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<1>自由主義とリベラルは、なぜ敗北したのか?

 2021年は、世界規模でみて、これまでの常識から考えるととんでもないことが起きている特徴的な「時代」だと思います。

 その代表格が、先日からニュースになっている「アメリカのアフガン撤退とタリバンの復権」であり、「中国と新型コロナウイルス」の話であることは疑いありません。

 これらの事象の何が凄いかというと、ざっくり言えば

「自由」と「リベラル」がそうではない正反対のものに「敗北」したのではないか?


と思われる出来事だからです。


 もちろん、実際に起きていることは、そう簡単で単純なものではなく、もっと複雑な要素が絡み合ってはいるのですが、表面的には

「自由主義国アメリカが、イスラムや伝統や途上国の論理に敗北した」

とも見えます。

あるいは

「自由とリベラルな欧米諸国は新型コロナの封じ込めに失敗し、強権的な中国のような強制力がコロナ対策に成功した」

ようにも見えます。


 これらをもって、「自由とリベラルにいったい何が起きているんだ?」と不安を抱く人も多いことでしょう。


 しかし、基本的には、世界は「リベラルで自由主義」の方向へ進んでいることも事実で、それはたとえば「キャンセルカルチャー」のような、「差別的言動をした人は、絶対に許されない」ような傾向を見ても理解できると思います。


 差別は許さず、自由は尊重される。ヘイトや抑圧は悪であると一方では信じられながら、他方ではそれとはまったく違うことが起きている。


この矛盾が、2021年の世界を包み込んでいるわけです。


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 さて、これらの謎を解く方程式は、実はとてもシンプルなのですが、自由主義陣営であるアメリカ側である私たちは、すでに自由の素晴らしさに浸りきっているので、これからお話することは、ある程度じっくり理解してほしいと思います。

 じっくりゆっくり考えないと、いろいろなところで考えを詰まらせてしまうような、そんなワナが隠れているからです。


 それでは、最初のお話から参りましょう。


 まず、最初に躓(つまず)きそうになる部分ですが、

☆ 人権というのは、紳士協定の幻想に過ぎない ☆


ということを、理解しなくてはいけません。


 私たちは、すでに「自由と権利」の下に人権を確保されていると信じきっているので、「本当は人権は幻想なんだよ」と言われると、ついつい反感を抱いてしまいますよね?

 けれど、実際には、ここに銃や刃物を持った2人の人間がいて、お互いに

「俺たちには人権、つまり人間としての基本的な権利があるよな。そうだよな」

と合意している間は、それは成立しますが、一方が仮に

「ああそうだ。俺には人権がある、しかしお前にはない」

とズドンと発砲してしまえば、相手の人権とやらは一瞬で消え去ってしまうような、そういうものだということです。


 あるいは、新型コロナウイルスは、人間の人権については考慮してくれなかったり、台風や水害や地震が人権を尊重してくれないように、

☆ 人権とは、人間同士の取り決めに過ぎない ☆


ということが、実は大前提であることを覚えておく必要があります。



 さて、この人間同士、あるいは国同士の取り決めは、長い人類の歴史の中で、培われ育ってきたものです。ですから、いわゆる先進国と呼ばれる国々の間では、


「俺たちの国や地域が、いろいろ戦乱や殺し合いを重ねてきた中で、お互いに嫌な思いをしたり、家族が死んだりして考えつづけてきたんだけれど、どうもここは互いの人権を尊重して、傷つけあわないようにするのが、全体としては得策らしい」


ということが、練り上げられてきたのですね。それがフランス革命であったり、アメリカの独立戦争であったり、日本の敗戦だったりするわけで、多大なる人類の犠牲を経て、

「そっちのほうが、つまり、人権があるほうが、結果として得なのではないか?」

と考え抜いた結果が、今であるということなのです。


 ということは、先ほど「人権は紳士協定」であるという話をしましたが、紳士淑女以外には、この話は通用しないわけで、中には

「いや、今一発俺がズドンとやったほうが、早いし得だ。俺は何かをゲットできる」

と思っている段階の相手には、話が通じないということなのです。


 そのために、先進国の間では「人権と自由」を尊重したほうが、経済的にも文化的にも「得だ」とわかっているのだけれど、その段階にいたらない国や人たちにとっては、

「目の前の利益に、負けてしまう」

ということが起きがちです。それが、アフガニスタンで起きていることの一端ということになるでしょう。

 これは他国や他人が「こうしたほうがお得ですよ」と説得しても、その人が自分で理解したり実感したりしない限りは、なかなか伝わりません。

 ましては、宗教やイデオロギーなど、「既に信じるものがある」相手を逆転させることは、とても難しい、ということになるのです。



 さて、第二段階として

☆ 自由とリベラルはその定義からすでに弱点を抱えている ☆

ということも覚えておかなくてはなりません。

 自由やリベラルというのは、その名のとおり、「縛り付けず、相手を尊重する。制限を加えない」ということです。

 ですから、相手がイスラム教を信じていたら、それは尊重されるべきだと「自由でリベラルな人たち」は考えます。なので、ハラールに従った食べ物を提供することが大切になるし、イスラム教のおしえを尊重しようとします。

 ところが、イスラム教の側から見ると、「男女は同権ではない」と考えます。また「この食べ物は食べてはいけない」というものがたくさんあります。男女同権や食べ物のを尊重しない、ということです。

 
 つまり、「非自由で非リベラル」には、「縛り付けや、制限」がたくさんあります。

 そうすると、一方には、「縛り付け、制限、こうするべきという決まり」があって、相手を尊重するつもりがなく、もう一方には「相手を尊重したい、しよう」という気持ちがあるわけですから

☆ 譲り合いではなく、一方的な譲歩 ☆

しか、そこにありません。


 先ほどから「紳士協定」という言葉を使っていますが、対等な関係ではなく、「一方が譲るだけ」になっているのが実態なのです。

 だからこれまで自由主義国家である欧米は、中国のやり方を放任する以外なかったのです。

 当然、譲られる側は、相手のことを尊重しませんから、結果として自由主義陣営の思い通りには一切ならないわけです。



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 しかし、「人権なんて夢幻」だというのが現実だったとしても、

では、実力でドンパチやりあおうぜ!


という決心はなかなかできません。

 それでは過去の戦国時代に戻ってしまうだけだし、何より経済的にも、文化的にも「損だ」とわかっている、判明しているワナに自ら陥る必要はないからです。


 ちょうどこの段階で、欧米や日本は困ってしまっている、ということなのかもしれません。

 また、人権が通じないウイルスにも、話し合いは通用しませんから、この部分でも自由とリベラルは苦悩している現状があると言えるでしょう。



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 実は、こうした矛盾を解決するよい方法があるのですが、人類はまだそれを取り入れる覚悟はできていません。

 それは、「自由とリベラルは幻想だ」ということを認めてしまい、だからこそ「自由とリベラルを守るためには、制限がつきまとうんだ」ということを最初から定義しなおすことです。

 人権や自由は、天が与えたる基本的な権利である!


と思い込んでいるから、自由には制限を加えるべきではないと自縄自縛になっていますが、そもそもそれは「協定」に過ぎないのだから、


「自由と人権には、限界がある」


ということを認めてしまえばいいわけです。協定の内部に、それを盛り込むことで、最初から定義してしまうべきかもしれません。


 もし、「限界と制限」を盛り込めば、事態はとてもシンプルになるでしょう。


『アフガニスタンには、自分たちで歴史を作っていただければよい。その中で圧政が起きたり、問題が発生しても、それは自由と権利の限界ポイントなので、ぜひ頑張って自力で解決していただきたい』

・・・これが今回のアメリカの方針ですね。

『コロナを封じ込めるには、ロックダウンが必要だ。移動の自由は、限界値によって一端奪われるが、また回復することもできる』

・・・中国はこれをやっています。イギリスなども一部やりました。

『そうならないよう、頑張っているが、自然災害で人は亡くなる。悲しいけれど、そこが限界値だ』

・・・実際これどおりのことが起きています。



 結論から言えば、

「人間は文化的に、”自由と権利”を最大化させるべく頑張っているけれど、それは無限ではないし、実は有限である。有限であることを納得した時に、新しい政府や世界ができる」

ということなのだと思います。


 この「有限である自由と権利」をもっと意識すれば、犯罪において「被害者の権利より加害者の権利が尊重される」なども、減ってゆくと思います。

なぜなら、加害者の権利はそもそも「有限」なのだから。


 しかし、その有限の限界値がどこかを探っていくのもまた、人類の進歩の証なのだと思います。100年後や200年後には、僕たち私たちが知っている「自由と権利」とはまったく異なるものが、できているかもしれません。









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