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共産主義や帝国主義が破滅する理由


 不謹慎な言い方であることは充分承知ですが、2022年の現在を生きている僕たち私たちは、世界の歴史においてもかなり「稀有な」「珍しい」世界情勢を目の当たりにしていることを、意識しておいて損はないと思います。

 ちょうどこの1〜2年というか、世界の歴史の中ではごくごく短い期間の間に、「世界はどのように成り立っているのか」について、深く考えることのできるチャンスを得ている、ということを心に刻んでおきたいと思います。


 それは、たいへん悲しい出来事ですが、「疫病」と「戦争」によってもたらされており、実際に命を落とした方があまりにも多くいらっしゃる中で、それでも残された人類は、教訓を得なくてはいけない、と考えます。それは残された者の真摯な努めでもあるでしょう。


 新型コロナウイルスが猛威を振るったのは2019年からの出来事でした。そして、それは現在もまだ続いています。この時、各国の対応として、この感染症を締め出したり、あるいは閉じ込めてしまうような「強権的」な施策が有効なのではないか?という試みがなされ、また実際に一定の効果を表したことで、「自由で制限のない」リベラルな政治やリベラルな社会は、この感染症に敗北したのではないか?と考えられることもありました。

 自由で制限のない社会よりも「不自由で制限のある社会」のほうが、うまくいく場合がある、ということは、現在の自由主義の社会の中では、ちょっとした「ショッキングな事実」であり、また「不都合な事実」とも捉えられました。

 実際に、発生源とも言われる中国では、強権的な施策によって新型コロナウイルスの「封じ込め」を行い、これも一定の効果を挙げたように、世界の目には映っていたわけです。

 それゆえ、私も以下の全4回のシリーズを通して「リベラルはオワコンになったのではないか?」との懸念を抱き、いろいろな考察をしてみた次第です。


 自由主義が敗北した中で、「人権」などが幻想であり、一種の紳士協定に過ぎないことも明らかになってきました。

 それは奇しくも、その次に起こった戦争でも明らかになり、

「”戦争反対”が通じないやつは、戦争をする」

「戦争をするつもりのやつは、戦争をする」

という恐ろしい事実をも見せつけてしまったわけです。

 まさしく戦場では、何万人もの「人権」がつぎつぎに兵器によって吹き飛ばされて、はかなく散っていったわけです。これはとても恐ろしい事実です。


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 ところが、ではだからといって、リベラルと民主主義を捨て去り、何がしかの帝国主義や全体主義、共産主義のようなシステムのほうが、マシなのかというと、どうそれも違うらしいということも同時に見えてきています。


という記事では、仮にそれらを「制限主義」と名づけましたが、自由よりもコントロールされた政府や社会のほうがマシなのか?という疑問は、2022年になって、「どうもそうではないらしい」ということも明らかになってきたのです。

 この間、たった2〜3年。こんなわずかな期間に、世界のあるべきイデオロギーが揺れ動いたり、真逆に振れるのはかなり珍しいことかもしれません。


 今年になってどういうことが起きたかというと、制限主義により新型コロナウイルスを封じ込めて、いったんはそれに成功した中国で、オミクロン株の流行により、上海全体をロックダウンせざるを得ないという酷い状態になってしまったのです。

 制限により都市機能が失われ、飢えや自殺が起きるという本末転倒の事態が起きていることは「制限主義とて、やはり万能ではない」ということを私たちに突きつけました。

(方や欧米では、感染はまだあるもののすでにマスクをしている人が激減しています)


 そして、制限主義の権化と言ってもよい「ソ連→ロシア」型の兵器や戦略・戦術が次々に打破されて、世界最強とも言われたロシア軍が崩壊するさまも、私たちは見ています。

 日を追うごとに登場する欧米型の「新型兵器」は、まさに自由の象徴で、どこかの企業や軍が「好き勝手に」「次々と」開発した兵器こそが、旧態依然とした大戦型の旧型兵器を爆破してゆくさまは、自由主義の強さを再確認させることになったのです。


 帝国主義や共産主義というのは、「正しい」とされているリーダーが、「無知」とされている人民を率いて、「正しい」とされる指導に基づいて統治されるスタイルを言います。

 一般に共産主義は「全員が平等だ」と誤解されていますが、実態は「全員が平等であるためには一部の有能なものが統治するべきだ」という思想ですから、かならず独裁的支配者が登場するようになっています。

( 本当に全員が平等なのは「船頭多くして船山に登る」的なポピュリズムもしくは、誰もが天下統一を狙う戦国主義でしょう。誰にだってチャンスがあるからです。)

 独裁的支配者が登場すると、「正しい」とされた方向に政治は進み、産業もその方向へ進みます。「正しくない」ことはやらず、脇道へそれることはなく、「効果がある」とされた施策や兵器が、繰り返し生産されてゆくことでしょう。

 それを何十年も(あるいは何百年も)続けているのがロシアであったことがバレてしまったわけで、その間に好き勝手に「正しいか正しくないかは、実戦によって練られた」欧米型の兵器のほうが強くなってしまいました。

 これは、実は自然の摂理にきちんと適合しており、「進化は、環境により適したものが、自然発生的に生き残る」ということと同じです。

 帝国主義、共産主義的施策は「環境を整えつづけよう」という人為的なコントロールですが、自由主義的施策は、「どうなるかしらんけど、結果的に生き残ったものは進化している」ということになります。

 その結果、進化した兵器が、膠着した旧来の兵器を打ち負かすということが目の前で起きているわけですね。


 コロナ対策にしても、戦争にしても、自由主義は「正しい」ということを後回しにするため、途中で人が死ぬことが多々あります。感染症対策では、全員をすべて救うわけではなく、一定の死は致し方ないけれど、全体としては社会は進んでゆくわけです。

 ところが、制限主義でも人は死にます。「正しい」感染症対策を行おうとして、人が飢えで死んだり自殺したりします。あるいは、違う病気の人たちが、手当てされずに亡くなったりもするでしょう。

 自由主義社会ではヤバい奴もたくさん現れます。その結果人が亡くなることも多々ありますが、共産主義・帝国主義社会では「正しくない」と判定された人が殺されます。

 どちらにしても、一定の人間は死んだり殺されたりするわけですが、それなら「自由のほうがマシ」だと仮定してもよいでしょう。

 そして、今回はっきり分かったのは「自由のほうが、進化して適合するチャンスがある」ということです。ドローンのように。

そしてまた「制限をかければ、その時代で進化は止まる」ということでした。ロシアの戦車のように。


 こうして俯瞰すると、なぜソ連が崩壊し、ロシアが勝利できず、そして自由主義陣営が「なんだかんだ言って強い」のはなぜか、その理由が、見えてきたと思います。

 自由主義のほうが「進化の法則」に近いから、ということだったのです。


 もちろん、なんでもかんでも自由であれば殺しあおうとする人間や政府が登場することも止められません。しかし、だからこその「紳士協定」なのでしょう。
 紳士協定は万能ではありませんが、制限をかけるほどではないにせよ、ちょっとしたブレーキにはなっています。

 だからこそ、自由主義社会はおのずと「紳士協定」も同時に発展させてきたと言えます。


 残念ながら、国家や政府のいのちは人間のように70年や80年では終わらないため、もっと長い年月や時には100年単位の過去を引きずりながら続いてゆきます。

 ですから、今回の戦争や、どこかの政府の体制も、あっという間に収束して解決する、ということはなく、もっと長いスパンをかけて整理されてゆくことと思います。

 それでも、世界は超長期的には、自由主義的でリベラルの方向へ向かわざるを得ないと予測してもよいのではないでしょうか?

 なぜかというと、そちらのほうが、より強い何か(時には利器、時には兵器)を生み出す確率が高いからです。

 人類はいくら制限をかけても、最終的には自由に勝利することはできないのかもしれません。


(おしまい)




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