無念仏

びっくりするほど駄目人間です。死んでも死に切れず生き恥晒して生きています。

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びっくりするほど駄目人間です。死んでも死に切れず生き恥晒して生きています。

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  • 無縁仏になろうとして失敗した話

最近の記事

うちの母親がまだやってる宗教もだいぶデジタル化が進んでいるようで、コロナ対策で毎週やってる集会も休止になったと思ったらテレビ会議システムでの集会が導入されたようで、自宅の一室の机の上にPC置いてその前で椅子に座ってやってんの。これもう、銀英伝の地球教のノリじゃんとw

    • 無縁仏になろうとして失敗した話(3)学生ニート編

      無縁仏になろうとして失敗した話(2) の続き めでたく学生ニートとなった私ですが、重圧から解放されたことでモラトリアムを楽しむ余裕ができました。子供の頃から叩き込まれてきたこの世は間もなく終わりを迎えるのでこの世で成功に価値はないという考え方は心の中に深く根ざしていました。そんな私にとって社会に出て働いて幸せな人生を送るという未来像は全くリアリティのないものでした。ただ自堕落に生きて行き詰まったら死ねばいいやと半ば本気で考えていました。親不孝ここに極まれりですが、8年間まで

      • 無縁仏になろうとして失敗した話(2)青年期編

        無縁仏になろうとして失敗した話(1)のつづき 死が救いであるという考え方は思春期を迎えて自我が芽生えるとともに徐々にポジティブな意味合いを持ってきました。その契機となったのが棄教でした。成長とともに肉体的にも精神的にも親から自立していく中で、自分の中でこの教団、そして母親にはついていけないと確信するに至りました。例えば、教義では婚前交渉どころか、そういった淫らなことを考えること自体が罪とされていましたが、思春期の少年にとってそれは無理難題でしたし手淫の度に罪の意識に苛まれま

        • 無縁仏になろうとして失敗した話(1)幼少期編

          生きるのが辛くて死にたいけど、家族や友人、職場などに迷惑はかけたくない。そんな中途半端な自殺志願者がいろいろ頑張った末になんだかんだで生きることにした話を虚実織り交ぜて書いていこうと思います。 初めて死のうとしたのがいつだったか思い返してみると、小学2年生の頃でした。理由は掛け算の九九が覚えられなくて辛かったから。そんな理由でと思うかもしれませんが、たぶん、普通より死というものに対して救いとか逃げ場所といった考え方を持っている人間だったのでしょう。その時は、誰もいない

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