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バーチャルかリアルかって重要?

 バーチャルかリアルかの境目が人それぞれ違う形でどこかには存在し、どちらか一方が取るに足らないものと見下す嘲笑の対象であると同時に、もう一方に掛け替えのなさを感じるほど圧倒的に依存していたりする人さえ居るほど、その個人差というか、温度差というか、感じ方の比重や振れ幅は大変に大きい。その比重や振れ幅について、空想など結局は嘘っぱちなのだからバーチャルは現実に敵わないとか、やっぱり現実が何よりも1番だよね!といった風な妄信的に現実崇拝のみをカンストしバーチャルを卑下しがちな定説に対し、私はどちらかというと絶えずウンザリする側であった。

 仮想と現実の境目が信頼によるものであるとすれば、私にとってバーチャルの方がリアルよりもよっぽど現実的である。触れられないものにもまた真実があると電脳コイルに教わり、同時に救われた過去を忘れはしない。これは私の個人的で特殊な感想なのかもしれないが、ことYoutuberに関しては素顔をさらしている人達の方が嘘っぽく見え、素顔・素性の知れないVtuberの方が何故かよっぽど信頼に値すると思えるほどだ。

 その昔、誰かが勝手に私の名前で出した果たし状が原因で不良に殴られたり、カバンが女子トイレに沈められたりするのを「誰か分かってくれる人が居る」とだけ言って力になってくれなかった当時の大人たちや、「気持ち悪いから死んでほしい」と懇願するクラスメートを後目にインターネットに没頭していたところ、そんな実態のないものではなく、目の前のクラスメートや教室にある現実と向き合いなさい!みたいな教育を受け、結果的に誰かそんなことしれやるかバーカと開き直ったことがある。

 さて、実体の有無と、信頼できるか否かについて、インターネットに明るくなかったり、人間の薄汚さに触れなかったりした人はよく履き違えてはいないだろうか。ネットは匿名で犯罪の温床だが、素顔をさらして直接会いに来ているのだから目の前の人間は嘘をつかないはずだとか、そういう誤解をしてないか。インターネットもまた実在する人物の干渉よってのみ構築される世界であり、ネット上のデマもインターネットがゼロから生み出た嘘ではなく、インターネット上で実在の人物ついた嘘に過ぎないということに気づかない人が案外多い。もしインターネットで蔓延する嘘やデマや悪意について、諸悪の根源は発信した本人達ではなく通信手段たるインターネットの方だというならば、特殊詐欺は詐欺師ではなく電話回線が悪いことになってしまうのだが、そんなことも分からない人が案外多い。

 私の場合、個人的な人生経験に由来するものが大きいが、素性も本名も知っている馴染みの人物に騙されたこともあるし、死ねとか消えろとか言ってきたかつてのクラスメートが今や保育園で児童の教育にあたっているのだから、素性を知っているとか、実体が確認できるとかそういうことが私にとってはミリも信頼に値しないことも多い。親友や親子であっても人は裏切るし、名前や顔も知らない相手を信じることもある。その信頼に実体確認の有無は案外どうでも良いのかもしれない。

 しかし、本名や素顔に妙な説得力があることには変わりない。わかりやすく相手の安心を引き出せてしまうし、そうでないものに容易くマウントを取れてしまう。本名っぽい偽名を使われたら確かめようがない事は別にリアルでもネットでも変わりはしないのだ。素顔をさらしているということをイコールで信頼と位置付けるのも無理があるのではないか。顔を出していることに覚悟のような大げさな意味を感じ、それだけで信頼できるという話をする人も居たりするが、詐欺の受け子だって顔をさらして会いに来るわけだから話の筋は既に破綻している。

 素顔を出しているから信頼できて真実であるという妄信的で脳死的な判断基準も、インターネットやバーチャル文化の普及で世代や個人間の差が大きく開くのではないか。私にとって今も昔も実際に攻撃をうけたり、居場所がなかったりしたのは実体のあるリアルの方で、居場所があったのは実体や素性を隠したバーチャルの方であったが、学校で顔を合わせる同級生にネット上で暴言を浴びせられたり、顔を合わせたことのある人物から嫌がらせ目的で私の本名を語る架空のブログを運営されていたりしたこともあり、私に言わせればバーチャルもリアルもその両方が結局は生身の人間がやっていることなのだから本質的な差はないように思う。実体の確認や素顔素性の開示の有無に関わらず、いつも真実は別の場所にある。

 Vtuberやライバー、バーチャルの配信者に私の声が届くことはないだろうが、バーチャルだから人気や評価を得て結果が出ているのではなく、その真実は貴方自身に由来する。デジタルで描く漫画家を楽していると言ったり、表彰を受けるミュージシャンをネット出身という話題性だけだとバカにする理解の及ばない人も案外多いが、少なくとも私にとって素性や素顔が見えないとしてもバーチャルで活動する誰かの存在は、これもまた真実である。

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