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スクラッチ。息子のハマっているプログラミング

8歳の息子、3歳の娘の2児の父親でもある者です。

最近、息子は『スクラッチ』というサービスにハマっています。
『スクラッチ』は、ぼくの理解でざっくり言うと、ブラウザで本格的なビジュアルプログラミングができて、作品公開を通してコミュニケーションもできるサービスです。

その機能を応用して、MAD動画的な作品も多く、ニコニコ初期のような中高生たちの表現の場としての盛り上がりも一部にあるように見えます。

ふと、作業をのぞいてみると、息子はこんな作品を作っていました。
小学生らしい、カオスな作品です。

このノートでは、『スクラッチ』をする息子を観察していて、驚いたことと思ったことを簡単に言語化したいと思います。


息子を観察して


幼稚園の頃にゲームクリエイターになりたいと言い出したので、プログラミング塾に通わせたり、『マイクラ』『はじプロ』『マリオメーカー』『ロブロックス』などを与えたりしましたが、それらを経て今は『スクラッチ』に夢中です。

クラスの同級生の中にプログラム仲間もいるので、スクラッチが遊びアイテムのひとつになっているようです。


放課後は友達とゲームづくり

まず驚いたのは、息子を含む小学生低学年たちのプログラミングへの態度です。たぶん「レゴや粘土より便利だし、片付けしろと言われないもの」程度な感じなんじゃないでしょうか。本当に身近な存在としてプログラミングがある。

息子は放課後、同級生と3人程度で集まって、友達のPC 1台であーだこーだ言いながら一緒にゲーム制作しているそうです。互いにアイデアを出し合って、面白いものをつくる。同時に、プログラムが正常に動くかのデバックをみんなでやる。

自分世代のクリエイティブな遊びとして、「同級生と合同で漫画を描く」的なこともありました。それには「正常に動くか」という"正しさ"を確かめるような工程はなく、発散の側面が強かったと思います。「面白いか + 成立しているか」が、意識にあるのはすごいと思います。


自分の「面白」を、作品にしてコミュニケーションする

同級生とのやりとりが見ていて面白いです。「XXXくんのゲームが公開されてるー」といって作品を見て、刺激を受けて「じゃあ、自分はこんなんやってみよう」と制作を始めます。これは、クリエイター以外の何者でもない。

彼らの目線で考えると、ゲームを作ったと言うだけで大人(ぼく含め)は喜んだり褒めたりしますが、同級生はそうもいきません。「面白」を競い合う、良きライバル感が見ていてグッときます。


ディスコメントも友達と共有してケラケラ笑っている

リミックスという機能があります。
スクラッチでは、人のコードを拝借してコードを改変して自分の作品として公開できる。おそらく、コンセプト的に「人から学ぶ」に重きを置いているのだと思います。ただ、環境ではすでに「リミックスするなら守るべき最低限のマナー」が存在しているようです。

友達の作品が、「こんなリミックスをするな」「下品な単語を使うな」とコメントでディスられていました。息子はそれを見て、ケラケラ笑いながら「なおさなきゃ、ダメじゃんー」受け止めつつ、その攻撃性には無反応でした。聞くと、友達も全然気にしていないとのこと。

「作品制作である」ということに無自覚ゆえのリアクションだとは思いますが、否定的なコメントに対して「それは自然とあるもの」という受け取りかたをしていることには脱帽します。

10年後を妄想して、作品制作に対して自意識をこじらせていないクリエイターがわんさと出てくると思うと(すでにそうかもしれませんが)、自分もウカウカはしていられないなと強く思います。


ふと思い出したこと


1995年、ぼくが7歳のクリスマスの時に、サンタに頼んでもいないのに『マリオペイント』というスーパーファミコンのソフトを買ってきました。 専用のマウスが付属していて、今のillustratorやPremiereのようなツールに触れられるゲームでした。当時 Windows 95などが登場した頃なので、父はパソコン的な最先端なものに触れて欲しいという、今ぼくが息子に対して抱いている気持ちに似たものがあったのではないかと推測します。

しかし、父はこどもにマリオペイントを買い与えて、画面を少し見たところで興味をなくしてしまいました。その後、2,3度「なにかつくった?」と聞いてきて、こどもがつくったカオスな作品をつまらないと思ったのか、心なくぼくや弟の話を聞いていたことも同時に思い出します。

この二の舞にならぬよう、一緒に楽しめる父親ではありたい。もしくは、つまらないと思ったら大人気なく「これはつまらん!」と言えるようでありたいと思います。


さいごに


このノートの中では息子を観察していて良き部分しか書かないけど、弊害も感じるところも当然あります。小さい頃からものづくりをさせたり、プログラミングをさせるのも、それぞれ両親の判断になるのだと思います。

昨今の小学校では、「キャラもの使っちゃダメ」「貧富差の発生する、ポケカのようなアイテムもダメ」「競争ごとダメ」とコンプライアンスまみれになってきているように見えます。逆に、ダンスの授業が本格的にはじまり、見られるコンテンツが増えて、明確な査定基準のないジャンルや個人のセンスで競い合うシーンが増えているように感じます。

そんな小学校で、自分なりの「面白」を持っていると辛いことも軽減できるかなというのが、息子にプログラミングを触ってもらいたい一番の理由です。楽しい学校生活を送ってくれ!


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