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「脱宗教」の教科書5 ~世界は空想で出来ている~

 前回は最後の部分で「空想」の話をすこしだけしました。それは、宗教というものは現実世界を説明するために、人間が「空想」を用いて納得しやすくしているものなんだ、ということでしたね。

 この「空想の力」というのはとても大きくて、人類が人類であるための最も基本的な特徴なのではないかと考えています。

 たとえば、今現在でも「資本主義」とか「共産主義」とか、「民主主義」とか「専制主義」とか、いろいろな政治形態で世界の国々は動いていますが、これらは絶対的な真理真実のしくみで成り立っているわけではなく、「こっちがいいかな?」とか「こうするのがいいのでは?」という試行錯誤で成立しています。

 だから政治は必ずしも完全で明確なものではなく、統治者や民衆の思い付きや気持ち、考え方によって変化してゆくのです。つまりは「空想」の産物と言えるでしょう。

 そもそも、空想する力がないと人類の文化は発展しませんでした。今の私たちはたくさんの物質で満たされているので、それらは現実にちゃんと存在していると思いがちですが、たとえば飛行機でも「空が飛べたらいいなあ」という空想からスタートしています。

 実際には空が飛べなかった時代に「空想」して、どうすれば飛べるのかをもっともっと空想したからこそ、飛行機は現実のものとなったのです。

あるいは貨幣なんかも「空想の産物」として有名です。実際には紙切れであり、他の価値のある金属などと交換が約束されているわけではないのに流通している貨幣や、実際にはまだ手に入れていないお金を将来返すという約束で成立している「融資・借金」なども「空想そのもの」と言えるかもしれません。


 宗教というものは、信じるものにとっては現実ですが、他者から見れば空想です。神が人間を作ったと信じる人と、人間は猿から進化したという人は、互いを「空想にとらわれている」と感じますが、実はどちらも空想です。
 事実はもうちょっと違うところにあるかもしれません。「神は元素や素粒子を作った」「猿とヒトとはかなり早い段階で枝分かれした」のかもしれないからです。


今、アメリカでは国を二分して「妊娠中絶」について争われています。厳格なキリスト教を信じる人たちは「中絶は人殺しだ」と考え、リベラルな人たちは「中絶は女性の権利だ」と考えています。
 さらに、アメリカの最高裁は「中絶は人殺しだ」という派閥の主張も認めたため、どちらの考え方も並立するようになってしまいました。

 これらは人が「空想する生き物」であり、「事実真実よりも、空想力が力を持つ」世界に生きているがゆえの矛盾です。


 脱宗教のためには「世界のすべては空想だ」と認識することが役立ちます。あなたの目の前にあるひとつの宗教や教義は、「単なる考え方=すなわち空想」のひとつに過ぎません。
 勘違いしてはいけないのは「真理真実がひとつだけどこかにあって、それが真の宗教だ」というわけではないことです。違います。「全部空想」なのです。

 なぜこの世のすべてが空想だと言い切れるかと言うと、何万年という人類の歴史の中で、いまだに「これが正解だ」という政治の方法や「これが真理だ」という宗教の結果が出てませんよね?
 今日現在でも国々は戦争しているし、ミサイルは日本の上空を飛んでいるし、たくさんの政党が出来ては消えています。政治ひとつをとっても「正解はみつかっていない」わけです。宗教も同じで、神でも仏でもいいからズバーン!と現れて、シャキーン!と人類の悩みを解決していてもよさそうなものですが、そうはなっていません。

 何万年も期間があるのにそれらがちっとも解決していないのは、これからも何万年も同じ状態だと推測できます。もしかしたら「いつか」は解決するのかもしれませんが、「永遠に解決しない」可能性のほうが、確率が高そうです。
 なぜならそれらは「解決したらいいなあ」という空想だからです。


 さて、私は「世界のすべては空想なので、だからダメだ」と言っているわけではありません。人間は脳で空想しながら生きており、空想しながら文化を発展させてきて、すこしでも長生きしたり、すこしでも平和が長続きするように努力していることも事実だからです。

 大事なことは、「誰か他人が思い付いた空想」に自分の人生をゆだねない、ということなのです。どうせ空想なので、人生は無常なものかもしれませんが、おなじ空想なら「自分の思い描いた夢で生きていこう!」ということなのです。

 宗教やインフルエンサーは「答え」を与えてくれるように感じるので、こちらから見れば「楽」です。乗っかったほうが楽なんですね。自分で考えなくていいから。

 けれど、他人の空想は他人が「かなえたい夢」に過ぎません。だからそれはあなたの物語ではないのです。可能であれば「あなたはあなたの空想、物語」を生きてほしいし、「わたしは私の空想、物語」を生きるということなんです。


<補足>
 「ストーリーが世界を滅ぼす」(ジョナサンゴッドシャル)という本が今年の7月に日本でも出版され、話題になっています。
 空想=物語が文化文明を作ってきた効用が、これからの時代は「文化の破壊」に舵を切るのではないか?という危機感を書いたものです。

 現代社会で問題となっているのは「偽情報」が「真実」といっそう見分けがつかなくなっており、時にはフェイクが勝ってしまうという点です。
 宗教にまつわるほとんどの問題は、この「非事実(物語と信仰)」が現実社会を侵食していることに由来します。
 フェイクニュースや陰謀論の隆盛は、宗教以外のジャンルでもトラブルを招いていると言えるでしょう。


 この「空想、物語」のお話は、次回もすこしだけ続きます。

(つづく)

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