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掌篇小説『Z夫人の日記より』<159>

5月某日 邸1

 邸宅にて、主である老人が、木目調のグランドピアノを弾く。皆でかこみ、聴く。老人だが、プレリュード。第◯番が終るたび、客人たちは椅子取りゲームよろしく飲み物を手に笑いながら席替えし、サンルームのガラス壁ガラス天井の反響、すこしあけた所からの風と緑のささやきによる聴き応えの違いを愉しみ。

「次の譜面はどこ?」
 と、老人はよく止り。こんなお金持ちなのに、譜めくりの役をこなせる人間はゼロなのか誰にも、執事にさえ助けて貰えず。ついには苛だって撒き散らすが、結局じぶんで探す羽目に。暫くペーパーノイズによる演奏がつづく。

 私はひとり、椅子取りゲームで負けたみたいに庭に出る。柘榴ジュースを手に。
 塀はなく、溢れる緑は森も山も、何処までも老人の私有地らしい。
 しばし歩いたところに建つ、シルバーグレイの石材による、遺跡をちぢめたふうな平屋は、
「どなたでも」
 と老人の思わせぶりな微笑みが眼に浮ぶ、開放された公衆トイレ。電灯が端(はな)から無いのか、曲り角を拵えた入口の奥は闇がぬめり、こわい。こわいと云いつつよく視たら、立入禁止のテープが張られ。

《ここで殺人があった》

 と、思い出す。否、テープで思い出したのではなく、眼前にひらひらする紙が、否応なしに教えてくれた。
 石壁に彫られた家紋とおなじ牡丹の咲く、トイレを鍵括弧のようにかこむ生垣に、全国紙からローカル迄、当時の新聞のスクラップ記事が飾られて?いるのだ。

 右から時系列でならべられた記事の最後の最後は……『時効』。

 遠くなったサンルームより、プレリュードが聞える。風がつよくなって、生垣の葉も紙も一斉に鳴る。柘榴ジュースのグラスの氷もすこし鳴る。オーケストラだ。始まりこそすれ終幕の永遠にない殺人を語る新聞文字の連なりが、まるでその音符のよう。


◆◇◆


6月某日 邸2

 親戚宅へ。

 場所は以前とおなじだが、従兄の指揮のもと、隈なくリノベーションされたという。

 色のうすく瑞々しい木の床、けがれひと粒もない白壁、光よいらっしゃいかげよさようならとばかりの、前後より上よりの採光……

 いかにも、あたらしくって、イマドキで、逆に特徴がないなぁなんて内心思っていたら、家が揺れる。地震ではなく、眼前の路を大型トラックなど通るたびに微かな震動があるのだ。それは以前も今もおなじ。

 大型テレビが仏壇の如く鎮座するリビングの端に隙間があって、これ何? と従姉に聞いたら、
「どーぞ」
 と。
 はいれば、真っすぐでなく女が仰け反るラインを描く狭い廊下(しかし採光はバッチリ。鬱陶しい)。視かけよりながく勿体ぶるほど歩かされた果てに、扉を付け忘れたロッカーほどの、四角い穴。
 のぞきこむと、数メートルひくい半地下に、空間がひろがり。キングサイズのベッドがふたつ、砂浜にあるみたいに、厭味なくらいゆとりをもってならぶ。
「父と兄の寝室」
 と従姉。
 は? と思う。そもそもリノベーションは、叔父叔母・従姉・従兄の三世帯に居住空間を分けるのが目的でなかったか。
 ベッド間に仕切りはなく、半地下だというのに如何なる仕掛けかもはや家じゃないだろうと叫びたいぐらい6月の自然光を浴び、従兄と叔父が寝ている。どっちもかるく灼けた、裸。
 しかし、ふたりとも、とくに叔父が、異様に若い。髪ふさふさで、痩せてて、鍛えられた隆起があって……私たちの年頃に近い、否、それよりもっとずっと……と思っていたら、瑞々しい叔父はむくり起きあがり、隣のベッドへと。腰掛け、指で従兄の胴をなぞり終えたかと思うと、被さり。
 このふたりって全然似てないと思っていたけれど、今はまるで鏡映しみたいに、もしくは釘いっぽん使わず密着し構築される木組みほどに、唇も指も、胸も腹もペニスも脚も、ひとつになっている。
 轟音がし、褐色の像が一瞬翳り、ブレる。外をまたトラックが通ったらしい。従姉が、
「これだけは直らないのよねぇ」
 と。





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