見出し画像

阿久悠、秋元康 から学ぶJ-POP 復活の要素とは? 鍵は作詞力。


政治経済学部経済学科4年18組2番 泉俊輔

目次
序章 この論文を書くに至った経緯
第二章 作詞家によって歌はどのように作られてきたか
第一節 「詞先」と「曲先」について
第二節 映画的作詞手法について
第三節 映画的作詞方法で作られた歌の代表例
第四節 阿久悠が自身で定めた作詞憲法と最近のJ-POPの歌詞に対する憂慮
第三章 CDの売れない時代になぜAKB48はミリオンを超えるのか
第四章 AKB48がミリオンヒットする理由は歌詞の力が大きい


■序章 この論文を書くに至った経緯


音楽が売れないと言われてもう何年になるだろうか。売れない原因として「CDを買う人がいなくなった」や、「iTunesなどオンラインストアを通じて1曲ずつダウンロードされるようになったのが原因だ」という人もいれば、「違法ダウンロードが原因だ」とも言われている。そんな世の中なのに、僕が大学に入学してからずっと注目しているアイドルグループAKB48は、不況の中、CDを100万枚以上売っている。この成功要因として「握手会」というCDに付くおまけを狙って、一人で何枚も買うファンが存在していて、実際には幅広い層に売れているわけではないという人もいる。

だが、なぜAKB48はそこまで一部の人の心に刺さるコンテンツになったのだろうか。僕は疑問に思いこの論文を書こうと思った。この論文を書く前にふと考えてみた。自分がどうやって好きな音楽を見つけてきたかということについて。僕が歌のサウンドを楽しむよりも、歌詞を楽しむようになったのはいつからだろうか。高専に通っていた頃は歌詞など気にせず、単に聴き心地が良いかや、メロディやサウンドを気に入って自分のウォークマンに入れる音楽を決めていたと思う。そんな僕が歌詞を意識するようになったきっかけはAKB48だ。3年前に明治大学で仮面浪人をして、早稲田大学を目指している時に明大の中央図書館のパソコンを通じてその出会いはあった。それ以前からAKB48のことは雑誌のグラビアなどで気になっていて、詳しくは知らないけど名前だけは聞いたことがあるよという認識だった。

だが、受験勉強に飽きて、ふとYouTubeでAKB48のことを調べて「涙サプライズ!」のPV(プロモーションビデオ)を見た時、心に大きな衝動が起こった。その時は、おじさんがよく初めてAKB48を見た時に抱く感想と同じように、誰が誰だか分からなかった。しかし、曲のメロディやサウンドに惹かれAKB48というアイドルに注目しようと思った。それまでも、好きな女優やグラビアアイドルが常にいたが、グループアイドルを好きになったのはAKB48が初めてだった。誰が誰だか顔も分からずにAKB48の他のシングル「10年桜」や、他のPVを見ていくにつれてAKB48の中で渡辺麻友という女の子が面白いと思った。そして同時に、このAKB48をプロデュースしている秋元康という人間にも興味を持った。秋元康とはAKB48のプロデューサーで作詞家である。そして僕は一人のファンとしてAKB48を見るよりもプロデューサーと見るほうが面白いと思うようになった。

それから3年以上の月日が流れAKB48の力の源とは何かを考えた結果、作詞家である秋元康の「作詞力」によるものだと考えるようになった。今回のこの論文で論じたいことは「歌をヒットさせるのは詞の力、つまり言葉が一番重要なのではないか」ということだ。このことを論じていく。



■第二章 作詞家によって歌はどのように作られてきたか


 ◆第一節 「詞先」と「曲先」について
AKB48の話に触れる前に歌を聴いて気に入るプロセスについて考えてみたい。僕が思うにイントロのメロディをまず最初に気に入り、歌が進行していくに連れて「サウンドがいいな」と思い、その歌との初体験はとりあえずそこで終わる。ここで気に入らなければ、もうそれっきりその歌を聴くことはないだろうが、気に入ると何回もリピート再生を行いその歌をカラオケで歌えるようになるまで聴く。

つまり、歌の第一印象は作曲家が担うが、その歌の命の長さを決めるのは作詞家の役割で、確かに作曲家の人を引きつける役割も大事だが、それ以上にこの曲の引力を持続させる作詞家の役割も重要だということを僕は主張したい。日本で最も作詞したCD売上枚数が6818万枚[1]と2位以下を突き放し第1位である阿久悠はこの歌のあるべき姿と、歌詞の重要性について次のように述べている。

歌には言葉があってメロディがあり、さらに音=サウンドがある。これらが三位一体になっていればいいが、常にどれかが引っ張っていたのが現実だった。時代によって、言葉が引っ張り、メロディが引っ張り、サウンドが引っ張ったりした。今の歌は全部がサウンドばかりだ。それはかつてもあったことで心配していない。ところが、かつては言葉を知っていた人が承知でサウンド先行にしたが、今は言葉を知らないがために、言葉が軽んじられているのかもしれない。そうなるともう元には戻れない。[2]

次に作詞方法について触れておきたい。作詞方法には「詞(うた)先」と「曲先」がある。「詞先」とは歌詞があって、そこにメロディを付けて音楽をつけるのに対して、「曲先」では曲に詞を付けていく。最近のJポップはほとんどが曲先であるが、阿久悠のころはまだ詞先も多かった。[3]

「詞先行だと、ともすると、手持ちの言葉で表現してしまい、言葉は増えない」[4]

そして曲先で自身が書いた代表例として名曲「津軽海峡・冬景色」を例に出す。


「この、3・3・3・3という転がり方が、<上野><発の><夜行><列車>という三音の言葉を引っ張りだしてくれたのだと思います。転がったのです。/これが四音で始まったら、<上野>で書きだしても、<上野は>ということになるでしょう。<上野を>とか<上野に>もあるかもしれませんが、いずれにしても、上野の説明なり、いま上野にいる主人公の感情にも触れなければなりません。[5]

制約があったほうが発想しやすくなるというのは、作詞家だけではなく作曲家も同じである。


「グループサウンズ出身の作曲家も、詞を求めるようになります。これは、作詞家である私が曲先行に感じた利点と全く同じことで、メロディーを自由に書くと自分のカラを破れないが、詞が先にあると、思いがけない展開ができるということでした。」[6]

さらに「曲先」の場合、阿久悠はメロディを何度も聴いて作詞するという。


「作曲家からメロディーが届くと、何度も何度も聴きます。メロディーを覚え込み、まるで、自分が作ったメロディーだと錯覚するほどに、体の中に取り入れるのです。そうしないと、単なる作業に思えるからです。/聴いているうちに、あるメロディーが、ある言葉を語り始めます。」[7]

一方、阿久悠と並ぶ作詞家である秋元康は具体的な作詞の手順について次のように述べている。

車の中などでCDに入っているデモテープを聞いて、まずメロディを覚えます。(中略)そのデモテープを聞いていると、「これは夜の歌だなぁ」とか、「人生の歌が合うなぁ」と何となくイメージが浮かんできます。そこへ、適当な詞をつけるのです。最初は起承転結など全く無視して、デタラメな詞を書きます。(中略)それは詞の中のどの部分かはわかりませんが、あとはそのフレーズに合わせて、パズルの中を埋めていく。ジグソーパズルの端がわかると、あとが作りやすいのと同じことです。[8]


 ◆第二節 映画的作詞手法について
「詞(うた)先」と「曲先」については前節で述べた。次に阿久悠や秋元康に共通する歌をヒットさせるための秘訣である“歌詞を映像的にする”ことの重要性について論じていきたい。その前に阿久悠は歌の中の詞の重要さについて以下のように記している。


なぜなら、企画性がハッキリ形になって出てくるのは、どうしたって詞だからである。サウンド面での企画性というのも、もちろんある。しかし、企画の狙いが最終的にめだつ部分は、詞のほうである。たとえば、素材のとり方とか、タレントのつけ方などだ。[9]

このことからまず分かることは作詞家が作る「歌」というのは、企画が一番肝心だということだ。同じように歌を作る際に企画が大事なことを秋元康はこう書いている。


作詞をするうえで僕が一番大切にしているのは“コンセプト”というものです。
僕のところに作詞の依頼がきたら、まずその歌手の人を分析して、その人が言葉にした時にどういう言葉がインパクトがあるかを考えるわけ。
それと同時に歌自体がどういう意味を持った歌なのかということも考えます。
この二つがポイントになるんだよね。[10]

以上のように書いているように作詞家は詞を書く時に企画やコンセプトといったことを、非常に重視していることが分かる。次に歌詞の作り方について両氏とも次のように著書に記している。


たとえば、テレビに例をひくと、一人の主人公の行動表情を一台のカメラで執拗に追っていくというテクニックがある。
そして、もう一つは、多くのカメラを使用し、一台は主人公のアップを、一台は主人公と相手役を、一台は大きな風景の中の二人を、そして、後の一台は、まったく関係ない別の象徴的なもの、たとえば、太陽とか、海とかをとっていて、それらが目まぐるしく積み重ねられ、一つの大きな効果を出すというテクニックである
これとまったく同じことが、詞の場合にもいえるのである。一カメラであれば、主人公の描写、もしくは独白でいいのである。それは、非常に直接的に、感情、思想を伝えることができる。
一方、多カメラのほうは、三二小節形式の時などに用いると効果的なテクニックである。[11]

このように阿久悠は「わずか原稿用紙一枚か一枚半の詞を書くのも、二時間の上映時間の映画をつくるのも制作工程には変わりないということ」[12]で述べている。多カメラの時のテクニックについては別の著書で詳しく以下のように記している。


それまでの日本の歌は、映像でいえば、主人公の女がいきなりアップで登場して、一人語りを始めるようなものが圧倒的に多かった。これに対して、僕の歌は景色入れ込みの引いたカメラから入って、風景の中に立つ主人公の大きさを決め、彼や彼女がいる状況を出していくものが多い。最初からすべて意識してそのように作ったわけではないのだが、気がつけば映画的な手法で作り込んでいた。
たとえば三二小節の歌を八小節ずつ四ブロックに分ける。これを四つのショットで構成する。これを歌詞でいうと、二行ごとの切り替えになる。最初の二行で風景の入ったフルショット、次にカメラは人物にぐっと寄ってバストショット、そしてサビに入ったところでアップにして主人公がセリフをしゃべり始める。そして最後にカメラは再び引いてロングショットに切り替わる。[13]

秋元康も同じようなことをこう述べている。


それから“絵が見えること”というのも非常に大切ですね。これは僕自身、TBSの「ザ・ベストテン」やいろんな音楽番組の構成を手掛けてきて感じたことなんですが、セットのイメージが浮かぶ歌というのはヒットする可能性が高いからね。つまり、その曲を聴いた時に絵が見えてきて、きっとこういう人なんだろうな、こういう歌なんだろうな、というイメージが浮かんでくるような歌っていうかね。[14]


 ◆第三節 映画的作詞方法で作られた歌の代表例
ここでは先に論じた阿久悠や秋元康が自身の作詞方法に基づいて実際にどのような作品を作ってきたかを見ていきたい。阿久悠や秋元康が作詞した歌はそれぞれ何千曲とあるがその中から2つ取り上げたい。「津軽海峡・冬景色」と「真夏のSounds good!」だ。始めに「津軽海峡・冬景色」について見てみよう。


津軽海峡・冬景色 歌 石川さゆり
作詞 阿久悠/作曲 三木たかし
上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
息でくもる窓のガラスふいてみたけど
はるかにかすみ見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡・冬景色


阿久悠と聞くと石川さゆりのこの歌を思い浮かべる人も多いと思うし、1977年発売のこと歌を聴いて30年以上経った今でも、僕は映像的な歌詞だと強く思い、行ったことも乗ったこともない津軽海峡を縦断する連絡船上にいるような気分になった。この歌はまず上野駅を主人公の女性が降りたところから始まる。当時の上野駅は東京と東北を結ぶ窓口だったようで多くの故郷から出てきた人で溢れかえり、上野駅は東京の玄関口として賑わっていた。

そして、この歌は東北から東京へ出てきてここでたくさん稼ぎ故郷に仕送りをする出稼ぎ労働者の歌ではなくて、反対に故郷へ帰る歌だ。女性が失恋し男性と別れて北海道へ戻って静かに暮らすのだろうかというように人の想像力をかきたてる歌だ。この歌の作詞方法は先に述べた阿久悠の映画的手法で書かれている。阿久悠の著書には次のように述べている。


歌詞は青森駅に降り立つ女の遠景から入る。それから、海鳴りを聞く無口な人々が描写され、三ブロック目で初めて鴎を見つめて泣く「私」がクローズアップされる。そして、カメラは一気に引いて、冬景色の津軽海峡を映し出す。この曲は非常に映像的で、二コーラス目ではさらに主人公の女の脇を通りかかるエキストラまで登場している。サビのところで一気にヒロインの感情が描き出されるのは、一コーラス目と同様だ。こんな風にカメラ割りを考えながら、映画のように風景を描いていくのが僕のやり方だ。[15]

次に秋元康自身がプロデュースしたAKB48で、2回目のレコード大賞を受賞した歌である「真夏のSounds good!」の歌詞を分析したい。


真夏のSounds good! 歌 AKB48
作詞 秋元康/作曲 井上ヨシマサ
「サンオイル 背中に塗って!」と
水着の上 外しながら寝そべった
大胆な君の一言は
甘ったるい
匂いがした
どこまでも青い海と空
僕たちの関係に似てる
水平線はまだ交わってるのに
そう 今はまだ わがままな妹のようさ
真夏のSounds good!
つぶやきながら
次のカリキュラム
波音Sounds good!
心が騒ぐよ
去年よりも
僕は本気になる
砂浜で肌を灼いている
君を置いて 僕は一人泳いだよ
その後のいきなりのキスは
塩辛い味がした
さっきまでのあの風景とは
空気まで変わった気がする
海と空がちゃんと向き合って
そう お互いのその青さ映し合っている
渚のGood job!
愛しい人よ
ずっと切なくて言えなかった
君が近すぎて
きっかけGood job!
素直になるんだ
手を伸ばそう
恋の季節じゃないか!
真夏のSounds good!
つぶやきながら
次のステップへ進みたいね
恋のカリキュラム
波音Sounds good!
心が騒ぐよ
去年よりも
僕は本気になる
真夏のSounds good!
君が好きだ
波音 Sounds good!
やっと言えたよ
渚のGood job!
君が好きだ
きっかけGood job!
いいタイミングだね
真夏のSounds good!

この歌詞が映像的であることは読めばすぐ分かると思う。一番は男性と女性が砂浜にいて女性のほうが男性に、<サンオイル 背中に塗って!>と頼む。次に<大胆な君の一言は 甘ったるい 匂いがした>と雰囲気の描写が入る。歌詞の中で男女の背景を描写し海と空が自分たちの関係に似ていると比喩表現を使って二人の仲の良さを描き出している。

そして、この歌の二番ではこのカップルが砂浜で遊ぶ様子を描写し、一番の歌詞をさらに発展させる展開となっている。第三章で取り上げるが、この歌詞はAKB48のファンではない人が聴く場合はなんとも思わないが、ファンが聴いた場合は自分のAKB48の中で好きなメンバーを思い浮かべ、あたかも自分とそのメンバーが一緒に砂浜でいるかのような錯覚を感じることができるファンにとっては素晴らしい歌詞となっている。


 ◆第四節 阿久悠が自身で定めた作詞家憲法とJ-POPの歌詞に対する憂慮

これまで阿久悠と秋元康の作詞方法を見てきた。秋元康の現在のAKB48の歌詞の作詞方法については、第三章で触れることとして、ここでは阿久悠がどういう信条を持って詞を書いてきたかについて見ていきたい。1970年代初頭に阿久悠は「白い蝶のサンバ」で有名作詞家の仲間入りを果たした直後、作詞家としての15条の憲法を作った。


1 美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。
2 日本人の情念、あるいは精神性は、「怨」と「自虐」だけなのだろうか。
3 そろそろ都市型の生活の中での、人間関係に目を向けてもいいのではないか。
4 それは同時に、歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。
5 個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に、社会へのメッセージをにすることは不可能か。
6 「女」として描かれている流行歌を、「女性」に書き換えられないか。
7 電信の整備、交通機関の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。
8 人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって、全くしなくなったものもあるのではないか。
9 歌手をかたりべの役から、ドラマの主人公に役替えすることも必要ではないか。
10 それは、歌手のアップで全てが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求してもいいのではないか。
11 「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。
12 七・五調の他にも、音楽的快感を感じさせる言葉があるのではなかろうか。
13 歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリウムを四分間に盛ることも可能ではないか。
14 時代というものは、見えるようで見えない。しかし、時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか、見えるのではなかろうか。
15 歌は時代とのキャッチボール。時代の中の隠れた飢餓に命中することが、ヒットではなかろうか。[16]

また別の著書の中では次のような分析結果も記している。


歌謡曲はリアクションの芸術かもしれない。送り手がいかに意欲的であり、情熱的であっても、リアクションがない限り何の価値もない。毎日、ひとつでもふたつでも何かが跳ね返ってくることを期待しながらボールを投げ続ける。
そのうち幾つかが返ってきて、初めて作詞家として充実感を覚える。では、ボールをぶつけるべき壁、跳ね返してくれる壁とは何か。
それは時代の飢餓感だと思う。
今、何が欠けているのだろうか。今、何が欲しいのだろう、というその飢餓感の部分にボールが命中したとき、歌が時代を捉えたといってもいい。[17]

これからも分かるように阿久悠は美空ひばりによって完成させられた流行歌を否定することによって自らの存在意義を主張した。流行歌は既に定型が決まっておりそれを壊すことによって歌謡曲の時代を切り開いていこうと考えたのだ。阿久悠がデビューした頃は作家の専属制が壊れていく流れもあり、阿久悠がそれまでの流行歌を否定するのは時代の要請でもあったのだ。特に阿久悠は「時代の飢餓感に命中させる」ということをたくさんある自身の著書で繰り返し唱え、現在の音楽にはそれが欠けていると指摘する。


ヘッドフォンで聞く音楽は「聴く」にあらず、「点滴」であると危惧している。そして、「ミュージック」はあるが「ソング」はない。特に「ソングはない」ということは「言葉がない」という意味で、これはいささか、はやりすたりとはいってられない気持ちになっている。[18]

阿久悠はソニーのウォークマンの登場によって変わってしまった音楽を聴く風景の変化を危惧している。さらに言葉が捨てられてしまった現在のJ-POPの現状をこう嘆く。


僕が作詞家として仕事をしていた六〇年代の後半から八〇年代の中盤くらいまでは、歌謡曲の中に時代の空気がしっかりと織り込まれていた。どの歌もその背景には時代の気配を強烈に発散していた。その時々の社会の出来事や個人の思い出が連動していて、曲を聴いたとき、この歌が出たときに自分はどこで何をしていたか瞬時に蘇らせる力があった。
それが今の曲はどうだろう。
流行っている歌の歌詞をじっくり聴いてみる。ところが、歌詞の中に時代が見えてくることはほとんどない。歌を作る作家たちが部屋の中に閉じこもっていて、窓から外を見ていないのだと僕は思う。(中略)その結果、今年の歌も去年の歌も一昨年の歌も、結局、どこかで聞いた同じようなことを歌っているだけということになる。[19]


どうだろうか。この指摘はかなり的を射るものだと僕は思った。たしかに自分がいまウォークマンに入れている音楽の歌詞と照らしあわせてみると納得できる。最近のシンガーソングライターの歌は映画的手法で書かれた映像的な歌詞は少ないし、「頑張ろう」や「男女の恋愛の歌」にしても聴いていて情景を思い浮かべることができなくて、耳への「点滴」としては良いが、新しい同じような歌詞の歌が出ると今まで聴いていたその歌のことはすっかり忘れてしまう。ただしミリオンヒットを連発するAKB48の楽曲を除いての話だ。次の章ではAKB48の歌詞に注目しそこから「AKB48がヒットする理由」を導き出したいと思う。



■第三章 CDの売れない時代になぜAKB48はミリオンを超えるのか


これまでの作詞家がどうやって詞を書いてきたかについて考察してきた。次に現在日本で最もCDが売れているAKB48について考えてみたい。AKB48でヒットした楽曲数は351曲だ。(うたまっぷ.comで2012年12月18日に“AKB48”で検索)

発売初週でミリオンヒットを達成した数は通算11作。(2012年12月5日発売の永遠プレッシャーまで)名実ともに日本を代表するアイドルグループへと成長した。

ではAKB48とは何か。よくおニャン子クラブやモーニング娘。と比較されるがこれらとは全く異なる。まずおニャン子クラブは、フジテレビで放送された「オールナイトフジ」や「夕やけニャンニャン」というテレビの企画から生まれたアイドルグループであり、モーニング娘。は、テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」がグループ結成に大きく関わっている。つまりどちらもテレビを起点として始まったアイドルグループであるが、AKB48はそれに対して秋葉原の劇場を拠点としてスタートし12月8日にデビューした。メンバー20人に対して観覧客はたったの7人だけで関係者のほうが多いという有様だった。それでも約2ヶ月後に劇場は満員になり、2007年の紅白歌合戦にリア・ディゾンや中川翔子らと共に「アキバ枠」として出場することになる。
その後、長い停滞期があったが2008年10月にソニー系列のデフスターレコーズから、キングレコードに移籍してからAKB48の快進撃が始まった。2009年7月8日の第1回AKB48選抜総選挙でアイドルグループの中で順位をつけるというタブーを破り、世間で大きな注目を浴び、2009年の10月21日に発売された「RIVER」では初のオリコン1位を達成した。そして翌年の10月27日発売の「Beginner」は売上枚数が103万枚に達し、初のミリオンを達成した。
その後は、CDの売上はどれもミリオンを超え、この躍進は2012年8月26日のAKB48の中で最重要メンバー(センター)であった前田敦子が卒業するまで続き今に至る。

AKB48の簡単な歴史について先に書いたが、次にどういう風に人はAKB48にハマっていくかについて論じていきたいと思う。AKB48の魅力は学校のクラスを秋葉原の劇場内に再現したところにある。全員美人というわけではなく、そんなに可愛くない女の子も運営側はあえてAKB48のメンバーとして採用した。それは学校のクラス中で1人ぐらい好きな女の子がいるように、AKB48劇場という狭い空間の中でお気に入りの女の子“推しメン”をファンに見つけてもらうためだ。そして推しメンをきっかけにその周りにいる女の子にも興味を持ってもらい、複数の推しメンをファンに見つけてもらいたいのが運営側の戦略である。またAKB48はチームA、K、Bと3チームに分かれており、通常ファンは自分の推しメンが所属しているチームを推していくことになる。劇場公演は例えば昨日はチームAで、今日はチームK、明日はチームBというように日によって公演を行うチームが違う。

現在のようにマスメディアに頻繁に出てくるようになるまでは、このチームの中のメンバー同士で結束を強めることが多かった。そしてこの劇場公演の中から様々な物語が生まれていった。

AKB48はマスコミの報道によって脱退、卒業するメンバーが多いが多くはこの劇場公演の中でまず正式に報告を行う。つまりこの劇場公演を通してメンバーは報道に対する自分たちの反論を行うのだ。ついこないだ卒業を決めた2期生の増田有華の場合は、まず週刊文春によって男性スキャンダルが報じられ次に自身のブログで自分の反論を行い、劇場公演で直接ファンに謝罪を行いAKB48紅白歌合戦という晴れ舞台のライブを活動の最後に卒業した。このように劇場が果たす役割はメディアへの露出が多くなっても直接ファンに語りかけるという大きな役割を担っている。

しかし、大半の劇場公演のMCはメンバーの裏話や最近ハマっていることなど女の子の他愛もない会話だ。いずれにしてもこの劇場でメンバーが話したことがニュースとなり、インターネット上で話題になりファンは劇場に直接行くことができなくても推しメンが普段、どういう発言をしたかについて知ることができるのだ。そして推しメンについて深く知ることによってテレビや雑誌のグラビアやインタビュー、メンバーのブログ、最近ではSNSのGoogle+などを通じて推しメンのことをもっと知ろうと思うようになる。そしてこれが進展すると推しメンに対していろいろな妄想をするようになる。例えば僕の推しメン、渡辺麻友はあんなに美少女だから絶対に“今まで彼氏がいたことがなく処女”で、少なくともAKB48のメンバーとしている間は男関係は“絶対出ないだろう”と勝手な妄想を抱く。この妄想がAKB48の楽曲を聴くときに重要になることを次に述べる。

先に私が述べたようにAKB48では“推しメン”が重要になる。そして新曲のプロモーションビデオをYouTubeなどで観る時は、ファンは自分の推しメンが「どのポジションで歌っているか」や「何秒間映ったか」などを注意深く見て一喜一憂するのだ。そしてプロモーションビデオは、通常CDの発売より前に公開されるのでここで予習してCDを聴くことになる。初めはメロディがいいかどうかで「何回も聴ける曲かどうか」を判断するが、5回目を超えたあたりから「歌詞も楽しめる」ようになる。この歌詞について秋元康に長年師事した岩崎夏海は、秋元の作詞の方法は2種類しかないと言っている。


「秋元さんは、作詞の方法はふたつしかないっておっしゃるんですよ。一つは、歌手にその歌手のファンが言ってほしいことを言わせる。もうひとつは、その歌手の方が言いたいことを言わせる。」[20]

そして秋元の歌詞が阿久悠や松本隆のように芸術家として評価されない点に関しては次のように述べている。


「世間でなかなか評価されないのは、何となく分かる気がするんですよね。秋元さんの詞の力って、逆にぴったりハマり過ぎちゃっているんで、空気のような感じで、存在感を感じさせないというか……。聴き手側が自分の気持だと思ったり、歌い手の気持ちそのものと思われたりするわけじゃないですか。だから、そこにいわゆる作家性を見つけ出すのは難しいと思うんですよ。」[21]

つまり、岩崎は秋元の詞は「時代や人に寄り添い過ぎている」と指摘している。岩崎が指摘している秋元の作品は岩崎が好きだったおニャン子クラブの歌の歌詞についてだ。秋元自身はこの評価されないことについて次のように述べている。


「自分で自分を詩人と思ったことはない。やっぱりプロデューサー的な資質のほうが高いですよ。プロデューサーとして、どういう歌を作るかってところから始まって、それから作詞家・秋元康に発注する感じ。この2つはもう、はっきり分離している。」[22]

と述べており自分は作詞家というよりプロデューサーの方の側面の方が強いと述べている。さらにAKB48に関しては


「自分はやっぱり作詞家で、言偏で寺の詩人じゃない。必ず誰かの口を通す、声を通す、あくまで歌う人のために書いていたんだよね。でも、今この時にAKBっていうのがあって、自分がプロデュースもやっている。AKBに関しては……。自分自身の想いやメッセージを、より直接込めるようになってきてるかもしれない」[23]

と述べ秋元自身が一作詞家というよりプロデューサーの立場としていまこのメッセージをAKB48全体が発しなければならないと考えていることが読み取れる。つまりAKB48は秋元康の口で秋元の伝えたいことを彼女たちを通して伝える表現手段なのだ。最後に秋元康の現在の作詞方法について以下のように語っている。


「最近の作詞の仕方は、もうカオス。混沌。AKBの展開が余りにも広がっちゃったから……。こっちにライブの構成の書きかけ、あっちにチェックしなきゃいけない動画のモニター、そっちに確認しなきゃいけない企画書……。みたいな感じで、こ~んな(両手両足があさっての方向に引っ張られてる)状態で書いてる(笑)。でも、そんなカオスの極限のウワ~って状態のときに、ポ~ン!って出てくるんだよね。神の啓示じゃないけど。何か突然、たとえば“人は野菜に似ている”とか(笑)。全く何の脈略もなく……。昔、阿久悠さんが、熱海に居を移して書いたりとかさ、本当に作家の先生って感じでカッコいいな~とか思うんだけど……。やっぱ自分にはできない。意外とそういう環境に行ったら、ぜんぜん書けなくなる気がする。」[24]

秋元は上記のように述べており、それはもう既に極限状態でハッと出てくる想いを言葉にしているといった感じだ。ただ、ほとんどの神曲、良曲と呼ばれるAKB48の歌詞を読んでいると、どの歌も映像的で、なおかつ「AKB48のメンバーが言いたいこと」や、「ファンが言ってほしいこと」、「秋元自身が伝えたいこと」の3種類に分類できると思う。


ポイントは歌詞が映像的であるというところと、自分が伝えたいことだけではなく、ファンや歌手が伝えたいことというこの2つの要素が入っているところがポイントだと思う。つまり、AKB48とはシステム自体がユニークで、なおかつそこから出てくる歌もバラエティーに富み従来のアイドルや、平成になってからのアーティストの歌とは、全く種類も量も違うということだ。この楽曲の種類と量がAKB48を支える大きな要素であることは間違いないと思う。



■第四章 結論 AKB48がミリオンヒットする理由は 歌詞の力が大きい


この論文では阿久悠や秋元康がどのように歌詞を紡ぎ、AKB48がなぜヒットしたかについて論じてきた。僕はAKB48の現在の躍進には歌詞の力が大きかったと思う。岩崎氏も言うように秋元康の創りだす歌詞の世界は「歌手が伝えたいこと」と、「ファンが歌手に言ってほしいこと」が入り混じり、それが現在のヒットにつながったというのが僕の主張だ。この論文の結論を書いている時に、AKB48がレコード大賞を2年連続で受賞したというニュースが入ってきた。AKB48のCDが他のアーティストと比べると圧倒的に売れた上で考えると当然の受賞だと思った。

しかし、秋元康の歌詞は世間ではあまり評価されない。それよりもAKB48の場合はCDにおまけとして付いている握手券とAKB48総選挙への投票権があるから「真夏のSounds good!」の場合、180万枚も売れたのだと指摘する人もいる。

だが、僕はAKB48のヒットは阿久悠の言う「時代の飢餓感に命中した」からだと思う。AKB48のシステム自体が夢を追いかける少女を秋葉原の劇場を起点として応援するというシステムになっており、それは不景気のせいで、なかなか夢を見られず現実ばかり見てしまう人々の心に命中したからここまで大ヒットしたのだと思う。

夢を語ることだけならば他のアーティストの詞を見ても分かるようにここまで売れる理由にはならない。夢を語り歌詞の世界だけではなく、歌い手自身も夢を追いかけ、また恋愛に億劫な昨今の草食系男子の性欲を握手会で満たしたことによって、AKB48はミリオンヒットを連発しているのだと思う。

そして再度、「AKB48がヒットした理由は歌詞の力であると主張したい。


■参考・引用文献
[1] オリコンスタイル 20世紀を代表する作詞家・阿久悠さんが死去http://www.oricon.co.jp/news/music/46870/full/
[2] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 99~100頁
[3] 見崎鉄 阿久悠神話解体 歌謡曲の日本語 彩流社 2009年 73~75頁
[4] [3]の文献と同じ箇所で阿久悠 生きっぱなしの記 日本経済新聞社 2004年から引用
[5] [3]の文献と同じ箇所で阿久悠 歌謡曲って何だろう 日本放送出版協会 1999年から引用
[6] [3]の文献と同じ箇所で阿久悠 歌謡曲って何だろう 日本放送出版協会 1999年から引用
[7] [3]の文献と同じ箇所で阿久悠 歌謡曲って何だろう 日本放送出版協会 1999年から引用
[8] 秋元康 ことばを紡ぐ旅 にっぽん作詞紀行 日本放送出版協会 2009年 12~13頁
[9] 阿久悠 作詞入門 阿久悠式ヒット・ソングの技法 岩波書店 2009年 14頁
[10] 秋元康とおニャン子クラブ キミもなれるぞ!おニャン子成金 天才秋元塾 フジテレビ出版 1986年
[11] 阿久悠 作詞入門 阿久悠式ヒット・ソングの技法 岩波書店 2009年 182~183頁
[12] 阿久悠 作詞入門 阿久悠式ヒット・ソングの技法 岩波書店 2009年 179頁
[13] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 221~222頁
[14] 秋元康とおニャン子クラブ キミもなれるぞ!おニャン子成金 天才秋元塾 フジテレビ出版 1986年
[15] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 224頁
[16] 重松清 星を作った男 阿久悠と、その時代 講談社 2012年 278~280頁で阿久悠 生きっぱなしの記 日本経済新聞社 2004年から引用
[17] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 102頁
[18] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 113~114頁
[19] 阿久悠 「企み」の仕事術 KKベストセラーズ 2006年 87~88頁
[20] 別冊カドカワ 総力特集 秋元康 KADOKAWA 2011年 42頁
[21] 別冊カドカワ 総力特集 秋元康 KADOKAWA 2011年 44~45頁
[22] 別冊カドカワ 総力特集 秋元康 KADOKAWA 2011年 167頁
[23] 別冊カドカワ 総力特集 秋元康 KADOKAWA 2011年 175頁
[24] 別冊カドカワ 総力特集 秋元康 KADOKAWA 2011年 176~177頁

この文章は、私が明治大学政治経済学部経済学科に提出した学士号取得論文を一部訂正したものです。大まかな要旨、論旨、構成は変えておりません。

泉俊輔 2017.10.11

日本の皆さんの愛のあるサポートをよろしくお願いいたします。