マルかバツか
小野塚さんは、車に乗るのが大好きだ。いや、ちょっと違うかもしれない。乗るのが好きなのか降りるのが嫌いなのか、実際のところよく分からない。麦わら屋の駐車場に無施錠の車があれば、すかさず乗り込む。お出かけした際は、なかなか車から降りない。環境の変化が嫌で車に残るのかなとも思うけど、ささっと降りるときもあるし、私にはまだよく分からない。
もう一つ、小野塚さんは自身の行動を「マル」や「バツ」と評価することがある。例えば、トイレをきれいに利用できたら「マル」。調子が良いときは「ハハハハ」と言い、手でハナマルを描く仕草をする。反対に、周りの人に叱られるようなことをした時は、先んじて「バツ」と言う。認識の確認作業みたいなものだろうか。私もそれに応じて「マルだったね」「今のはバツだよ」と言ったりしていた。
少し前、麦わら屋にやってきた他のメンバーの保護者の車に、小野塚さんがサササッと乗り込んでしまう出来事があった。保護者の方は出発したいのに、小野塚さんはなかなか降りない。「降りようよ」と声をかけても、「どうしたい?」と聞いてみても、反対側から乗り込んで「ほら降りようよ」とまた促してみても、頑として動かない。ひい、どうしよう。代表の小野さんや他の職員さんがヘルプに来てくれたが、しばらく膠着状態が続いた。
どれくらい経ったかは覚えてない。結局、小野さんの「他の車に乗ろう」との言葉をきっかけに、小野塚さんはようやく降りた。はあ、良かった。胸をなでおろしていたら、小野塚さんはその場にしゃがみ込み、ぽつりと「バツ…」とつぶやいた。胸が締め付けられる思いがした。頭では降りるべきだとわかっていても、何かしらの理由でそれができなかったのだ。それを横から「降りて降りて」とはやしたてられ、さぞしんどかっただろうな。うなだれる彼の横で、思わず自分もしゃがみ込んでしまった。
すると小野さんが「いやいやいや!小野塚さん、全然バツじゃないよ!だって降りられたじゃん、マルだよマル!」と明るい調子で声をかけた。目から鱗だった。自分は、小野塚さんができなかったことに着目してしまっていた。「利用者さんを肯定する支援」が大事なのはわかっていても、実践となると超難しい。突発的な出来事があると、反射的に否定してしまう自分がいる。またやってしまったと思った。
反省点はもう一つあった。小野塚さんの行動を、安易に「マル」や「バツ」と評してしまっていたことだ。こちらには分からないけど、彼なりの理由があって、「車に乗り込む」「車から降りる」といった行動が表れているはずだ。それなのに、私は目に見える部分だけを見て、「マル」か「バツ」の二択で切り捨ててしまっていた。そもそも「バツ」って、社会規範的なものを無理やり押し付けている記号のようで、嫌だなあとも思う。何がマルで何がバツかって、誰が決めるのだろう。
とはいえ、未だに「バツだよ~」と言ってしまうことがあるし、小野塚さんの行動の理由も分からないことが多い。むしろ謎は深まるばかりだ。でもまずは自分の中に「マル」や「バツ」以外の軸を増やしつつ、たくさんの謎を面白がりながら支援できるようになりたいなあと思う。
(文:広報スタッフ/ライター 原菜月)
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