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短篇小説『ガラスの手〜Z夫人の日記より』

<6月某日>

 ガラスの手をあずかる。

 男か女か判然とせぬ、右の手。そう若くはないようで、こまかな鱗のような皺とくすみで万遍なくおおわれ。くうにかざすと、向う側が陶酔したふうにぼんやりする。

 手は生きている。じぶんでそこらを這い、よじ登り。電源のおちたワープロを叩いたり雑誌を捲り読む真似をしたり、花占いしたり。
「あまりなつかれない方がよい」
 と、飼い主の弁。自然光をなるべくいれ、時々水を遣ればよいと。

 私は家に山ほどあったカセットテープ、どれも何故か3分分しかテープの無い、ある意味ガラスの手より哀しく澄みきったスケルトンボディのそれらを、床にたて、ドミノみたいにならべてゆく。
 リビングをぐるりめぐるほどの路線ができあがると、お約束みたいに端の始発駅へいつの間にやら移動していたガラスの手が、ちょん、とボディをつつく。
 テープたちは存外ゆっくり、『3』の文字だけは赤・黄・緑・青・紫をビビッドに魅せつつ、倒れ。
 こんな遊びとも呼べぬ遊びを朝からずっとやっているので、懐かれたら不味いなとも思うが、ガラスの手は別段愉快そうでもなく、寧ろ私より退屈そうに厭世的に、スプレーをあてられた害虫の如くひっくり返り、指を黄昏の天へとのばし、ひくひくさせる。

 ようやく違うことをせん、とテレビを点ければ。歌番組。ナマの。
 マイクをもち歌うは……ひとことで云えば冴えない男。浮浪者の数歩手前といった髪と髭を廻らせ、臙脂色のグラデーションのレンズ奥にある眼は死に。不似合いなアヒルのキャラクターのTシャツと、破れたジーパン。
 肝心の歌が何より不思議で、一本調子ながら、3〜4小節おきぐらいにキーを勝手に、否、おそらく無自覚な残酷さで、荒波が昇っては落ちるが如く、移動させる。たとえばFがBフラットに、BフラットがGシャープマイナーへと、変る。そんな莫迦なと思っても、変る。
 黄昏の山脈みたいにシルエットそびえる生演奏のオーケストラは、そんなオテンバ迷子な歌唱を見事な迄にフォローし。流石にオテンバ開始0秒とはいかぬが0.5秒ほどでブラスも弦も音を狂おしくよじらせキーを合せ、包みこむ。さながら、あばれる仔を羊水に鎮静させる母胎か。それでいてほんのり、背徳的にセクシー。
……いずれにせよ、船酔いしそうにはげしく繰り返される転調は、曲の曲として本来もつ力の意味を破壊し。代りに別の力が此方の耳を、からだを侵蝕してきて……
「ディーディー、頑張ってんじゃん」
 悪心を覚えつつもすっかりのめりこんで観ていたら、脇より声。夫のスウェットでいずれの半身も宇宙服さながら身をふくらませた小ぎたない女が、缶ビールをあおる。
「……あ、いつもアヒル、ダック着てるディレクターだから、ディーディーっす」
 と、二の次の解説。やっぱりこのヒト歌手でなかったか……で、アンタはいったい此処で何してんの、と問えば。
「あれ、アタシの歌なんすよ。『待ったナシの夏』、まさかのヒットチャート1位っすよ、先輩。でも忙し過ぎてやってられないんで、サボリっす」
 髪こそ千千に乱れ、スウェットの肩に雲脂ふけをおとし、何処で眠ったのか頬に畳の網目が刻まれているが、1位のアイドル様は苦しうない御様子。ほんとにこのの歌だとしたら、いま代りに歌わされている『ディーディー』と大差無い歌唱力なので、さほどの不祥事でもないように思え。

 じぶんのお茶を淹れようとダイニングへゆくと、テーブルで著名な作曲家Yが、山盛りのナポリタンをバキュームよろしく轟音とともに吸いこみ食べている。顎とも呼べぬ顎の肉を揺らし。顔以外は布袋の木像みたいに不動で、両手のフォークもスプーンも握るだけ。どうやって山を崩さず食べるのか。
 こんなでもいま流行最前線の人物だから、テレビの『待ったナシの夏』も、彼に依るものか。あの薄ぎたねえアイドル娘と一緒に、こんなところ迄『サボリ』に来たのだろうか。
 Yにほんのちょっとダイエットさせ、七色の化粧を施しただけのようにそっくりな老婆が、真向いに座り。頬杖をつき、息子(たぶん)のバキュームをいとおしげかいとをかしげに眺め。
「Yちゃんは将来どんな子と結婚したいの?」
 猫撫で声で聞く。
「お金持ち」
 即答(厳密には「ホハヘホヒ」と云っていた)。
 たとえ「お前を殺す女」と云われても微笑みを絶やさぬであろう老婆。息子(たぶん)を羊水で溺死させるような溺愛ぶりが窺えるものの、もし我が家のであれば数年前に賞味期限の切れたケチャップを多くいれ過ぎたナポリタンで血まみれみたいになった、息子(たぶん)の顔を軀を、1ミリも拭こうとは何故かせぬ。
 かわりに、いつの間にやらYの首とも呼べぬ首へと這いあがってきたガラスの手が、まるで抱きしめ愛撫するように、悩ましくはりつき。如何ほど顔を廻っても拭いきれぬ血を、その半透明な身に淫らに、べたつかせている。
 私はYのうえから如雨露じょうろで水を遣る。
「ヘーフ」
 穢れの多少は流れたガラスの手の奥、眼を鈍く光らせ、麺の束を咥えた儘、Yは喋りだした。以下要約。

「テープの内容は自動的に消滅するから、心配は無用……何かって? 知らないのかね、君。新聞ぐらい読み給え。先月、ボクの9時間半におよぶ壮大な楽曲が完成した。題して『みんな感動する曲』だ。タイトルダサい? なめんなよ。世代も国境も宗教も思想もこえ、どんな人間の心にも訴えかけ流涕りゅうていを免れぬ音楽を、ボクの音楽的才覚と科学的検証をスパゲティーの如くからめ創りあげたのだ。この星に棲む50億人のうち、レンタルや又聞きなどを考慮しても10億人、10億組は売れる勝算があった……え? あぁ、そうだネ、ぶっちゃけた話レコードの枚数を捌く為に時間を延ばしたと云えなくもないネ。9分半でもできたかもネ。だがネ君、考えてもみ給え、世の中には『留めなくてはならぬ人間』というのがいる。その失言するくちなりエンターキーを圧す指なり結合せんとする性器なりのうごきを留めなくてはならぬ連中がネ。殺すことも拘束することもなく、相手をレコードプレイヤーの前に留められるんだ、9分半より9時間半、だろ? 時を稼げるに越したことはなかろうて? 金を稼ぐだけが我々の目的じゃないのだよ? まぁそれがイチバンだけれども。って欲張りなボク。

……兎に角、曲は完成した。勝算はあった。しかしだ、レコーディングを終えミキシングを終え、いよいよ工場でプレスという段階で、とある重大な欠陥に気づいた……

………っちゅうことで、録音物はあらかた処分したんやけれども、仮に安いラジカセで録っといたテープの山が、何や知らんけど勿体のうて棄てられへんさかいに、はてさてどないしたもんかいな? 思て、何とのう此処にもって来てしもた訳ですわ、ぜんぶ……えろうすんまへんなぁ、奥さん。テキトーにほかしといておくれやっしゃあ。あ、奥さん、御所望やったらわたい、曲書きまっせ? アイドルとしてはまアちょい手遅れやけども、別嬪さんやさかい、売れまっせ。ちょっち出すとこ出して仲良うしてくれはったら、ギャラも勉強しますよってに……ムホホ。ほな、ごめんやし」
 と云い、眼をへの字にし頬を口角をもちあげ、無邪気なのか腹黒いのか或は無邪気な黒なのか皆目判らぬ笑顔をあらわす。そしてそっくりな老婆がふたたび天井に触れるほど山盛りに盛ったナポリタンのおかわりを、吸いはじめ。

 リビングでは、スウェットアイドル娘が私のかわりに9時間半、190本のカセットテープでドミノをやっている。何処ぞの名探偵よろしく頭をポリポリかき雲脂をおとし。私でなく夫のスウェットをえらんだのは娘の賢明さと云えようか。
 テレビの歌番組では未だ、ダックシャツのディレクター『ディーディー』が歌っている。キーどころか回転数も誤った、天国へ届くような裏とも表ともつかぬ高速の高音を、発しはじめ。オーケストラは全員たちあがり髪をみだし、ついてゆき。だアンタの曲なの? と聞くと。
「もうアタシのじゃないと思うっす、たぶん。他の歌手も全員サボリっすかねー」
 と、未だ頬に刻まれし畳の網目をひくつかせ嗤い。酒焼け気味のその声と、カタカタ倒れるドミノ、Yのバキューム音、キーを外しつづけるブラウン管の音楽……すべて件の、『ヒンハハンホーフフヒョフ(みんな感動する曲)』の『重大な欠陥』によるエフェクトなのかもしれない。朝ドミノを始める前にテープを一本だけ、3分聴いた私にも何か起きるか。私も何らかの音を鳴らすのか。とりあえず視界が、まるでガラスの手越しに覗きこんでいるかの如く、霞んだり歪んだりして。うっとり。

 いつの間にやら、こんどはブラウン管の向うに移動したガラスの手が、空に浮き、スタジオのスポット照明に無数の鱗をかがやかせつつ、浮浪者一歩手前迄疲弊した『ディーディー』の頬を、血塗れの親指人さし指だけでつねり、もちあげている。存外に頬肉はやわらかいか練り消しゴムの如くのび。脣を歪めながらも『ディーディー』は。
「ハッハハヒホハフー(待ったナシの夏ー)」
 と律儀な迄に、憑かれたふうに、もはや様相をモールス信号に近づけた歌声を吐く。そこだけ爽やかに白いスニーカーの足を、首吊りの最中さなかみたいにブラブラさせ。それによく似合う、死んだ眼。
 もしこの儘死(デス)を迎え、さらに『待ったナシの夏』本来のキーがDであるとしたら、『ディーディーディーディー』だな、と思いつつ。

……懐いてるみたいね、あのガラスの手は、女より男が好きなのかしら? 女性の手なのかしら? と、ドクダミ茶を啜りつつ呟けば、スウェット娘。
「知らんけど」
 アンタ歌もヘタだけど、方言もヘタ。

 ブラウン管の二人(?)に、花吹雪がそそがれる。あれは、ガラスの手が好き嫌いの占いで摘みとってきた花弁はなびらか。その尋常でない量ゆえ、合いづらくなるカメラのピント。光も姿も、うちの仏壇に供えるデンファレの紫とピンクに融けゆき。オーケストラもテンションとボリュームを増幅させ過ぎたあまり、スピーカーからはもはやまともな音が聴こえない。まともな音って何だろう。テレビどころかヒトの感知する領域も超えた音が溢れあばれ難破したあの現場にこそ、ほんとうの音楽があるような気がしてきた。そんな莫迦な。
 ノイズとともにまざりこむ、誰かの悲鳴。





©2023TSURUOMUKAWA

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