無縁仏になろうとして失敗した話(2)青年期編

無縁仏になろうとして失敗した話(1)のつづき

死が救いであるという考え方は思春期を迎えて自我が芽生えるとともに徐々にポジティブな意味合いを持ってきました。その契機となったのが棄教でした。成長とともに肉体的にも精神的にも親から自立していく中で、自分の中でこの教団、そして母親にはついていけないと確信するに至りました。例えば、教義では婚前交渉どころか、そういった淫らなことを考えること自体が罪とされていましたが、思春期の少年にとってそれは無理難題でしたし手淫の度に罪の意識に苛まれました。理想的な信者であろうといくら努力しても自分の内面が程遠いことに絶望し続けました。その内面を取り繕ってさも清廉潔白な人間として生きていくことも嫌で仕方ありませんでした。

そこで、神を信じないと素直に切り捨てられればよかったのですが、幼少期から刷り込まれた神というものは否定するにはあまりに大きな存在でした。そこで、神を試すことにしたのです。これから自分は欲望のままやりたいように生きるので、もし神が本当に存在するなら自分を罰してみろという、教義的には禁忌とされるロジックで棄教することにしました。これは、大げさに聞こえるかもしれませんが、当時の自分にとっては命をかけた、死を覚悟した賭けでした。しかし、これまでの呪縛から解き放たれる非常に清々しい賭けでもありました。

それからの数年は絶好調でした。ダメなら死ねばいいし、神が罰してくれるかもしれない。という無敵の自由を手にいれたのです。一度神との賭けで捨てた命ですから怖いものはありませんでした。勉学や部活動に邁進し第1志望の国立大学に合格し充実した青春を過ごすことができました。

転機となったのはそんな大学で入った部活動でした。マイナースポーツでしたが、国立大学ながらに関東1部リーグで戦うという準強豪チームに入部しそこでの活動にのめり込むようになりました。たまたま、ポジションや適性の関係で1年目からレギュラーに定着し、充実感を感じながらも厳しい練習に食らいついていました。そんな中で、自分がかつて持っていた無敵の自由を失いつつあることに気づきました。チームの勝利のために厳しく自分を律し、心の底から勝利を目指し生活の全てを捧げるという新たな〝神〟に囚われていることに気づいてしまったのです。

これも、普通の人なら本音と建前で上手にサボりながら体育会の厳しい練習にたえ自分の成長につなげたという輝かしいストーリーとして飲み込めたのかもしれません。でも、自分にはそれができませんでした。練習中での少しの気の緩みやちょっとした不摂生、サボりが全て自分を全否定する材料に見えました。自分はなんて駄目な人間なんだとどんどん自分を追い込むようになってきました。無敵の自由とは言い換えれば究極の無責任です。駄目だったら死ねばいいやという投げやりさこそが自分のフットワークを軽くし、物事を前向きに捉える原動力でした。基本的には高みを目指さない、欲望に忠実であることで無敵の自由を体現してきました。しかし、体育会の中で勝利への執着が芽生えた頃からその無敵の自由が逆に裏返って自分を苛み始めました。私の極端な思考の中には駄目だった時、完璧でない自分の受け皿が死しか残っていなかったのです。

また、所属していた部は開明的なところがあり上級生ほど重い責任を持ち、伸び代のある後輩達の練習時間を確保するために雑用をこなし、夜遅くまでミーティングをして練習メニューや作戦を考えるという体制でした。つまり、居続ければ居続けるほど求められる理想と現実のギャップが広がり苦悩が深まることは目に見えていました。そのプレッシャーに耐えきれなくなり2年目のシーズンが終わった時に部を去りました。

部を去ると決めてから、同期からは猛烈な引き止めを受けました。今にして思えば客観的に見て、真面目に練習し、1年目からレギュラーとして活躍して結果を出し、次年度以降のチームを支える主力と目されていた選手が部を去る理由としてこれほど抽象的で身勝手なものはないでしょう。そして、当時の自分にはその思いを伝えるだけの言葉がありませんでした。今の自分でも彼らを説得する自信はありません。幾度もの話し合いを経て、結局、押し切られる形で部に残ることを承諾しました。この話し合いを通じて孤独感は絶望的なまでに深まりました。理解されないまま、多数の意思に沿う形で自分の身の振り方を決めてしまった自分への失望、そして決して分かり合えないと悟ってしまった仲間たちへの失望が重なり再び死を決意しました。

部に戻って2回目の練習の日の朝、起きてすぐに今日死のうと決めました。死ぬと決めてみると、これまでで一番死に近づいたあの小2の出来事が頭から離れません。あの冷たい包丁の感触は今でも恐怖として体に焼き付いているのです。自分の情けなさに打ちひしがれながらも直接手を下さない方法を模索していました。選んだのは凍死です。1月の厳寒の富士樹海に足を踏み入れて帰ることも叶わない状況で飢えと寒さに苦しみながら死を迎えようと決めました。関東から原付にのって一路樹海を目指しました。

実際に様々な苦しみから逃れる為に死を選んだ方がたくさんいるという事実を前にすると、自分の死に対する覚悟がなんと浅く冒涜的なものかと自己嫌悪に苛まれますが、死にたいと頭の中で考えていることと、実際に死へと踏み出すことの間には大きな壁があります。実際に人は中々簡単には死ねないのです。

結論から言うと今回も〝自殺未遂〟は失敗に終わります。未遂ですらないのかもしれません。原付バイクで樹海を目指して山道を走っていると路面が凍結している場所にさしかかりました。そこで、タイヤがスリップしてバイクがバランスを崩します。その瞬間、あぶなぃっ!死ぬっ!と体が無意識に反応し必死にバランスを保ち軽く転ぶだけで難を逃れました。凍った路面に腰を下ろしながら生きててよかったと胸をなでおろしました。

おめおめと家に帰った私は見事に腫れ物になることが出来ました。部の仲間からの接触はなくなり、大学で顔を合わせても挨拶もしない関係になりました。望んだ結果ではありましたが、その後の大学生活は肩身の狭いものとなり引きこもり状態になるのにそう時間はかかりませんでした。結果的に約2年間大学にもいかずただ自宅に引きこもる生活を送ることとなりました。

無縁仏になろうとして失敗した話(3) へ続く

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