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第13話 ガルガル期

コロナの関係もあって、陣痛促進剤を使う計画分娩が病院の意向である。子宮筋腫もあるし出血量が多くなるかもとのことで、貯血をしたりと出産に備えていた。

しかし、38週時点の検診ではやっぱりまだまだ子宮口は硬く、生まれそうにないとの判断が下り、最初に予定していた入院の日取りは延期となった。子宮が準備できてないと促進剤も効かないし、焦らず待とうというのが担当医の意向。

(それなら、思う存分遊ぼう…)っと、診察室で思ったのだった。

「まだだったよ〜、こうなったら存分に遊ぶよ。」と友人と話していたら、「私は1人目のときはガルガルしてたからナァ。」と友人が切り出した。友人は意識していなかったが、友人夫曰くガルガルしていたらしい。

私の場合、比較的心は落ち着いていると思っていたので、やっぱり初めてだし気が張ってたんだねなんて話してたのだが、その晩から私のガルガルが呼び覚まされることになるとは思っていなかった。

この記事でも書いた通り、昨年末に色々と考えた末に産後ケア施設を利用しようと決めた。

そして、グレさんには育休に関する資料を年末には渡しており、会社と相談しつつ話を進めておいてねとお願いをしていた。しかし、新年に入ってもしばらく育休の話を聞くことはなかった。

どうなったか気にはなるけれど、何度も言うこともあるまいと思っていた。しかし、何の進捗も聞けてなかったので「ところで、最短あと1週間でノミちゃんは出てくるけど、育休の件はどうなったの?」と聞いてみた。
予想通り、グレさんの返事は「まだ聞けてない。」というものであった。

翌日彼が会社側と話をしたところ、やはり『生後8週以内の産後パパ育休』は、就労が12ヶ月未満のために取れないと言われたそうだった。
「なんで?」と聞けども納得のいかないフニャフニャした答えが戻ってきたため、私は怒った。違う人に相談するように伝え、その翌日に返ってきた答えは同じだった。

要するに、月11日以上分のお給料をもらった月が12ヶ月間ないとだめ(育休開始日から遡って2年間で)ってことで、グレさんはそれに該当せず、4月からは育休が取得可能とのことだった。

そういう規定があるんだね…と理解はしたけれど、なんとも悲しい気持ちになった。
少子化がどうとか、育メン推進だの言ってるけど、こう言う規定によって制限されることもあって、矛盾を感じた。

話は変わるが、私は年末に姓をグレさんと私の姓の複合姓(結合姓)に変えようと家庭裁判所に申し立てをしていた。長くなるので割愛するが、要するに手続きは大変にめんどくさく、精神的な疲労が重なり、結局私は諦めて申し立てを取り消した。
この件を経て、夫婦別姓ってそもそもなんでダメなんやっけ?という疑問や、戸籍制度に対する疑問が湧き上がってきた。マイナンバーは何のため?

刺々しさに惹かれたのもホルモンのせいか。

なんだかこの国の法律やら制度に翻弄された年末年始であったのと、まだまだ男社会なんだなっという落胆に加え、前々からお願いしていたにも関わらず何の話も進めていなかったグレさんに対して、イライラが最高潮になった。

それと同時に、ひとりぼっちな気がして孤独感に見舞われたり、涙が押し上げてきたり。ガハハと笑って友達と話していたかと思えば、やっぱり怒りが込み上げてきて攻撃的になったり… と、感情の波をコントロールできないことに戸惑いを覚えた。そんな時に友人の話が蘇り、

あ、これガルガル期だ!

と気づいたのだった。
本能的に子を守ろうとするための反応なんだ!と思った。自分も動物で自然なものなんだなぁ、っと感心した。

母親としてガルガルしてんのか〜と思うことにして、ガルガルする許可を下した。グレさんにもガルガルしている自分がいて、周りに攻撃的になってしまってどうしようもないということを伝えた。

「良いんだよ。当たり前のことだし、僕はマミの夫なんだから僕にぶつけて良いんだよ」と言ってくれたグレさん。やっぱり私は泣いたし、そんな彼にありがとうと感謝をした。

そして、ガルガルする自分をちゃんと認めていたら、ガルガルはどこかへ旅に出て消えた。

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そんな私のガルガル期の絵

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