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推しが知り合いかもしれない件

私は恐らくオタクであり、オタクであることを試されている。
推しの前世と噂されているハンドルネームが知人のものと同じであった。

ライバーやVtuberなどとも呼ばれる、話し手の動きや表情に合わせて動くイラストを用意し、そのキャラクターに成りきることでコンテンツを成す配信者や文化が芽生え、急激に成長する昨今において、応援するライバーや心の支えとなっている配信者やコンテンツを推しと呼び、序の口ながら私の精神生活もまた、数名のライバーによっては支えられている。
 事の発端は、切り抜きと呼ばれる見どころのみをピックアップした動画コンテンツを周回していたときのことだった。関連動画に前世と呼ばれるライバーの素性について噂する動画が表示されたのだ。前世について全く興味がないわけではないが、私はさほど気に留めずいようとし、また意図的に詮索しないように留意することで目の前のコンテンツにのみ向き合うことをある種の誠意であると位置づけ、常にそうあるように心掛けてきた。故に平素ならそういった動画に目が行くということは無いのだが、今回ばかりは話が違い、サムネイルに表示されている前世とされるハンドルネームに覚えがあった。高校の同級生がその当時、動画サイトの生放送で使っていたもと同じあった。

 ハンドルネームの重複などこの広大なインターネットにおいて日常茶飯事であり、知人が推しの前世である可能性は低い。しかしゼロであると言い切れないのである。知人といっても友人というわけではなく、友人であったとしても確認のしようがない。言われてみれば確かに面影を感じなくもないといった様相で、確認が取れずゼロと言い切れない可能性は疑惑や懸念でもって容易く事実と入れ替わろうとする。噂や悪意が追い風となればなおさら容易く入れ替わる。もし、そうだったらどうしよう。その時はどうしたらよいだろう。手に負えない秘密を自分だけ背負っているようで誰かに言いたいような、自分だけの秘密にしたいような、嬉しいような、寂しいような、やり場のないような複雑な感情が次から次へと生まれてくる。ライバーの存在に精神生活を支えられているものは、ライバーの存在が自身の中で揺らいでしまうと精神そのものに異常をきたす勢いで心を揺さぶられることになる。私もライバーの存在に精神世界を支えられる者として、このような感覚に陥ったことが過去にもあった。

 2年ほど前に初めて推しを自覚したライバーがいた。そのキャラクターは悪魔という設定であった。しかし、卒業という形で引退してしまった。引退を境に公式の動画の大半が消えてしまい、そのライバーについては時折、ハッシュタグで投稿される数が目減りしていくファンアートを思い出の風化と共に眺めることが私の日課となった。その日課の最中に他社がプロデュースしデビューしたお姫様という設定のライバーの前世が、かつて私の精神生活を支えた悪魔であると噂する記事を見つけてしまった。その時も今回と同じく乗り物酔いのような精神風景に襲われた。未だにその悪魔かもしれないお姫様の配信を開く勇気があるかというと、私にはない。そういう経緯もあって言葉は悪いが現在の推しに鞍替えしたり、複数を推したりするようになった経緯がある。そんな私は明日も変わらず推せるのだろうか。また、推せるようにありたいと願う。私は恐らくオタクであり、オタクであることを試されている。



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