掌篇小説『Z夫人の日記より』<161>
6月某日 神
①地元で、『神様』と呼ばれる男がいる。
市内の北神社と南神社に、高さ5メートルほどの石像が一体ずつあり、それがこのあたりの神様とされている。
像は南北いずれも、福福しい顔と軀。丁髷を結い、豪勢な化粧廻しをつけており……相撲が由来であるのか、確たる証拠はないが。
間違い探しみたいに、丁髷のかたちや廻しの柄がちょっとちがい。焼いてふくらんだ餅の如き尻にはイボが、片や右、片や左に。
両者は同一の存在でなく、双子だと云われている。『仲が悪いから離れた場所に社をふたつ建てた』という説が有力と。
で、その神様の兄か弟が、何かの気まぐれで俗世に肉體をもどしたかのように、造作から軀のバランス感すべて瓜二つの男の子が、あるとき誕生した。現在16か17の高校生だが、今なお、いや益々、似つづけている。
彼の、サラリーマンの父と専業主婦の母、および写真にある限りのカラーとモノクロの血縁を遡っても誰ひとり似る者がおらず、それが却って、
『御降臨じゃ』
と火をつけ。神事やイベントには乳児のころより有無を云わさずひっぱり出され。ベビー服やらオーバーオールやら着たまんま、癖なのか鼻の孔に霰を詰め、寝てたり泣いてたり、あらぬ方に垂れ目を遣ったまんま、壇上に祀られ。
数年前、大型モールがオープンした時だったか、屋上広場に建てた櫓のうえ、『神様』はすっかりのびた艶髪で髷を結い、乳房も腹も立派にふくらませ。そして右か左か忘れたが特注の化粧廻しより尻のイボを披露すると、歓声と拍手が町じゅうに轟いた(当時遠方で入院していた私の曾祖母も、その姿と歓声を夢に視、泪したとか云ってた)。
私はじかに言葉を交したこともなく、忘れたころに遠目に目撃するぐらいだが、『神様』当人の内心はおそらく、何ら根拠なく平伏し崇め身の丈にあわぬ期待と祈祷を負わせてくる大人たちに厭気がさしているのと、逆に調子づくのと、両方で。1円も払わず昼は駄菓子屋で貪り食い夜はスナックで浴びるほど呑み、邸宅やお役所関係ばかりえらび壁にスプレーで女性器とおぼしき落書きをしたり、公園で焚火し繁みに咲いている薔薇をぜんぶ素手で毟りつつ燃やしたり、信じ難いほど清廉な巫女のような恋人を自慢気に連れ歩き、人前で彼女のスカートを捲ったり不意に怒鳴り散らすなど、やりたい放題、或いはやりたくない放題。
そして今日、『神様』に至近距離で遭遇した。
二十年前にシャッターを閉じ『テナント募集』の看板にまで蔦がからんだ中華料理屋の角にて、詰襟の制服を苦しそうに(しかし存外まじめにホックもとめ)着た『神様』が、その巫女(仮)の何が気にくわぬか平手打ちしていた。
……というか、『遭遇』とは違う。『神様』は私の存在をかわいた垂れ目の横目で感知したうえで、視せつけてきたのだ。
私は瞬間、かつて彼等ぐらいのころ、制服のまんま中華料理屋で食した豚骨ラーメンほど煮えたぎり、豆板醤多めの回鍋肉ほど熱くなり。360度まわりに町民がいないのをたしかめ、ヒールでつかつかと歩み寄り、巫女にやった5倍ぐらいの音とともに、『神様』をはり倒した。福福しい頬は想像をうわ回る弾力性で、心地好く。店で食べた水餃子の味も懐かしく思いおこし……『神様』だろうが何だろうが、あの味を知らないなんて、かわいそうな子。
力士顔負けの迫力もどこへやら、両の鼻孔から霰を吹きながらスローモーションでふっとび、呆気なくダウンした『神様』。内股で横たわり、右手でアスファルトを、左手で赤い頬を愛でるようにつつむ、妙に淑やかな姿勢で、私を視あげ。
「………ごめんなさい」
と、眸を潤ませ、鼻血を垂らし。
私は彼の双子の兄にでもなったような心地がして、尻がむず痒く。
◆◇◆
6月某日 戻
②小学校からの幼馴染であるN君はタイムマシンを自分で造り、ときおり過去に戻っていると。
かつて畳の工房だったところを、なんら手を付けず、云いかえれば穢いまんま、独り作業場……当人曰く『研究所』、としている。中央に据えられたものは、枝編みのボディ、プラスチックのタイヤの、おおきめのカートか昔の乳母車のようなもの。中には洗濯機程度のボタンやツマミや回しハンドルが付いているだけ。
「いちおうはタイムマシン。完成品」
と。冗談としか思えない。
「いつか私も連れてってよ。清算したい過去あるから」
と、私も冗談ぽく云い。
むかしとさして変らぬ顔と背丈と黒縁の丸眼鏡で、体育の授業のジャージと代り映えしない作業着姿のN君も、
「うん」
と、云ってはくれる。
しかし彼曰く、「時間の旅はいつも命懸け」であるらしく。時間移動のメカニズムこそ掴んでいても、場所移動とは使われるエネルギー源がまったく異なり、剰えそれは彼の畳工房ならぬ『研究所』でしか生成できぬうえ何をやれば多く減りどうすれば節約できるかも解明しきれていないため、「過去に行ったきり戻れない」という可能性もおおいにあると(因みに未来へゆくには今のところ計算も予算も不足だと)。
「いつの時代に何しに行ってんの?」
と毎度聞くが、それはうすく笑って答えてくれず。悪戯っぽいような照れているような。N君とはながい縁だが、童のまんまの、しかし妙に悠然とした顔と声から、感情を読めた試しがない。彼女とかいたんだろうか。
『研究所』の片隅には、『エネルギー源』として使われるとおぼしき赤いスイートピーと、花ではない本物の鶏の頭と、錆びた釘と誰の何か分らない金メダルと、裁断されたゴシップ誌エロ本とが山積みになっている。畳工房時代の熟成した藺草の匂いが未だつよく残っているせいなのか、鶏のひらかれた眼も切り刻まれたおっぱいも気持ち悪いとも何とも感じない。
「これ燃やしたり融かしたりとか?」
と聞いても、
「まぁそうだったり違ったり」
と曖昧。
帰り道。
『N君がもしほんとうにアレで過去に行っていたら』
と、ぼんやり考える。それならば、ちょろっとした行動で歴史に変化とか、いま現在に何らかの影響が起きているんだろうか?
駅の売店にある新聞に写った総理大臣の顔とか、仲の良さそうな老夫婦だとかわざと制服のスカートをみじかく切った女子高生とか傘でゴルフの素振りするサラリーマンとか、電車の窓が四角いことや燕たちが生き急ぐふうに飛ぶことや私の手の指が11本であることさえ、N君のすこし曇った丸眼鏡をとおしたふうに、空々しく思えてくる。
◆◇◆
6月某日 検
昼間、テレビを点けるとローカルの情報番組で、司会のアナウンサーのほか、そこそこ有名な元アイドルの男性タレントと、針鼠みたいな銀髪のどこかの大学教授と、誰かまったく不明な占い師とマジシャンのはざまみたいな白塗りの女が座っており。
①の『神様』と②のN君のエピソードを比較し、
「①と②どちらが幸福度が高いか」
を議論、検証。
最終的に3人が札をあげ、多数決でジャッジするみたい。
私は数分ほど視て、チャンネルを変える。
©2024TSURUOMUKAWA
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