【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(四・復活)
北海道・稚内と樺太・大泊を結ぶ稚泊連絡船の開通、すなわち内地と樺太が鉄道一本でつながるようになったのは、宮沢賢治の出発のわずか3か月前、1923年5月1日のことに過ぎない。この最北の地への直通列車の開通を待って、賢治はやる気持ちで旅立ったに違いない。
宗谷海峡を越える夜が「喪の仕事」としてのこの旅のクライマックスだったのかもしれない。あるいは賢治の生涯でも、ここまで宗教的感情が白熱したことがあったか。
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仏教ならば転生といい、キリスト教ならば復活といい、これら超自然的な概念を、人間的次元・地平に引き寄せてとらえ直すならば、畢竟、<再会への希求>ということに尽きないだろうか。
イエスの復活物語、とりわけルカ伝24章の「エマオの旅人」は大変感動的だが、最古の福音書で客観性が高いといわれるマルコ伝での復活の記述の簡素さ、具体性の乏しさ、とってつけた感から、これらキリスト教信仰の核となる復活譚は後世の付加なのだろう。おそらく、<原事実>としては、イエスの刑死から50日、「喪の仕事」として集っていたであろう弟子たちの身の上に起きた異様な体験、使徒行伝2章「聖霊降臨」があったのであろう。何かに憑かれたように、口々に異国語で話し出すなどという、読んでいてもよく分からない、逆にわけが分からない故にリアルな、弟子たちが体験した尋常ならざる霊的変容、「ヌミノーゼ(Numinose)」とでもしかいいようのない戦慄と魅了の<原体験>を、聖霊の降臨としてとらえ、そうした宗教体験を通じ、師との再会の希みを宣教的・文学的に再編したものがイエスの復活伝承となり、復活したイエスの臨在と同伴というゆるぎない信念に成長したのではないか。
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宗谷海峡を越える夜、賢治の身に何が起こったのか。傍から見れば自殺志願者に間違われかねない異様でひどいあり様だったようだが、「ヌミノーゼ」的な体験はあったのか。
「妖しい術」を示唆するかのような謎めいた言葉で「宗谷挽歌」は結ばれるが、直前に原稿の欠落もあり、文意は確定のしようもない。
樺太に渡ると転調でもしたかのように、清澄で平穏な詩風となる。サガレン(サハリン)の地霊=ゲニウス・ロキのなせるわざか。
当時、鉄道で行ける日本最北端の町・栄浜。賢治は海岸に倒れこむように眠る。大地にひれ伏して眠る男。イメージとしては、ここでも私はタルコフスキーの「ストーカー」、「ゾーン」探索の場面を想起するが、シンボリックには、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、ゾシマ長老の「復活」を描く「カナの婚礼」の感動的な一節を連想する――「彼(=アリョーシャ)が大地に身を投げた時は、か弱い青年に過ぎなかったが、立ち上がった時は生涯ゆらぐことのない、堅固な力をもった一個の戦士であった」。
この旅で、霊的な<原事実>としてトシと再会・交流するというような希みが果たされることはなかったであろう。しかし、ひれ伏し、恢復し、立ち上がる、象徴的な次元での「復活」(ロシア語でのこの言葉の原義はこのようなものだという。ドイツ語でいうauferstehen か。乞御教示)を通し、トシの臨在、同伴を感じるようなことはあったのではないか。あるいはそれは生涯を通じてかもしれない。
「オホーツク挽歌」はとりわけ美しい自然描写でしめくくられる。そしてここで繰り返される梵語「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」=「南無妙法蓮華経」は次の「樺太鉄道」でも3回リフレインされる。
題目を繰り返し唱える鉄道旅。「銀河鉄道の夜」の、ジョバンニのどこまでも行ける切符、そこに印刷された「いちめん唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字」。この不思議な文字は「妙法蓮華経」のサンスクリット語表記だという論考は説得力があるように思う。(宮沢賢治の真実 : 修羅を生きた詩人)
こうして賢治は樺太からの帰途につく。サガレンの風に吹かれ、この地の「古くからの誰か」に背中を押されるように――。⇒(「一・帰り道」に戻る)
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