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【コラム】事業の死とサスティナブルについて

どうも、変化にもっと優しくなりたい、むじょうの前田です。

この前、ある会社のサスティナブル関連の部署に勤めている方とお話ししていて、「会社そのもののサスティナビリティって事業の死と向き合うことでは?」という話になったのでそれについて書きます。スタートアップにも大企業にも当てはまる話です。

まず、事業の死を「撤退」と定義します。撤退を決めても、また復活することもあるじゃないか、という声も聞こえてきそうですが、事業は参入のタイミングが重要であることから、「今、参入すること」は今しかできません。よって、撤退した事業は今という時点では死んだと考えることにします。

事業の死が会社のサスティナビリティとどう結びつくかというと、死にゆく事業を資産としてみれるかという目線にかかっていると思っています。

撤退する事業も、一定のリソースをその事業に割いているわけです。担当者、予算などですね。そして「撤退する」という意思決定をするのも、その決定に至る判断材料が揃ったからとも言えます。

しかし、撤退すると決まった事業をきちんと分析する企業は少ないようです。撤退するからもうおしまい、もう一切手をつけません、という姿勢です。せっかく、撤退の判断材料を集めたのに、それを資産化せずに捨ててしまう。これはいわゆるサスティナブルの文脈でいわれる「無駄遣い」と同じです。

事業の死は人間の死ほど忌避するものではありません。むしろ、失敗を資産化しながら、リソースの解放を行えたと解釈しても良いでしょう。

農業も似てますね。雑草が生えていると、芽に光が当たらなかったり、畑の養分を持っていかれるため、育てたい野菜が育たなくなってしまいます。だから、雑草を抜いて(=雑草の死を通じて)、畑のリソースを解放する。抜いた雑草はコンポストに入れて栄養のある土に還す。これが雑草の資産化です。そうしてはじめて、美味しい野菜が育ちます。この営みが畑の持続性につながるわけですが、会社にも同じことが言えます。我々は会社という畑で、せっせと美味しい野菜を作ろうとしています。頑張って育てた植物が雑草だった、なんてこともありますが、それはきちんと土に還して養分にする。日々この繰り返しです。

事業の撤退というと、失敗のようで目を逸らしたくなりますが、きちんと向き合い資産化していくことが会社の持続性につながるんだな〜というお話しでした。

それでは、今日はこのへんで。ありがとうございました!

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