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Vtuberと声優の違いは何処に…

 私はVtuberの厄介オタクであり、前回投稿したnoteで声豚を自称する知人から声豚でないのにVを推す理由について奇妙がられ、その理由を説明できなかった者である。

 たしかに声優とVtuberはかなり近い位置にあると思う。最近の声優さんは個としてのキャラ立ちが必要不可欠であるというか、プロデュースというかパッケージングされ、作品に声を提供して命を吹き込む職人としてだけの枠を飛び越え、存在そのものがキャラクター化してコンテンツ化しているという背景があり、肉声や存在を大きな柱とする者であって客観的にキャラ立ちしてコンテンツを成すという幾つかの共通点においてVtuberと同じ枠で括ってしまうことができなくもないように思う。こう書いてしまうと声優さんの仕事やその技を軽視しているように聞こえるかもしれないが、決してそんなことはないので、そこは大目に見て欲しいし、Vtuberは顔を出してないけど声優は出してるじゃん!という素性開示やバーチャル度合いの差を指摘しても、素顔を伏せて活動される声優さんも居られるのでこの場合の決定打とはならない。

 実際に、声優さんがVtuberをしている事例もあるし、Vtuberが声優を担当したというケースもある。V推しのオタクが声だけを愛しているわけではないように、声優オタクの皆さんも声だけではなく人となりや存在そのものを推しているのではないかと思うと、声豚ではない私がVは熱心に推せるのに、声優コンテンツに明るくなれなかった説明がより一層難しくなる。

 結局は存在を推しているのだと思う。オタクとして各々が推せる個としての存在のスケールには大小や好みがあり、キャラクターを推す人と作品を推す人の違いの推しどころの違いのように、私はたまたま声優さんという存在を推す人ではなかったが、Vの存在を推す人だったのだろう。

 声豚を自称する知人は、私が声豚ではないのにVを声豚のごとく推していることを不気味がったが、声豚とかV推しとかそういうジャンル分け以前にコンテンツを先に好きになったはずである。それで、恐らくVtuberのような肉声的な側面が多く含まれるコンテンツと声優コンテンツというものは、ベン図にした際に被って見える領域が大きいがために、その差について説明しきれないのが現状なのではないだろうか。気軽に声に金銭が発生するのが声優であるといった安直な定義づけをしてしまうとVtuberだってボイスなんかは有償なわけで声優的側面を多分に含んでいることが話をややこしくしている。

 ただ、私の場合、声優さんのトークイベントに行こうと思ったことは無いが、声優活動の一環としてVtuber活動を始めた声優さんのVtuberとしての配信なら見たことがあるから、きっと客層の違いとか、受け手側の居場所や住処の違いというだけのことなのかもしれない。

 Vtuberと声優の違いについて、恐らく推しているオタクの居場所や出身が同じ場合と、若干異なる場合があるらしい。Vtuberにも声優的側面が大きく、簡潔に区別しきることは難しいが、両者ともにコンテンツとしての魅力が決して声だけではないため、似て非なるもの、もしくは共通の領域を有するものとして考える必要があるのかもしれない。

 Vtuberってつまりは声優でしょ?と言われればオタクとして個人的に多少の憤りを感じたりするだろが、オタクが夢を見過ぎているだけで客観的事実にのみ即すなら実際は案外そうなのかもしれない。個々の感情と客観的事実のズレがそこには大きいように思う。だれか上手く説明できる有識者ニキ居らんかマジ。

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