みの立場がどんなにひとりぼっちでも。
熱意をもって誰かの存在を諦めずに信じ続けることができたことは、先輩にも誇れることかもしれません。
頑張る。
その言葉は漠然としていてそんなに選ばないようにしているけれど、それでも誰かに伝えるときには、一度考えます。
一緒に頑張ろうね。
できたらそんなふうに誰かに寄り添ってすすめるように。
友人は忘れているかもしれないけれど、私はその一言に今でも感謝しています。
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