無縁仏になろうとして失敗した話(1)幼少期編

  生きるのが辛くて死にたいけど、家族や友人、職場などに迷惑はかけたくない。そんな中途半端な自殺志願者がいろいろ頑張った末になんだかんだで生きることにした話を虚実織り交ぜて書いていこうと思います。

 初めて死のうとしたのがいつだったか思い返してみると、小学2年生の頃でした。理由は掛け算の九九が覚えられなくて辛かったから。そんな理由でと思うかもしれませんが、たぶん、普通より死というものに対して救いとか逃げ場所といった考え方を持っている人間だったのでしょう。その時は、誰もいない台所で包丁を右手に持ち左手首に押し当てました。でも、いざ包丁の刃が肌に触れるとその冷たさにハッとし、途端に恐怖が湧き上がってきました。そのまま、そっと包丁を戻しひたすら泣きじゃくりました。何を泣いていたのかというと、おそらく、恐怖に負けて死というゴールに辿り着けなかった自分の不甲斐なさに涙していたのだと思います。そんな初めての〝自殺未遂〟以来、自分の中で死は恐怖を乗り越えた先にある甘美な誘惑を伴う逃避場所となっていきました。こういった考え方を持つ背景には幼い頃からの教育の影響があると思います。

 我が家は会社員の父と専業主婦の母、3人の子供という当時としてはごく一般的な中流家庭でした。ただ、ひとつだけ普通でなかったことが、母親がとある新興宗教の熱心な信者だったことです。「玄関で開けたらいる人」のモノマネでお馴染みのあの教団だといえば分かる方には分かるでしょうか。その教団については世に様々な言説がありますので敢えて深くは触れませんが、一言で言うと聖書に書いてあることを字義どおりに教義に落とし込む傾向が強い集団です。有名なところで言えば輸血の拒否や、躾のために子供をムチで叩くといったことは当たり前に行われていました。尤も、当時は教師が当たり前のように精神注入棒などと称して棒を持ち歩いて体罰をしている時代でしから、取り立てて異常な虐待を受けていたとまでは思いませんが。そんな中で最も影響を受けたのはその終末思想でした。近い将来ハルマゲドンが到来して神の忠実なしもべである自分達の教団以外の人類は滅ぼされてしまうと言うものです。物心ついた頃からそうした終末思想を背景にした死への恐怖というものは深く植えつけられました。沢山の教義を守り神を本当に愛しているかということをこれでもかと試され続ける日々でした。親の言いつけを守らなかったというような些細な悪事ですら死につながる行為だと責められ、親はそれを回避するための手段としてムチによる躾を行うという今思えば非常にグロテスクな光景が日常でした。

 大人になった今としてはそんな教義の上手にいいとこ取りをして自分を忠実な神のしもべだと信じ神に選ばれた民として充実した人生を送ることがあの教団との正しい付き合い方だったのだと思います。事実、そういった選民達のコミュニティは同じ価値観を待つもの同士が集まり、調和がとれて平和で楽しそうでした。しかし、幼くナイーブな自分にはそういった大人の対応はできませんでした。ただ、ひたすら全知全能の神に常時見透かされ続け、不興を買わないように必死に生きるしかありませんでした。成長とともに表面を取り繕うことを覚え、教団内で模範的な子供だと思われることも出来るようになっていきましたが、幼い頃からのその恐怖は拭えず、むしろ欺瞞で自信を塗り固めた醜い人間になってしまった気がして、神の忠実なしもべ足り得ない自分に絶望は増していきました。

 そんな状況の中で死への恐怖が逆転して救いなのではないかという考え方に至ったのが小2のあの出来事だったのです。

つづく

無縁仏になろうとして失敗した話(2)へ続く

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