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推しの最期を観測できるか

 私はVtuberの厄介オタクをしている者であるが、推しの最期、つまり死について思いをはせるうち、貴重な勤務時間内の休み時間を数週間分ほど使い切ってしまっていることに気がついた。この世に生を受けたもの皆が等しくそうであるように、もれなく推しにも死は訪れるわけであるが、そう思うと眠れないではないか。

 一般的に、卒業や引退と言う形でライバー活動の終止符を打ったという事例は散見する。しかし、物理的な生命活動の停止という意味でのライバーの死に直面したことが私は幸いなことにない。いつ死ぬのか、何をもって死なのかという哲学的な問いに対して、忘れられた時がそれであるとする場合が多いが、決してそうと言い切ってしまえない場合も存在はしていて、それとは別にそもそも我々はその最後を観測できるのだろうかとか、観測できない方が幸せなのではないかとか、考え出すともう泥沼である。

 Vtuberの厄介オタクをやる前の私はボーカロイドの楽曲やその周辺コンテンツに度を越えて傾倒するボカロクラスタをやっていた。わかる人にならわかってもらえる程度に具体的な記載は避けるが、ボカロブーム最盛期のその当時に火付け役も兼ねて、今まで聞いたことがないような、速くて難しくてなだれ込むようなカッコいい曲というような、所謂ボーカロイドシーンやボカロ音楽のイメージ像を構築し、決定づけた楽曲投稿者がバンドをなしてメジャーデビューするということがあった。惜しくもその方は特徴的であった楽曲のBPMと同じように速すぎる最期を迎えた。その方のファンは自分も含め、その音楽を込みで存在を忘れたりはしないだろう。現にそのバンドは彼が亡き後も、彼の鼓動が今なお続いているかの如き音楽を奏で続けている。ひょっとして死んでいないのではないかとさえ思う。心の中で生きているという人の気持ちも、死んでなどいないと手段を選ばずそう思える可能性を探したい気持ちも共感できる。しかし、死んでなどいないのではないかと思いたいのは、きっと本当に死んでしまったからである。

 Vtuberに話を戻すと企業所属であった場合、ライバー活動の期間内であれば弊社所属のライバー〇〇が息を引き取りましたという公式からの通知でその最期を間接的に知ることができる可能性は残されている。もちろん、そうでない可能性も残っていて、知らないだけで活動が止まっている推しは既に息を引き取っていたりするのかもしれない。企業所属であっても、引退・卒業の後であれば知る由など無いに等しい。個人勢であった場合、その周囲から漏れ聞こえて噂話的に聞こえてこないことには知りようがない。

 結局のところ、いくらファンであるとはいえ、具体的な関係者ではない以上、オタクは推しの存在やその最期について、基本的には間接的な観測しかできない設計になっている。観測はできないと言っても過言ではない程、その視界は想像以上に霧がかっている。仮に観測ができたとしても、それを受け入れられるかというまた別の問題も大きい。昨日、雑談配信を見に行った私の推しも、配信を閉じたその後で息を引き取っていたとしたら、何気なく次の配信はいつだろうと見終わった昨日の配信が私にとっても最後の配信だった可能性だって出てくるわけだ。

 そうなると、グズグズ思い悩んでなどいないで、その時々を全力で楽しまないといけないではないか。オタクたちよ、推しは昨日が最期だったかもしれないのだぞ。

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