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あの日の卒業式、15歳の答辞


これは約十年前、実際に中学校を卒業する時に十五歳の私が読んだ答辞の全文です。あのときほど真っ直ぐに目の前の淋しさに、不安に、感謝に、そして希望に向き合っていたときはないかもしれません。

あの日描いていたような姿に、私はなっていますか。

あの日笑い合っていた友人達は、いまもお互いに尊敬し、それぞれの人生を楽しみ合える人たちですか。

あの日私達を前に押し出したはずの言葉をもう一度。数年間で区切りがつくこともなくなって、いつの間に想像よりも年を重ねてしまった大人の私達が、また今日からすこしでも上を向く言葉になったらいいなと思います。


卒業の言葉


私は今、半年前に描いていた以上に、すがすがしい気持ちでこの日を迎えています。常に胸の中で渦巻く不安や期待。ですがその卒業への実感は、中学校三年間の日々に懐かしい光を浴びせています。最後の十月祭、最後のクラブ、最後の授業。最後最後という焦りから、時間を手繰りよせようともがいていた三年生の日々。しかしその焦りが虚しいほどに、時間は手から流れ落ちるように駆け抜けていきました。それは今振り返ると愛しい時間で、今日の私を素直さにさせています。


思い返せばこの三年間、あの場面、この場面で私は選択をしてきました。部活動から校外学習まで、自分のやりたいことはなにか。自らに問いかけ決定する責任は、常に各個人にあったのです。私を変えた最初の選択は、硬式テニスクラブへの入部でした。走ることがどんなに苦しくても、逃げずに仮入部にしがみつき、今日の一番の居場所を手に入れることができました。がむしゃらに自分だけを信じて走っていたかつての私の姿にはただ新しい空間にに止められないという必死な思いが見えました。


中学校に慣れ、全体を冷静に見つ頃ができるようになった二年生の秋、総務の選挙が訪れました。自らの立ち位置が定まってきた時期だったからこそ、私は期待された選挙への挑戦に迷いを覚えました。大好きなクラブに専念するか、責任を伴う大仕事を目指してみるか。

「クラブとの関わり方は確実に変わる。」

その一言に縛られ、頭をよぎる犠牲の二文字は目指す挑戦を遠くへ押しやりました。決して失いたくない居場所と未知の可能性。何が自分にとって大切なのかと、一人で塞ぎ込んだ日々。二つの前で揺らぐ私に一歩踏み出させたものは、他でもない友人達でした。励ましの言葉に支えられ、初めて前向きになることができたその日、私は中学校でのもう一つの大きな選択をしました。どちらか一方だけを取る、それでは納得がいきません。大切なものを捨てた代わりに得たものとしてではなく、どちらにもこだわり続ける私の挑戦の始まりでした。


両立という新たな環境に身を置き、忙しさから再び視野が狭くなりかけたその時、私は同じように努力する同級生の姿を見ました。自治活動から見るそれの姿は、クラスや、クラブでのものとはまた違う強い眼差しを持つ、最上級生としての側面でした。私が驚いたものは、皆の広がる個性と芽生えた自覚です。新入生のときは皆同じく小さかった芽。違いを恐れ、全体の中の一つとして収まり切ろうとした個性は今、それぞれの方向に思い思いに枝を伸ばしています。一人ひとりが自分の役割を見つけ、存分に活動している。それが集まり、学校生活も豊かになっている。クラブが委員会や行事等、すべきこともやりたいことも、次々溢れてくる忙しい日々を、皆が送りました。どんなに期限に追われても、仕事に誇りと責任を持ち、成し遂げていくのが三年生です。その中に見い出された達成感は、次の何かに向けた原動力となり、こうして続いてきた大きな流れは、変わらない学校生活を生き生きとさせます。一人ひとりの人知れない努力により、色鮮やかに照らされているのが、私達の学校生活なのです。それは全体を見る生徒会からの視点なしには、気付くことさえできないものでした。


また、自分のあり方を見つけるまでに迷い、人との関わりの中で悩み、深く深く考えた末に残る、ありのままの自分も見つけました。それはやたらに他者に見せるものではない、一人で抱いていくものだという自覚。周りに認めてもらうためではなく、自らの手で守っていくものだという思いがありました。そして三年生になり、個人の内面はそれぞれの中で深くなっていきました。これらの共有できたのは、国語の授業のフリースピーチでした。笑い合っている時には少しも見せなかった強い意志、一方でもろさが、その人自身に向けられた言葉であるかのようにむき出しで伝わってきました。想いを言葉にできるのは、どんな面でも受け止めてくれると安心できる空間があるからこそです。それはどんな授業でも同じです。自らの中の、感情を添えたぼんやりとしたイメージを、信頼できる空間に発信していく。これらが表現へ、理解へと変わり、自らの中で再構築されます。発信して初めて気づく自分と出会い、さらに他者の意見を吸収する。それは美術で描く絵にも個人で思い描いたものを紙の上に表現する中で表れます。頭の中のイメージの曖昧さは、表現される家庭で自分を振り返り、さらに他者を映して見える自己をとして明確化され、一枚の作品となるのです。


これらの経験は、恐がってばかりいた私が、今自信として大切に握っています。それらを頼りに進んでいく未来。夢の定まらない自分に見えているものは、漠然と横たわる広い世界。どうしたいか選択する責任は重くなり、選択は決断へと変わっていくのかもしれません。しかしどんなものであれ、中途半端に後悔だけは生みたくない。私が中学校での選択を誇れるのは、その決定までに真剣に悩んだ時間の重み、それ以上に、そこからの努力があったからこそだと確信しています。


だからこそ、決断を輝かせる努力に、強い意志を込めたいと思います。今日に至るまでに支えてくださった皆様、そして友人にたくさん感謝しながら迎えたこの光。前を向き、顔を上げ、その光のなかに進んでいこうとする私達六十五回生は今、新しい春の風を感じています。


平成二十四年  三月十八日  第六十五回生 卒業生代表



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